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■気分はもう、戦争。 ~きみの作法は、きみ自身を生きやすくしているか?


 内閣府の行った東京在住者の今後の移住に関する意向調査によると、東京在住者の4割(うち関東圏以外出身者は5割)が地方への移住を検討している(または今後検討したい)と考えている。

 とくに、 30 代以下の若年層及び 50 代男性の移住に対する意識が高い。

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 こうした動きを象徴するものとして、地方で農業を始める女性たちが増えている。
 その実態については、伊藤淳子さんの最新刊『農業女子』(洋泉社)にくわしく描かれている。

 力仕事や農機の扱いなどを除けば、女性だからといって特別に困ることがないのが農業という仕事だ。

 たとえ力や機械が必要でも、ボランティアワークを公募したり、研修やマニュアルを調達できるインフラも整っている今日、未経験者でも農家という仕事を選択肢に入れることができることが、同書を読むことでわかった。

 ストレスフルになるのは、農業という職種以上に、地域社会に上手に溶け込めるか、昔ながらの農協依存型の既得権益層とどう折り合いをつけるかということかもしれない。

 だが、これも数十年の年月の中では遅かれ早かれ、慣れてもいくし、農業界自体が変わらざるを得なくなるだろう。

 女性が農業に進出するムーブメントが右上がりに成長すれば、生産性も収益も向上するため、彼女たちの戦略やセンスを学ばなければ、高齢化で農地がただの不良債権化するだけだからだ。

 すでに若い女性たち(40代までを含む)がさまざまなやり方で農家として飯が食えるようになっている現実を知ることは、彼女たちのニーズによって農家を支えるさまざまな産業も活性化することを知ることだ。

 ファッション、農機、車、ショップなど、農業女子にインスパイヤされて新商品の売上を向上させた企業も、同書では続々と紹介されている。

 なお、5月12日の夜、その本の著者の伊藤淳子さんを招いてイベントを開催する。
 ご予約は、下記リンクから今すぐ!
http://conisshow.hatenablog.com/entry/2015/04/23/204003

 同書は、土地に根差す生き方に関心があれば、面白く読める本なのだが、土地や共同体に縛られたくない人(あるいは生きづらいと感じる人)は、「ここではないどこか」を求めて日本から脱出し、国から国へと旅を続ける。

 5月12日のイベントに僕が2人目のゲストとして招いた片岡恭子さんは、昨年『棄国子女』(春秋社)を発表した。

 日本での生きづらさに窒息し、「ここではないどこかへ」と海外を転々と旅することにした片岡さん自身の実録本で、いわゆるライター仕事の本とは異なる「作家デビュー」ものだ。

 家族や地域社会、日本独特の同調圧力の空気にうんざりしてる人には、旅に出たくなる一冊かもしれない。

 昔、僕が風俗取材で出会ったある風俗嬢は、実父に日常的にレイプされていた経験を語った。
「今は同じことをしてるのに、お金もらえるんだよ。ずいぶんマシ」

 何を幸せに感じるかは、人それぞれだ。

 やれ、「海外は危ない」だの、「風俗は危険」だの、いろいろ言いたがる人はいるだろう。
 けど、当事者にとっては、「それよりもっと怖い地獄」をすでに観ているのかもしれない。

 何が不幸なのかは、当事者自身に決めさせてほしい。

 実際、日本を脱出した「在留邦人」はここ10年で急増しており、すでに1%に相当する国民は海外で暮らしている

 外務省が発表した、「海外在留邦人数・進出日系企業数の調査結果」 (平成26年要約版) によると、同省が在外公館などを通じて実施した調査の結果、2013年 (平成25年) 10月1日時点で海外に在留する邦人総数は125万8263人だった。

 これは前年より8686人 (0.7%) の増加となり、過去最多を更新したのだ。

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 上記をざっくり分析すれば、金のある日本人はアメリカや中国で暮らしながら働き、金のない日本人はタイやオーストラリアに「外こもり」をすることで、生きづらい日本から脱出するという生存戦略を採用したということだろう。

 さて、『農業女子』のように一つの土地・共同体に根差した生き方を「歴史的作法」とするなら、『棄国子女』は自己責任で異なる常識を持つ土地を転々と求める自由を求める生き方であり、「地理的作法」といえる。

 自分が暮らしている土地の「よのなかの仕組み」が生きづらいものと感じられるとき、「べつの土地の一か所に根付く」か、「ここではないどこかを求めて土地から土地へと転々と旅をするか」は、その人の資質や学び、人生のタイミングなどによって選ばれることになる。

 ただし、自分がどっちの作法によって救われやすい資質なのかを自覚しておくことは無駄であるまい。

 実際、自分を窒息させる常識などの「よのなかの仕組み」を押しつける同調圧力にどう対処するかの場面で、作法の違いはそれぞれ別の結果を導く。

 歴史的作法を当たり前に採用している人は、「よのなかの仕組み」がどんなにダメなものであっても、ガマンしながら慣れていき、慣れなければ死を思いつめてしまう。

 地理的作法を当たり前に採用している人は、「よのなかの仕組み」に対する違和感を募らせたら、自分が生きやすい常識のあるべつの土地へ移住をくり返しながらも、旅に疲れたり、「ここではないどこか」に期待できなくなる日が訪れる恐れから逃れられない。

 人は、歴史的作法だけでも、地理的作法だけでも、行き詰まってしまうものなのだ。

 そこで、もう一つ、オルタナティブな選択肢を人類は築き上げてきた。
 それが、もっと生きやすい新しい常識を作り出そうとする「公民的作法」だ。

 20世紀までに立法・行政・司法という三権分立の制度として、公民的作法は制度の中に組み込まれた。
 しかし、日本では制度としての民主主義はあっても、国民の内面に民主主義は根付いているとは言い難い。

 民主主義や国民主権とは、文字通り、民間の市民自身が「よのなかの仕組み」を作る主体としての権利と責任を持つという意味なのだが、10代の頃、小中高などの在校時代に友人や先生にこんなことを言われた人は珍しくないだろう。

「おまえ、学級委員でもないのに、えらそうに『掃除しろ』なんて言うなよ」

「きみは生徒会でもないのに、なんで『この学校をもっと面白くしたい』なんて考えるの?」

「生徒はね、目の前の勉強のことだけ考えてればいいの。政治や社会のことは、大人になってから考えなさい」

 このように、日本では、教育現場や家庭環境で、「よのなかの仕組み」を作る主権者としての自覚は養われていない。

 それどころか、「よのなかの仕組み」を作るのは、政治家や官僚、大企業の経営者などに任せておけばいいという風潮が今なお根強くある。

 だから、政治や企業に文句や不平を声高に叫ぶばかりで、ガス抜きした後は思考停止し、いつもの生きづらいよのなかにガマンするという習慣が身についてしまった人が多い。

 その結果が、今きみが感じている生きづらい社会だ。

 でも、その構図に気づき、「やっぱり民間で市民自身が自分たちの作りたい社会を作るために、『よのなかの仕組み』を変えていく必要がある」と感じ、政治や行政、既存の企業などでは満足に解決できない社会的課題を、それによって困ってる当事者を主体とする形で解決しようと動き出している人たちもいる。

 それが、ソーシャルデザイン/ソーシャルビジネスの担い手だ。

 このように生きづらい「よのなかの仕組み」をみんなが生きやすいものへ更新・変更しようという構えこそ、本来の「公民的作法」といえる。

 それは、社会的課題に苦しむ当事者たちによる「問題縁」としてのリアルな動機で結びついて動いているため、本来の意味での民主主義的な作法を日本人が会得するチャンスとしての萌芽として期待したい。
 
 生きづらい社会にある「よのなかの仕組み」に対して、ガマンして慣れるか(=歴史的作法)、ガマンしなくて済む土地を求めてさまようか(=地理的作法)、ガマンしなくても済む「よのなかの仕組み」を作り出そうとするか(=公民的作法)?

 人がまっとうに生きようと思えば、この3つの選択肢のいずれかを選ぶことになる。
 逆に言えば、この3つ以外の作法を採用しようとすれば、違法や脱法、自殺といった結末しかありえない。

 どれを選ぶかは、権利として各人にゆだねられている。
 しかし、個人が作法を選択できるのも、タイムレースの中で期限を迫られているのかもしれない。

 著名投資家のジム・ロジャーズ氏は、「安倍首相は日本を破綻させた人物として歴史に名を残す」と言い切っている。

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「もし私が日本の若者だったら、外国語を習得して日本脱出に備えます。
 もしくは、カラシニコフ銃を手に立ち上がり、革命を起こそうとするかもしれません(笑)」

 そんなことまで言うジムだが、中国語を学んだり、農業に従事することも、個人的な選択肢として提案している。
 でも、それは「日本が絶対に戦争をしないと自らを縛りつけていられるうちは」という留保付きだ。

 安倍・自民党の右傾化は、世界中の国々が心配している。
 なのに、日本の新聞・テレビでは、そうした「外からの視点」がないまま、ぼんやりとした報道がまかり通っている。

 経済的に破たんした時、外交がヘタクソな日本政府がこれまでに何をしたかは、歴史を見れば明らかだ。
 残念ながら、それは自分から仕掛けた戦争だ。

 日本政府は2014年春から武器輸出を始め、与党は非戦を誓う憲法第9条の改正に躍起になっている。

 もちろん、戦争勃発なんて避けたいことだし、考えたくもないことだろうが、アベノミクスの失敗は、ピケティ先生も指摘しているのだ。

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 僕自身は、公民的作法に希望を感じていたい。
 だから、14歳から無理なく学べる『よのなかを変える技術』(河出書房新社)という本を書いたのだ。

 東京から地方で農業を始めるか、より生きやすい国へ転々としながら自分の居場所を探すか、もっと生きやすい「よのなかの仕組み」を地道に民間から作っていくか?

 今後、日本人が自分の根を張って生きるための戦略には、とても悩ましいものがある。
 そんな話を、明日(12日)、千駄ヶ谷のサンクチュアリ出版1階のイベントスペースで語り合おう。

 伊藤さん、片岡さんに、根掘り葉掘り、農業や外国で生きる人々の話を聞こうじゃないか。
 予約は今すぐ、コチラから。

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