酒鬼薔薇聖斗が本を書いたという騒動が、始まっている。
「元少年A」を名乗る著者の本が、発売されたからだ。
それを知った僕が初めてtweetした内容は、これだ。
もし本物の「酒鬼薔薇聖斗」が本を書くのなら、筆名でネットもやってるだろう。
しかし、それならば、彼が医療少年院で親友になった青年と一緒に
本を作った僕のところに、偽名でアクセスしてきてもおかしくない。
というのも、あの事件以後、本人になりすました「ニセの酒鬼薔薇聖斗」がインターネット上には少なからずいたし、シャバに出てきた酒鬼薔薇聖斗くんは、そのことを知ってるはずだから、もし本を出すことになれば、本人が書いたことを証明せざるを得ないことぐらい、覚悟できたはずだ。
いずれにせよ、今回の本について、脊髄反射で「読みたい」と反応する人って、何も疑わず、本当に本人が書いたと思ってるんだろう。
ふだん「マスゴミがーっ!」とtweetしてる人まで、「テレビや新聞などみんながそう言ってるから」と情報を鵜呑みにしてる。
彼らは出版社の思うつぼであり、良いカモなんだわ。
冷静に考えればわかることだけど、少年犯罪の加害者を個人特定し、身元確認するって、かなり大変なこと。
2015年6月14日現在、太田出版は、著者が「酒鬼薔薇聖斗」本人である確証をまだ見せてない。
著者が誰かわからないのだから、本の中身の真偽も不明ってこと。
だから、これはまだ「判断保留」の案件なんだよ。
著者の身元が明かされてない以上、本人かどうかは「わからない」のであって、わからない著者や著書に対して腹を立てたり、「良い本だ」とか「印税を寄付しろ」なんてコメントを先走るのは、愚かなこと。
そこで、著者が「酒鬼薔薇聖斗」本人かどうかは読めばわかるでしょ、みたいな理屈を言う人がいる。
でもさ、本という商品は、もともと「買って読まないと価値がわからない商品」だよね?
そうである以上、「信じるか信じないかは、あなた次第」という理屈に居直るなら、ズルい商法なんだよ。
話題を振りまき、釣られた連中に大量に売りさばいて、話題が沈静化してみんなが忘れても、出版社にはちゃっかり利益だけが残るんだからさ。
このHIROさんの指摘は、きわめてまっとうだろう。
「酒鬼薔薇聖斗が書いたという本」という記号を目にしてどんなリアクションをするかは、メディア・リテラシーを習熟しているかどうかを図る一つのものさしになる。
出版社が「この本は酒鬼薔薇聖斗が書いたんですよ」と自己申告しただけで、それを鵜呑みにして「買いたい」と脊髄反射してしまうのって、「俺だよ、俺!」という電話をとって「ああ、○○ちゃんかい」と自分の息子の名前を言ってしまうおばあちゃんと同じレベルのリテラシー(情報理解度)だから。
情報には、事実と、ウソと、「わからないもの」がある。
だから、情報が出尽くしてない段階では「わからない」で判断を保留する構えでいないと、自分だけが損をする。
しかし、冷静さを欠き、「酒鬼薔薇聖斗が書いた本」と発表しただけで買ってくれるバカが10数万人もいるんだから、太田出版もホクホクだろう。
ただし、それよりもっと深刻な問題は、今回、大手マスメディアにもリテラシーがないことが露呈した点だ。
■テレビや新聞が「釣りネタ」を出すのは、収益減を怖がる彼ら自身の生存戦略 少なくとも、今日(6月14日)までの一連の報道には、「著者が本当に本人か?」という疑問を出版社に本気で問いただしたものは見られなかった。
ワイドショー番組や娯楽系の雑誌記事なら、それも仕方ないだろう。
だって、表現を比較してみれば、わかるじゃん。
A 「酒鬼薔薇聖斗が書いた本が出版されました」
B 「酒鬼薔薇聖斗が書いたかもしれない本が出版されました」 BよりAの方が、より多くの人の関心を煽ることができるのは、誰でも理解できるはずだ。
今日までの一連の報道では、なんとニュース枠のテレビ番組まで、Aの表現をとっていた。
著者が本人だという出版社の言い分を、検証することなく鵜呑みにしているのだ。
事実を確かめるのがジャーナリズムだとしたら、大手の新聞社・テレビ局の「社員ジャーナリスト」たちは、こぞってジャーナリズムを放棄したってことだ。
それどころか、特定の出版社の特定の商品の広報・宣伝を手伝ったようなものだ。
どれだけ日本のマスメディアが劣化しているのか、よくわかった。
僕は、「こんな民度で政府が戦争を準備したら、やっちまうな、日本は」という恐怖すら覚えた。
大本営発表を信じてた戦時中の日本人と変わらないんだもん。
では、なぜマスメディアがこぞってこのスキャンダラスな話題に乗ったのか?
その理由は、カンタンだ。
視聴率や読者をなるだけ稼いで、広告収入をなんとか増やしたいからだ。
まず、新聞の売り上げ(読者数)だけど、
とんでもなく激減してる。

売り上げトップの
読売新聞は、60万4530部減(前年同期比6.13%減)。
朝日新聞 44万2107部減(5.87%減)
毎日新聞 5万1587部減(1.54%減)
日経新聞 2万5585部減(0.92%減)
産経新聞 2316部減(0.14%減)
1年間だけで、こんなに読者数を減らしてるのが新聞業界。
一方、
テレビ番組の視聴率も、急激に低下している。

新聞もテレビも、広告収入でメシ食ってるわけだから、読者や視聴者が減れば、とにかく増やしたいわけ。
読む人や見る人が減ってしまえば、広告料金を払うスポンサー企業が逃げてしまう。
広告収入が減れば、これまで高収入だった社員たちの暮らしにもじわじわと響いてくるんだからね。
そこで、テレビの場合、コマーシャルタイムを多くしたり、広告代理店でも広告の単価を上げられる仕組みを作る。
実際、すぐにコマーシャルに入る番組、増えたよね。
しかも、純粋な番組のように見えて、なぜか突然に企業や商品・サービスの紹介を始める番組も増えてきた。
ペヤング復活のニュースを報道枠でやってると思ったら、その番組のスポンサーがペヤングだったなんてこともある。
もっとも、誌面スペースに限りがある新聞では、印刷費のかかる紙面そのものを増やすのは難しいから、端的に収益は減る。
それが、
以下のような数字になるってこと。

こういう事情をふまえれば、新聞やテレビがBではなく、Aの表現を使うことが、彼ら自身の生存戦略だとわかる。
つまり、釣りネタとして旬なうちに炎上をおこし、週刊新潮あたりの少年犯罪の実名報道を平気でやるような雑誌が新事実をすっぱ抜いたら、それに乗っかってまた炎上の油を注ぎ、そのたびに「新聞やテレビを見てください」と誘導するわけだ。
日本の読者や視聴者は、それだけ新聞やテレビの高給取りの社員たちになめられてるってこと。
公益に資する仕事をかなぐり捨てても、自分や自社の利益だけは必死に追い求める連中にね。
もちろん、事件取材をたくさんしてきた記者も抱えているのが新聞社やテレビ局なので、1人や2人の若手は思ったはずだ。
「せめて独自取材で著者の身元の確証がとれてから、『酒鬼薔薇聖斗が書いた本』と報じても遅くないのでは…」
しかし、「上」の人に肩を抱かれて、笑顔でこう言われたはずだ。
「きみも、このままずっと高給取りでいたいだろ。ここは『大人』になろうや」
社員ジャーナリストは、組織内の事情≒広告収入の前に従うしかないわけだ。
どこの会社にもある光景ではないか。
■「元少年A」とは、誰なのか? ここで、「元少年A」を名乗る人と、本物の「酒鬼薔薇聖斗」が異なる可能性について指摘してみたい。
著者が本人である可能性もあるが、太田出版が確証を出さない以上、本人でない可能性も同時にあるからだ。
ざっくり言えば、以下の3点に疑いがある。
(1) 「酒鬼薔薇聖斗」と名乗れば、誰でも本が出せる 「本が売れない」という嘆きが当たり前になった出版業界では、1点でも短期間に売れまくって現金収入を増やせるベストセラー候補の新刊企画に飢えている。
売れると見込めれば、その分だけ経費をかけられる。
有名人だからといって文章力があるとは限らないので、ゴーストライター(代わりに書く人)に執筆をお願いすることは珍しくない。
知名度があるのに、文章力がないために売れ行きが不振になると困るので、ゴーストを使うのだ。
持ち込み原稿でも、外注のライターやフリーの編集者に「代理人」になってもらって文章を直してもらうことはよくあることだ。
「酒鬼薔薇聖斗」はビッグネームだからこそ、太田出版は
「初版10万部」という今日の出版業界の常識では考えられないほど多い部数を刷った。
売れる見込みを感じていたのは、間違いない。
売れると見込んでいるのだから、売りさばくのに必要な経費も潤沢にかけるのが商売人として当然の販売戦略だ。
素人の持ち込み原稿をそのまま活字にして出版することは、編集者の仕事としては通常、ありえない。
それは、出版業界にいれば、どんな社員編集者もうなづくことだろう。
優秀なゴーストライターを雇って、当時の事件とその後の「酒鬼薔薇聖斗」に関する記事、医療少年院の関係者・入院経験者などの情報、そして現地取材などにかかるコストを負担するだけの価値はある。
プロの書き手に潤沢な経費をかければ、「酒鬼薔薇聖斗」らしい文章や文体、内容をいくらでも演出できる。
それが「編集」というスキルであり、そのスキルをどう使うかは、編集者の社会性のあるなしで決まるのだ。
要は、「この本の著者は酒鬼薔薇聖斗である」と言ってしまえば、誰が書こうと売れるってわけ。
売れるチャンスがあるのに、素人の原稿にまったく手を入れない方が可能性が低い。
そう見るのが常識的だ。
しかも、著者への取材について、この本の担当編集者で太田出版・取締役の落合美砂さん自身が、こう答えている。
「取材を受ける予定は一切ありません。
この本そのものが、彼自身の考えなので。
これ以上コメントを出すということはない」(
弁護士ドットコムより)
「酒鬼薔薇聖斗」が少年犯罪だったゆえに個人情報を秘匿するという「正義の隠れ蓑」を上手に利用したとも取れる構えだ。
「正義の隠れ蓑」で著者の身元を隠したい出版社と、出版社に確証を求めない方がいつまでも釣りネタを温存できるマスメディア。
両者の思惑がwin×win関係として結びついた今、しばらくは著者の身元がわからないまま、本が売れてゆくのだろう。
(2) 「酒鬼薔薇聖斗」を自称したい人は山ほどいる 今回の本を手に取って、「これは酒鬼薔薇聖斗っぽい」という独特のセンスを感じる人がいるのは当然だ。
本を買った人は誰も本物の彼に会ったことが無いので、「これが彼独特のセンスだろう」と認知してしまうのだから。
そこで冷静に考えてほしいのは、人を殺した10代や、それによって
医療少年院に入ったことのある人は、たくさんいるってこと。
当然彼らは今、シャバである僕らの社会でふつうに暮らしてる。
「酒鬼薔薇聖斗」を特別視したいのも人情だろうけど、現実には彼とさほど変わらないメンタリティでシャバで暮らし、働いてる人たちは少なからずいるのだ。
それどころか、「俺こそが酒鬼薔薇聖斗だ」と主張し、「彼になりすましたい人」も少なからずいて、かつてネット上ではそうした人たちが盛んに「酒鬼薔薇聖斗」を崇拝する書き込みをしていた時期があった。
いずれもハンドルを使った匿名での書き込みだった。
つい最近でも、昨年3月3日に千葉県柏市で発生した連続通り魔事件の竹井聖寿容疑者(24)が
「サカキバラ(酒鬼薔薇)を尊敬」とインターネットに書き込んでいた。
つまり、「酒鬼薔薇聖斗」を心情的に理解・共感できる感性の持ち主は、珍しくないってこと。
そういう人物を1人でも見つけて取材をすれば、「独特のセンス」とやらは、プロのライターによって正確に記述できる。
週刊新潮が今年1月、「さる事情通」の話として、
幻冬舎で出版する企画が持ちあがったことをすっぱ抜いた。
「1年以上前から人づてに元少年と接触し、すでに聞き取り取材を終えている。
名前や写真は載せないものの、事件を懺悔する内容の手記という形で、原稿も出来上がっている」
しかし、この企画はとん挫した。
「出版の予定はなく、元少年やその関係者に接触したこともありません」と、同社総務局がコメントを出したのだ。
同社の見城社長は、その週刊新潮の記事でこう答えている。
「万万が一、予定があるとして、出したらいけないの? 彼は残虐な殺人を犯したけれど、法に従って少年院に入って、反省して出てきているわけでしょう。新たに犯罪を犯してもいないのに手記がダメなら、何のための法律ですか」
「僕は、あの市橋の手記で懲りたんだ。まだ裁判が始まる前で、たまたま被害者が海外の人だったから何も言ってこなかったけれど、やっぱり公判前はまずかった。僕は、本を出すたび、“果たして出してよかったのか”と反芻しているんだよ」
「遺族だ、被害者だって言うけれど、屁理屈だよ。元少年は毎年遺族に手紙を書いているわけだし……。君たちだって、いちいち被害者に取材しないでしょう。大体、手記を出したところで、売れないって」
週刊新潮の記事が事実なら、利益優先でやってきた幻冬舎ですら、できあがっている原稿を放棄したことになる。
「1年以上前から人づてに元少年と接触し、すでに聞き取り取材を終えている」からこそ、著者の身元に関して確証がもてないとわかり、そのうえ「売れない」内容の手記だったからこそ、原稿の放棄を決定したのだろう。
そう考えるのが、商売人として合理的な考え方ではないか?
実際、法務省が総力を挙げて個人情報を守っている医療少年院の出身者の身元を確認するのは、プロの雑誌記者でもなかなか難しい。
本になる原稿の「手記」は、
「今年3月ごろに仲介者を通じて男性側から持ち込まれた」と太田出版は明かしている。
6月に出版しているから、印刷期間から逆算して、遅くとも4月中までに身元確認ができたことになる。
たった1カ月程度で本人の身元を確認できたとするなら、優秀な探偵やプロの記者などを探しあて、彼らに調査費のための大金を積んで、とんでもなく速い動きで確認できたってこと?
原稿を持ち込まれた時点では身元があいまいな人を前に、そこまで緊急に大金を投資するだろうか?
少なくとも、本作りしか経験してない編集者自身が身元確認をサクッとやってのけるとは、にわかには信じられない。
ちなみに、3月に持ち込まれた新規案件なのに、1か月も経たないうちに企画がOKになることは、太田出版ではまれだ。
通常は社内会議を経て、3か月後に出版の可否が教えられる。
それを思うと、「仲介者」が以前から太田出版と浅からぬ縁があったのか?
それなら、太田出版は「仲介者」との信頼関係の上で、「著者は酒鬼薔薇聖斗である」という真実を担保してもらう形で企画を進めた可能性はある。
では、著者の男性を出版社に仲介した人とは、いったい誰なのか?
もし弁護士や司法関係筋なら、その仲介者自身が著者の身元を明かせる担保を知っているはずだ。
まともな「仲介者」であれば、著者の代わりに取材に応じたり、自分が矢面に立っても著者を守るだろう。
ところが、著者はおろか、仲介者についても、出版社側ははっきりとした情報を出さない。
本人ではなく、「仲介者」すら表に出せない事情とは、いったい何なのか?
さらに言えば、身元が確かならば、なぜわざわざ「元少年A」と名乗らせたのか?
せめて筆名を作ってもらったり、記者会見を開いて持ち込みから出版までの経緯について詳細に説明し、著者が本人であることを証明してみせれば、堂々と売れるし、大きなプロモーションになっただろうに、なぜそれをしなかったのか?
謎は深まるばかり…。
読者には明かせない特殊な事情があるとしたら、それは何なのだろう?
(3) 遺族への手紙の内容を、「元少年A」は知らなかったのでは? 僕が一番引っかかったのは、「酒鬼薔薇聖斗」が長い年月をかけて遺族へ手紙を送っており、その文面に対して遺族が好意的とまで受け取れるリアクションをメディアに発表していた事実だ。
手紙は2004年に2通届き、2007年からは毎年届いている、と
昨年、報じられた。
今年3月には、山下彩花ちゃん=当時(10)の母・京子さん(59)が取材に応じ、「事件そのものに初めて触れており、事件に向き合っていることが分かる言葉がいくつもあった」と
印象を語った(以下)。

「元少年A」が太田出版に手記を持ち込んだのも、今年3月だ。
これを著者が本人である一つの証拠と考えるのも自由だ。
(もっとも、現時点ではそれしか証拠になりうる事実はない)
しかし、手紙を書いてきた「酒鬼薔薇聖斗」は、遺族の上記のようなコメントを観たはずだ。
許されるはずのない自分の罪に対して、遺族が許容的なコメントを出してくれてもなお、自分の利益だけを追い求めるだろうか?
たとえ、手記を持ち込んで、即決で出版が決まったとしても、7年もの途方もなく長い年月でようやく遺族の気持ちをつかんだことを知ってしまった以上、出版を辞退することもできただろう。
出版の辞退をしなかった理由を、「彼も生活や将来設計に切羽つまっていたんだろう」と納得するのはたやすい。
「どうせその程度の自分勝手な奴だった」と思うのも、自由だろう。
しかし、著者が本人ではなかったなら、遺族へ送った手紙の中身は知らないし、何度も遺族に手紙を書いていた痛切な気持ちも知るよしもない。
著者が本人なら、遺族の気持ちをほぐせるだけの率直な気持ちをつづっておきながら、「でも出版する時はお前らの許可なんてとらないよ。無断で書いちゃうよ」という態度に出るだろうか?
むしろ、子どもたちを殺した自分を許す構えを見せてくれた遺族に対して、「本を出版して印税を渡したい。僕にはもうそれ以外に償える手段がない。どうか許してください」と手紙でお願いしてもおかしくないのでは?
もちろん、率直さはあっても、殺された側の気持ちを大事にするほどまでには心の余裕が持てていないということはありうる。
もし、そうならば、著者に対して最大限の配慮することが出版社側に求められる。
どういうことか?
■元少年Aが「酒鬼薔薇聖斗」だったら、誰も幸せにしない悲劇が起こりうる 太田出版の名物編集者・落合さんの今回の仕事ぶりは、『完全自殺マニュアル』を出した1993年当時と明らかに異なる。
太田出版は、いろいろスキャンダラスな本を出し、それによってベストセラーを出してきた実績がある。
しかし、「元少年A」のように著者の身元を読者に明かさない本を手がけるのは初めてのはずだ。
著者が「酒鬼薔薇聖斗」である確証が明かされない以上、本の中身の真偽も判断できない。
これは、読者に対して示すべき信頼を放棄したのも同じだ。
もちろん、「信じるか信じないかはあなた次第」というオカルト本というジャンルはある。
しかし、今回は現実に起こった殺人事件を扱っているため、遺族や司法関係者はもちろん、多くの人々の関心を引きつけるものだし、そこでは事実そのものが明らかであることを担保しない限り、最低限度の信頼関係を読者に対して示せない。
その説明責任を果たさないままで商品をリリースすることは、表現の自由と価値をふみにじるものだ。
同時に、「本」という商品をめぐる社会的責任の大きさを浮かび上がらせる。
当然、遺族側は何もかもわからず困惑するだろう。
著者が
名誉棄損で訴えれられれば、著者は嫌でも法廷へ足を運ばざるを得なくなり、多くの人に名前と顔を知られることになり、著者は孤立する。
裁判が話題になることによって、また本が売れまくる。
「ネタがホットなうちに…」と、雑誌記者たちは必死で「元少年A」の身元を探り出すだろう。
雑誌部数の低迷を考えれば、めったにない美味しいネタに一目散に飛びつくのは当たり前だからだ。
著者はおちおち街も歩けなくなるかもしれないし、職に就くのも難しくなるかもしれない。
30代で数千万円を稼ぎ出そうとも、一生暮らせるほどの印税収入が得られる保証はない。
つまり、損をするのは、著者ばかりってこと。
太田出版、落合さんは、そこまで想定した上で、この本を出版したのだろうか?
落合さんに対してつっこんだ質問をしないテレビや新聞などのメディアに、僕はとてもいらだちを感じる。
万が一、著者が本人なら、やがて法廷に呼び出されるだろう。
それがイヤでまた犯罪をおかして刑務所に逃げ込んだり、自殺するような事態を招いても、話題が続くことによって太田出版は儲かり続ける。
被害者の土師(はせ)淳くん(殺害当時11歳)の父・守さん(59)は、出版を知って、
こう言っている。
「私たちの思いを踏みにじるもの。もし少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしい」
「メディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました」
「先月、彼からの手紙を読んで、彼なりに分析した結果を綴(つづ)ってもらえたことで、私たちとしては、これ以上はもういいのではないかと考えていました」
「遺族に対して悪いことをしたという気持ちがないことが、今回の件で良く理解できました」 土師さんの代理人が今月13日に明らかにしたところによると、
太田出版に本の回収を求める申し入れ書を送ったという。
著者が万が一、「酒鬼薔薇聖斗」だったら、遺族からの回収願いを無視できないだろう。
もし無視すれば、民事事件として法廷闘争にまで発展し、法廷で身元がばれるのを恐れた著者は、孤立の果てに再犯か自殺かを迫られる。
今日までずっと孤立していたからこそ、「自分のことしか考えられない」状況に発展し、今もなお「心に余裕のない人」のままだったのだろうし、出版停止に応じても、今度は生活設計が成り立たなくなるばかりでなく、プロの記者たちから身元を探られる恐れが日に日に増すことになる。
出版しても、地獄。
出版を停止しても、地獄。
僕は、「元少年A」を名乗る人間が「酒鬼薔薇聖斗」本人ではないことを、切に祈りたい。
万が一、本人だったら、本人はもちろん、彼の家族も、友人たちも、医療少年院時代の担当教官や保護司たちも、遺族も、「酒鬼薔薇聖斗」を信じていたい多くの精神病者たちも、そして殺された子どもたちも、誰も救われない結果になりかねないからだ。
この悲劇を少しでも回避するには、雑誌に本名や住所、現在の交遊関係などをあらいざらい暴露されて世間から後ろ指を指されて居場所を失う前に、出版社側が著者と一緒に記者会見を開くことだ。
記者会見で著者の顔と名前をさらした上で、「この出版を機に彼の自尊心と今後の安全を太田出版は全力で守っていく。そのための経費を残した以外の収益は、印税だけでなく、出版権で自社に入る売り上げの一部も含めて遺族に提供したい」と宣言するしかないだろう。
隠れようとして誰かにバレて身元が割れれば、世間的なイメージは最悪になり、世間を敵に回す。
しかし、自ら人前に出るのなら、本人の弁も含めて、一部の人は聞く耳を持つ。
人生は続いていくのだから、どこかで落とし前をつける覚悟をしなければ、酒鬼薔薇聖斗は、いつまでも追われる身だ。
すでに、この本は増刷がかかり、10数万部を売ってしまった。
著者の印税収入は1200万円以上(税込)になり、出版社は4000万円以上の粗利を得ているはずだ。
そして、これからもどんどん売れていけば、その分だけネタとしてマスメディアの餌食になる。
みんなが寄ってたかって本を買うこと自体が、どんどん著者を孤立へと追い詰めていくってことだ。
大きな収益には、それに見合うだけの大きな社会的責任を出版社が取らなければ、損をするのは著者だけになる。
落合さんは、かつて自身が編集した『完全自殺マニュアル』が「有害・不健全図書」に指定されることを恐れ、
著者の了解を得ないまま18禁の帯を付け、本全体をビニールパックする自主規制を実施した。
今回も、著者を身を挺して守ることなど微塵も考えていないはず。
酒鬼薔薇聖斗を「自称」する著者の作品を遺族に無断で出版したことは、これまでの業績をいっぺんにフイにしてしまう愚挙だ。
世間での評判を気にせず、自社の売上が増えればそれでいいの? 落合さん。
大事なことを忘れてないか?
もちろん、ここまで書く以上、僕だって覚悟を決める。
だから、誰もが見られるtwitterに、こう書いた。
もっとも、いつまでも待っていられるほど僕の人生の時間は安くないし、覚悟も無しに不当に稼ぎ続ける人間を無条件で受け入れるほどお人好しでもない。
著者自身が「仲介者」を誘って太田出版に一緒に記者会見をやることを求め、2015年6月いっぱいまでに記者会見で身元を明かすことが実現しなかったら、僕は連絡をもらっても、相手にしない。
身元を明かさない「透明な存在」を、人間として守ることはできないからだ。
今回の騒動に思わず乗っかってしまった人たちに、改めて問いたい。
「元少年A」の本を買うことは、殺人者と利益最優先の出版社に大金を与え、遺族の方々の心も傷つけ、マスコミにつけ狙われる新たな恐怖の日々を「元少年A」に与えて追い詰めて、誰も幸せにしない悲劇的な末路へ、あなた自身が導くことだ。
そんな誰が書いたか、わからない本より、生きにくさや犯罪を増やす社会を変えるための
『よのなかを変える技術』が売れる方が、生きやすい時代になると思わないかい?
『よのなかを変える技術』の副題は、「14歳からの
ソーシャルデザイン入門」だ。
14歳とは、酒鬼薔薇聖斗が子どもたちを殺した時の年齢。
この本を買うと印税の一部が
「ハタチ基金」に寄付され、東北で被災した子どもたちの育ちを支援できる。
誰も殺さなくて済む14歳を、僕は育てたい。
何度失敗してもやり直せる時代を、僕はみんなと一緒に作りたい。
あなたは、どんな時代にしたいの?
選ぶのは、あなた自身。

今より生きやすい「よのなかの仕組み」を作り出すソーシャルデザインについて、もっと知りたい方は、以下のイベントに足を運んでほしい。
予約が始まっているので、お早めにチェックしてほしい。
酒鬼薔薇聖斗くんも、これを見て僕に会いたいと思ったなら、そっとメールで声をかけてくれよ。
願わくば、きみの口から「ニセモノが現れて僕自身、迷惑してるんですよ」と聞いてみたいものだ。
■7・7夜 大阪でソーシャルデザイン「よのなかを変える人たち」(←クリック)
7月7日(火) 開場 PM6:30 開演 PM7:30~PM10:30/大阪ミナミ ロフトプラスワンWEST(※Googleに日本一に認められたホームレス支援、LGBT、動物殺処分ゼロなどの団体が集合)
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