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■ソーシャルビジネスを始めたい若者たちへ

 7年くらい前から「社会起業」(ソーシャルビジネス)について本格的に取材を始めた。
 それ以前から社会起業家や社会的企業は日本で活躍し始めてはいたが、国民の認知度は低いままだった。

 だから、2008年-2010年の3年間にわたって、ソーシャルビジネスの認知拡大イベント「社会起業支援サミット」を企画・運営したり、『社会起業家に学べ!』(アスキー新書)を発表したり、いろんな雑誌でソーシャルビジネスについて書いてきた。

 しかしながら、まだまだソーシャルビジネスに関する国民の認知度は劇的に上がっているとはいえないし、社会起業家を支援する団体の多くも、目に見える成果があっても、それを十分に広報するスキルが無いらしい。

 それはソーシャルビジネスを促進したい経産省も例外ではなく、ソーシャルビジネスに関心を持ちだした若者や学生に対してスクールを運営する組織も、やはり例外ではないと言わざるを得ないだろう。

 ソーシャルビジネスを「社会貢献をするビジネス」という具合に曖昧に受け止めているうちは、本質的な意味で社会起業家を量産する仕組みは作れないだろう。

 実際、ユヌスさんやドレイトンさんあたりの大御所の講演会に足を運ぶ若い世代の中で「社会的課題を解決するために事業の手法を用いる」という働き方を実感レベルで理解できている人は、おそらく多くはないのだ。

 そして、そもそも社会起業家が解決を急ぐ「社会的課題」の重さは、具体的な社会的弱者をイメージできないままでは感じえないことだろう。

 社会的課題は、特定の社会的弱者の置かれている環境に対して自分が「これは絶対に見過ごせない! 改善したい!」と強くはっきりと感じるという経験なしには、決して具体化しない。

 社会的課題とは、自分が苦しんでいるか、あるいは見過ごせないと感じている問題に対して、他の人も同様に苦しんでいることに気づくことで見えてくる。

 そのうえで課題は社会化し、自分の苦しみは「みんなの苦しみ」と認知され、「みんなで解決する仕組み」への関心につながっていく。

 つまり、自分の苦しみや痛みとは無関係の他者を救うのが社会起業家ではなく、社会的弱者の苦しみに寄り添い、弱者の当事者が「救われたい」(解決したい)と望む思いを同じくし、共有しようという気持ち(=コンパッション)からしか、ソーシャルビジネスは始まりようがないのだ。

 いろんなソーシャルビジネスの例を見てきて思うのは、そうしたコンパッションを欠いた自称「ソーシャルビジネス」には事業的に成功していても、救われるはずの社会的弱者(当事者)から感謝されていない活動になっているケースも決して珍しくないことだ。

 ソーシャルビジネスとしての成功とは問題解決そのものであり、その成果こそが目的達成の事実になるわけで、そのためには社会的弱者の当事者の声を最優先事項にしなければならないし、顧客満足度は必ずしも事業収益のアップと連動しない。

 だからこそ、これからソーシャルビジネスを始めたい若い人たちは、まず自分の関心のある社会的課題に対して解決活動に取り組んでいる団体にボランティアスタッフとして参加し、当事者の声に耳を貸すという当たり前のマーケティングを経験する必要がある。

 そこで、ソーシャルビジネスの難しさを肌で感じてほしいと思う。

 今の日本には「社会的弱者」に転落せざるを得なかった方が増えており、その多くはお金がない人たちなので、当事者からお金をもらうことを事業収益の核とするには難しい面がある。

 だからこそ、新しい仕組みを開発し、当事者負担を減らすイノベーションが必要になる。

 逆に言えば、高額でもお金の出せる人しか救えないのであれば、それはそもそも社会的ニーズではなく、社会的ウォンツに応えたサービスでしかないのだ。

 ニーズとはそれなしには生活する上で困ってしまうほどの強い需要を持つ商品・サービスだが、ウォンツとはあってもなくてもさほど困らないけど、あればあったで便利な商品・サービスだ。

 ソーシャルビジネスが社会的弱者を救うものであるがゆえに尊敬の対象になるのは、社会的ニーズに応えるだけの仕組みを持った事業活動だからであり、社会的ウォンツにいくら寄与しても貧困層の社会的弱者たちは浮かばれないだろうし、社会的ウォンツのサービス対しては「私たちが当事者であることを忘れられてしまっている」と感じ、孤独感を覚えるだろう。

 逆に、社会的ニーズに応えるソーシャルビジネスであれば、それは世の中にある他の社会的ニーズを同時に満たすことで自分たちの活動の社会的意義を担保することができる。

 ソーシャルビジネスの世界では、複数の社会的ニーズを同時に満たすことでシナジー(相乗効果)を生みやすいことはよく知られている事実だ。

 そこで、下記の動画をご覧いただきたい。



 店が減り、「買い物難民」となっている高齢者の多い新潟の町では、大学生がボランティアとして高齢者のニーズを聞きとり、ニートたちが御用聞きや移動販売で食材を売っている。

 大学生にとっては福祉ビジネスの現実を体感でき、ニートたちは就労体験を得ることで社会復帰のトレーニングになる。

 これはNPO伴走舎による取り組みだが、このように街のある社会的ニーズを満たそうと思えば、NPO自体のミッションであるニートの自立支援もできるという好例だ。

 ニートによる御用聞きは最初は地元の市民に警戒されてなかなか発注が少なかったそうだが、地元の市民に愛されるために、彼らは地元の公衆便所などを定期的にきれいにし、評判を高めていき、少しずつ地道に顧客を増やしていったそうだ。

 同じような話は宮城県石巻市のNPOフェアトレード東北からも聞いた。
 自社のサービスや商品を買ってもらうためには、まずは地元市民から愛され、歓迎されることが必要なのだ。

 同じ『地元の仲間』として認めてもらうには、そうした通過儀礼が不可欠であることを地方都市は教えてくれるが、東京のような都市部では気づきにくいことだろう。

 今、地方には優れたソーシャルビジネスの担い手が育っているが、東京のような都市部では「頭でっかち」に社会貢献を語るばかりで、その実、社会的弱者と寄り添って動くことをしなかったり、「自分は支援側」と居直っていつのまにか上から目線で動いている「自称社会起業家」を見抜けない若者がたくさんいる。

 だからこそ、まずは自分自身が困っている問題に気づき、それが他の人も同じように苦しんでいるのではないかとリサーチし、それこそが直面し、解決すべき「社会的課題」であると気づくのが、ソーシャルビジネスを始めるのに必要不可欠な実践だと知る事だろう。

 2007年に東大の自主ゼミの講師を東大生たちから仰せつかった際、農業の人手不足と若いホームレスの就労という2つの問題を同時に解決させたいという学生グループたちに、農家へ農作業体験をさせたばかりでなく、寒い冬空の下で寝ているホームレスと一緒に過ごさせた。

 当事者の中に飛び込み、1対1で向き合い、同じ環境で同じつらい思いを分かち合うこと。
 それなしには、コンパッションは目覚めない。
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