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■精神病院を全廃したイタリア ~ソーシャルビジネスを始めたい若者へ3


 僕は1995年頃から自殺に関する取材を始め、既に15年以上が経つ。
 取材対象者は、300人を超えてから数えなくなった。

 その中には、精神病院で買わされた処方薬を過剰摂取して
心肺機能を壊し、亡くなってしまった若者が3人もいる。

 自分で自分の心をコントロールできない病気になっているのだから、
処方量を守って飲むことができない患者がいるのは当然なのに、それを見越して
ちゃっかり自分の「太い客」にして儲けているのが、日本の精神科医療だ。
(※精神病院の闇については、このサイトをご参照されたい)

 自殺に導く社会的要因は児童虐待・貧困・病気などいろいろあるが、
死にたくなくて医療に頼ったのに、「3分診療、薬漬け」のずさんな
あり方が引き金になって死んでしまうなんて、絶対に許せない。

 そうした思いで、取材期間中、10年以上は、自殺志願者・未遂者たち
からの相談に24時間、365日、仕事の傍ら、無料で応じてきた。

 精神科医がもっと患者に対して十分な時間をかけ、患者の生活事情や
人間関係、職場環境などについて適切な福祉サービスにつないでいたら、
入院費も治療費も薬代もかからず、もっと早く社会復帰できただろう。

 しかし、いくらそれを望んでも、精神科医は「初診時に病名を与え、患者に
薬を定期的に買う顧客にする」というビジネスモデルを改めない。

 だから、僕は仕事中でも、かかってくる相談電話に深夜でも早朝でも応じ、
ひっきりなしに来る相談メールのすべてに返事を書き、「会いたい」と切実に
頼んでくる人に会うしかなかったのだ。




 「死にたいほどつらい」と訴える人の話に延々と応じていると、働く時間を削られ、
貧乏になり、自己破産まで招いた。
 その顛末は、拙著『プライドワーク』(春秋社)にくわしい。

 誰かを助ける活動をする人にお金が運ばれる仕組みを作らないと、
持続可能な支援にならず、「患者」は社会の中で右往左往して疲れるばかりだ。

 それゆえに、僕はビジネスの手法を用いて社会的課題を解決する
「社会起業」(ソーシャルビジネス)への関心が高まり、
2003年頃から少しずつ社会起業家の取材を始め、今日にいたる。

 この広い社会には、切実な苦しみに耐えながら生きてる人たちがいる。

 そうした当事者たちに寄り添って、問題を解決する仕組みを作ろうとするところに、
社会起業家の社会的価値がある。

 だから、ソーシャルビジネスでは、社会の底辺に生きる人たちとの出会いと関係の
中からしか有効な事業が生まれようがない。

 やがて脳科学が進めば、現在の精神科医療は縮小し、内科と外科で十分になるだろう。
 脳の検査をすれば、初診時に当然のように薬を売ってた精神科医は儲からなくなり、つぶれる。

 逆に必要になるのが、心に問題を感じる当事者に対する福祉サービスだ。
 自殺を減らす社会起業を志すなら、薬漬け医療の問題解決も視野に入れよう!

 そこで、お勧めしたいのが、精神病院を全廃したイタリアでの実話をもとに作られた
映画『人生、ここにあり!』(原題:やればできるさ!)。




 この映画を観る前に、日本の精神科医療が他国と比べてどれほど遅れているかを知っておこう。

 下記の表は、精神病院に入院した患者の平均滞在日数だ。
 外国と比べ、日本がズバぬけて入院日数が多いことがわかる。

kanja.jpg

 「心に問題がある」と告白すると、医療の独占市場になってしまうのが日本。
 上記のデータを含め日本の精神科医療を見渡すなら、「医療観察法.NET」をご覧いただきたい。

 しかし、他国では、そんな単純な理解はしない。
 困っている人は、地域社会の市民たちみんなで面倒を見ようという心の豊かさがある。

 それが地域医療+障害者福祉の考え方であり、病院は「心の問題に悩める当事者」にとって
問題解決を助ける一機関にすぎない。

 就労や教育、友人関係、自分の住む地域にある豊かな社会資源にふれ、「みんなで解決しよう」と
発想するのが、「脱・医療依存」なアプローチの基本姿勢なのだ。
(※問題を解決するのに医療に依存しているのは医者であって、患者ではない)

 そして、こうした「脱・医療依存」の特攻隊長がイタリアだ。
 イタリアのノルチョ医師は、日本での講演会でこう言っている。

「重要なかぎは、治療者である。
 治療者が 患者さんと社会の仲介者となること。
 精神的苦悩を持つ人の自由を考える中で、社会的コンセプトの中でとらえる必要がある。」
(※全文を知りたい方は、このサイトを参照されたい)

 文化人類学の立場からイタリアの精神医療を研究されている松嶋健さんは、こう言う。

「認知症にしろ精神障害にしろ、ある時代の特定の制度のなかで病気として位置づけられてきたと言えます。
 健康と病気、正常と病理の間の線引きは文化・歴史的文脈のなかで変移し、かつ相互的に規定されてきました。
 病気の問題は、単に個人を対象とする医療や医学の問題ではなく、社会全体の問題として捉えられます。
 近代的な精神病院は、そのほとんどが公立であり、社会的な隔離の装置として主に機能していました。
 そこで行われていたことは、治療よりもまず管理。
 それが、医学の名の下に正当化されていた側面がありました。
 1960年代に入り、現場の精神科医や看護士の間にこのような認識が徐々に広まると、他の欧米諸国でも進行していた『反精神医学』運動とも呼応し、最終的に精神病院を廃止する法の制定にまで至ります。
 但しこれは、精神医学そのものを全否定したということではありません。
 精神病院をなくすか否か、ということよりも、精神病院という場を成り立たせている『Istituzione 制度=施設の論理』を問い直すことだったのです」
(※途中、いろいろ省略してます。全文を参照したい方は、こちらのサイトへ)

 精神病院を全廃したイタリア「地域ケア」の実情については、自ら「患者」を装って
日本の精神病院に潜入取材したジャーナリスト・大熊一夫さんの書いた本
『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)にくわしい。




 ちなみに、精神病院による「医療支配」から福祉による「問題共有」へと
地域ケアに歩み出している国は、他にもいろいろある。

◎デンマーク:このサイトと、このサイトを参照。
◎スウェーデン:このサイトこのサイトを参照。
◎フランス:このサイトを参照。
◎カナダ:このサイトを参照。
◎アメリカ:このサイトこのサイトを参照。


 さて、僕は今週9月30日(金)の「レディースデー」に東京・シネスィッチ銀座で午前11時から映画『人生、ここにあり!』を見る予定。

 見終わった後は、きっと誰かと話したくなるだろう。
 そこで、同行したい方を大募集!

 メールあるいは僕のtwitterアカウントをフォローの上、DM(ダイレクトメッセージ)で、
氏名・ケータイ番号をお知らせくださいな。

 初対面、大歓迎。
 では、劇場でお会いしましょう!

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