昨今、福祉の世界では、法定賃金を支払うのを義務とする意識を支援者が持ち、障碍者が健常者と同じ賃金をもらえるだけの仕事を作り始めている。
これまでなら、福祉作業所に通う障碍者は、月収1万円程度しか賃金を支払ってもらえなかった。
それは、支援者側が「どうせ障碍者はこの程度の軽作業しかできないはずだ」と思い込み、軽作業ゆえに低賃金を強いられる障碍者の潜在的な可能性の大きさに期待していなかった。
それではいつまで経っても、障がい年金に依存した暮らしとなり、結婚・出産・子育てあるいは親の介護費などを支払うことができず、健常者並みの生活や人生には届かないままだ。
そこで、障碍者の個々の能力・経験・症状などを十分に考え、障碍者の個々の属性が活かせる職場を作ると同時に、「障害者が作っているので買ってください」という同情票による市場ではなく、「この商品・サービスは値段に見合う価値があるので買ってください」という市場原理に基づいたビジネスを作り出すことを、福祉業界では全国的に取り組み始めているのだ。
ところが、ひきこもりやニート、メンヘラ、ホームレス、元ヤン(少年刑務所などの出身)の支援現場では、そうした仕事作りが遅れてる。
その最大の理由は、そうした社会的弱者を支援する側のスタッフに、かつての福祉業界のように意識が低いままで、個々の属性を活かした職場を作り出すというイノベーションを始められないままだからだ。
つまり、社会的弱者に転落した当事者に自立への意識が足りないのが問題ではなく、自立へ導くはずの支援者の意識と方法にこそ問題があり、そのために引きこもりは高齢化し、ニートはネットカフェ難民やホームレスになり、ホームレスは無縁仏になり、少年院出身者は再犯を繰り返したり、「二度とやらない」はずの薬物を手を出してしまう。
これでは、支援活動はさらに当事者を社会の底辺へ導き、それによって支援者の給与が国や自治体からさらに手厚く支給される根拠を作ってしまう。
ぶっちゃけ、現状の支援体制は、支援する側のメシを保証するためのマッチポンプになっている。
いったい誰のための支援なのだろう?
答えははっきりしている。
なのに、なぜ支援スタッフたちは、自分たちの生活を守ることばかり考え、社会的弱者の当事者の立場に立たないのか?
それは、支援者自身が自分の仕事に対する社会的価値を十分に感じておらず、自己評価の低い人であることを自覚できずにいるからだ。
しかし、支援スタッフは、自己評価の低い人ばかりに囲まれていると、それをフツーのことと感じてしまうのだから、彼らを責めるつもりなどない。
日本では、学生でもサラリーマンでも自分の職場や業界の内側にしか関心がなく、それが自己評価を自分で貶めていることすら気づかない。
そういう「ムラ社会」的な発想をデフォルトにしているので、有名人や芸能人などは別世界の住人だと思いがちだ。
たとえば、仙台で被災者と近い大学生たちがUstream番組をしてたりする。
大学生どうしがつるんでいるだけで、大学生向けの話になりがちだ。
それなら教室で話していれば十分だが、Ustreamの視聴者には社会人もいるというメリットに気づかない。
だから、「仙台なら楽天のミキタニ社長をそのスタジオに招いたら?」とソーシャルストリームに書くと、学生たちは「絶対ムリ」と苦笑して終わってしまう。
仙台なら楽天の試合もあるから、ミキタニさんが仙台入りすることもある。
タイミング次第で声をかければ、関心を示すだろうし、被災者の生の声を聞けるとわかれば、楽天として復興活動を支援する上で有益と考えてくれるかもしれない。
そもそもお金持ちは、大きなギャラを払えば動いてくれるわけではない。
お金よりも、そこに自分が参加することにどんな社会的意義があるかと考える。
だから、学生が本気になって地元の被災者のためを考えた活動をしているなら、有名人はそこに招かれることは名誉と考えるだろう。
そのように、自己評価が低いままでは見えないルールが、世の中にはいっぱいある。
そうしたルールを学ぼうとすれば、これまでは「絶対ムリ」と考えてしまっていたこともできるようになる。
福祉業界は、もう動き始めた。
だから、同情票ではなく、「このスィーツは美味しいので買う価値がある」という論理で成功している。
ニートやメンヘラの支援業界では、スタッフ自身の自己評価の低さから、当事者であるニートたちの自立が遅れたままになっている。
では、どうすればいいのか?
支援スタッフ自身の自己評価を引き上げられるだけの学びを提供することだ。
社会的弱者は、福祉の業界だけでなく、さらに広範囲に存在している。
仕事と介護の両立に悩む独身サラリーマンも、子育てと仕事の両立に苦しんでいるシングルパパ、再就職ができないままホームレスしかないと思いがちの40-50代の離婚失業者、低学歴のためにバイト面接さえ拒否される若者など、さまざまな社会的弱者がいるということは、それだけ解決ニーズの高い市場が潜在的に大きくなっているのが、今の日本なのだ。
そして、これまでの営利優先的なビジネスの発想では救えないので、既存の企業への就職が困難ならば、問題解決優先でビジネスを解決手段として作り出す「社会起業」(ソーシャルビジネス)の発想が必要になる。
社会起業を学ぶことは、自己評価をいきなり上げなくても、自己評価の高い人と出会い、自分ができないことをできる人に任せ、一緒に相互補完しながらビジネスを作り上げる仲間を増やしていける。
この「人に任せる」ということが、自己評価の低い人には苦手だ。
しかし、社会起業は、そもそも自分が金儲けしたいから始めるものではない。
あくまでも問題を解決することを毎日の仕事にするというモチベーションから、社会起業は始まる。
お金に余裕がある時しか社会貢献しなかったり、社会問題の解決を究極の目標にはしていても毎日の業務の目的にはしていないが従来の企業だが、それとは一線を画するのが、社会起業なのだ。
人のために役立つ仕事を作り出す社会起業は、それに携わる人すべてをハッピーにする。
だから、一緒にハッピーになることへ誘うことに、ためらいがなくなるのだ。
社会起業では、どういう解決の姿が当事者にとって幸せなのかを考え、共有し、それを軸にしてビジネスを生み出すので、当事者に近い属性を持った支援者ほど、社会起業を成功させるポテンシャルは高い。
だからこそ、自分ができないことは、できる人に声をかけたり、ネット上で仲間を募れば、「自分だけでは絶対できない」と思っていた夢のプランも実現できる。
みんなを幸せにする仕事を生み出すことなら、優秀な人材が集まってくる。
最近では、営利目的の企業で荒稼ぎしていても幸せに感じず、社会起業の画期的な新しさに気づき、自分でもチャンスがあればコミットしたいと考えている優秀な人が増えてきた。
自分が起業未経験でも、経験者と組めば、即座に解決できることがいっぱいある。
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