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■映画『希望の国』を見て、自分の仕事を作り直そう


 目標や目的を忘れ、手段や手法にばかり目を奪われてしまうことはよくある。
 よくありすぎて日常化し、常態化してしまう。

 それはビジネスでも、原発事故でも、同様だ。

 日本人はとくに物忘れが激しい国民性で、しかも表と裏を使い分ける。

 「企業理念じゃ、メシは食えないよ」と言いつつ、毎日の仕事が社会悪になっても売上を伸ばすことばかりに動いてしまったり、「原発反対!」と大声で叫んでも自分が無理なくできる節電すら習慣化させようとしなかったりね。

 10月20日から上映が始まった映画『希望の国』(園子温監督)は、そのことをふまえ、あえて認知症の女性をサブキャラクターとして登場させている。

 広島・長崎・福島の3度の被爆を経験したこの国で、認知症の彼女は「えっ? またうちの町に原発が建ったの?」という言葉を繰り返し、家にいるのに「ねえ、帰ろうよ」と夫に何度もねだる。

 女優の大谷直子さんが演じるこの役が、まさに日本人の性そのものなのだ。
 園監督は、その日本人の内面の本質をえぐりだす。

 だから、気持ち悪いと思う人もいるかもしれない。
 しかし、自分自身のいやな部分に向き合う苦しみを受け止めるところからしか、希望は始まらない。
 そのことを、この映画は勇気を持って示唆している。

 テレビや新聞は今年に入って中国や韓国との領土問題に国民の目を向けようとした。
 同じ日本人が作った原発によって、日本は領土を自分で削ってしまったのに。

 フクシマ原発から近いエリアの住民は、今も家に帰れない。
 彼らだけでなく、基本的には誰もそこに入れず、「立入禁止」の看板が立っている。

 それが、今日の日本の真実の姿だ。
 そこから目をそらせるために、外国との関係に目を向けさせようとしている人たちがいる。

 けれど、フクシマはまだ何も終わっていないのだ。

 その重すぎる痛みから簡単に目を背けることができないはずなのに、東京のメディアは後回しにできる問題をあたかも大きなことのように連日報じている。

 映画『希望の国』の中で、認知症の女性は何度も問う。

「おとうちゃん、ねぇ、家に帰ろうよ」
「あら、また、うちの町に原発ができたのね」

 もちろん、もう帰れる家など、もう、ない。

 止まっていた原発は再稼働してしまい、原発を作って今なお推進し、他の国々に輸出までしようとしている自民党が力を増し、次の選挙は勝つだろうと予想されている。

 世界では原発を使わない方向へ動き出しているのに、3度も被爆しても原発推進へ動き出そうとしている日本人は、まさに認知症と同じだ。

 そこに希望はあるの?
 映画『希望の国』は、答えを強要することなくそう問いかける。

 希望があるとしたら、僕らは不便や痛みを引き受ける覚悟をもって新しい時代を切り開くしかないだろう。

 この映画が被災者のトラウマを引き起こしかねないという責任と覚悟を持って作られたように、もう3/11以前と同じようには生きられないことをどれだけ日本人全体がわが事として実感できるか、そこが観客に課せられた。

 ぜひ、映画『希望の国』を見てほしい。
 今こそ見てほしい。

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 息子とその嫁を圏外に避難させた父は、叫ぶ。
「国はもう、あてにならない。自分で考えて動き出さなきゃ」

 園子温監督も、インタビューに答えてこう言う。

「よく取材で、『なぜ、今、福島を映画化するんですか?』と聞かれるけど、逆に僕は『なぜ、みんなそれをしないのか?』と聞きたい。あんなに大きなことが起きても、それを映画の題材にしない日本の映画界はすごくおかしい」

 初日のレイトショーでこの映画を観た僕は、旧知の園監督と同時代感覚を共有していることに喜んだ。

 もう、政治談議なんかしている場合じゃない。
 この国をまともな国に変えるには、2流・3流の政治家が跳梁跋扈する政治に期待していても、らちがあかない。

 そもそも政治だけが国を変える手段ではない。
 むしろ、毎日の仕事を通じて経済のあり方を変えていくことで、僕らは自分の生活を守ることができる。

 国になんて任せなくても、社会は自分たちで変えられるのだ。

 自分の生活を守るためには、自分の稼ぎを優先するのではなく、むしろ「みんなのため」を優先することで自分の仕事が誰かの役に立っている働き方を作り出すことだ。

 自分の生活、自分の家族、自分の会社を真っ先に守ろうとすればこそ、自分たちだけが一時的に富を確保できるが、それは社会全体では孤立化と収奪を招く。

 あの震災の日から1週間以上、コンビニの商品棚は、自分たちだけはなんとか生き残りたいと考えた人たちによって買い占めによって空になり、お金が無く、自力で移動もできない社会的弱者たちは被災者と同じように飢えることになった。

 自分だけを守ろうとする発想は、自分より弱い人をもっと弱い立場へ蹴落とす。
 これは、受験戦争と同じだ。

 自分だけが優秀な大学に入れば、そこで満足してしまう。
 しかし、本当に優秀な人材は、そこに後ろめたさを覚える。

 だから、世界中で、優秀な人材ほど社会起業家を目指している。

 「自分の生活」を優先することで思考停止してしまう人たちのおかげで、下へ下へと落とされてきた社会的弱者たちの苦しんでいる問題を、社会起業家は毎日の仕事として解決していく。

 その目的からブレずに、そのために必要な発想と手法を作り出している。

 本来、仕事とは、そういうものだったはずだが、不況が極まると、働く目的が忘れ去られ、金さえ手にできれば手段さえあればいいと思いがちになる。

 その象徴的な存在が、「東電」と、東電の金に群がる政治家や広告代理店やメディア企業などだった。
 しかし、もうそんな日本には帰れないはずだ。

 帰れない以上、僕ら自身が公益に資する仕事を作り出す担い手として成長しなければ、希望なんか作り出せない。

 政治に期待できない以上、僕らは経済によってこの社会を変えている社会起業家の仕事から学ぶ必要がある。
 社会起業家について少しでも知りたい方は、ぜひこのゼミに顔を出してほしい。

★社会起業家・養成ゼミ TOKYO
http://socialventure-youseizemi-tokyo.blogspot.jp/

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