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■平和とは「関係」のこと ~「自分だけ良ければ」を主張するほど日本は小国じゃない


 平和とは、関係のこと。
 一方が戦争に勝利して平和になっても、相手に遺恨を残し、平和じゃないと思っていれば、争いの火種を温存する。

 遺恨を残せば、「いつかあいつを…」と軍備増強に走らせ、いつまでも平和は実現できないことになる。
 そこで、自分も相手も平和にするという発想があれば、無駄な戦いを避ける知恵を新たに生み出し、分かち合える。

 それには、自分自身と相手の恐怖や不安を取り除くことが必要になる。

 「力があればなんとかできる」って思うのは、マッチョな男の発想だ。
 そんな発想は、「力が無い者は死ねよ」という考えにつながりかねない。

 力を欲しがるのは、若くて世間知らずなマッチョな男だけ。
 彼らもやがておじいさんになる。
 足腰が立たなくなり、射精もできなくなり、認知症にもなるだろう。

 その頃に「軍備増強」なんて主張して戦争になったら、他国から空爆された時に体の弱い自分は真っ先に死んでしまうと、そこで初めてピンと来るんだろうな。
 戦争になれば、兵士だけでなく、高齢者、障害者、病人、子どもなど、弱い人から死んでゆく。

 力より大事なのは、愛に決まってる。
 弱い人が強くなれなくても生きていける社会にしなければ、若くて健康で力のある強者しか生き残れない寒い社会のままだ。

 弱い存在が弱いままでも平穏に生きられる「よのなかの仕組み」を民間では作り始めているし、それは世界的なムーブメントになってるのに、頭の中が20世紀で止まってる人、多いよね。

 パワーに依存する人は、相手を弱い存在に貶めたい支配欲求の塊だ。

 そうしたパワーに対する依存的な構えは、その人自身の恐怖や不安から生まれるものなので、「世界には自分より強い奴がいるから力をつけて守るんだ」という妄想に転化しやすい。

 自分の側だけが平和になれば、相手も自動的に平和になると思う勘違いが、そこで生まれる。
 相手を負かせば、相手が自分を憎んで、また戦争になるかもしれないという悪循環に気づけないんだね。

 それじゃ、いつまで経っても「戦争の世紀」が終わらないじゃん。
 それより、自分自身の不安や恐怖を取り払える「よのなかの仕組み」を作る方がよっぽど公益に資することだよ。

 コミュニケーションスキルに自信がない人ほど、「誰かよりも強くなくちゃ」という不安にかられるんだろう。
 そして、異文化を必要以上に恐れる。

 相手をちゃんと知ろうとする構えも経験もないことに無自覚だから、「敵だ。怖い。武装しなくちゃ」と短絡する。
 こんな愚かな発想こそ、平和ボケなのよ。

 自分と相手が互いに相手に対する不安や恐怖を取り除くコミュニケーションのチャンスを増やすことから平和を作ろうとしないと、一方的に「自分だけの平和」を求めるようになる。

 そうしたひとりよがりは、最初から争う構えを見せるのと同じ。

 争う構えを見せられたら、誰だって身構えるよね。
 それも、相手が大国なら、なおのこと、そうなる。

 そこで、昨年、毎日新聞で発表された日本の軍事費を観てみよう。

gunjigi.jpg

 アメリカや中国に比べれば、日本の軍事費は圧倒的に少ない。
 人口や経済の規模でも、日本は彼らに100%負けてる。

 しかも、日本の人口は減り続けると予測され、経済成長も低成長で精いっぱいだ。
 これで彼らに戦争で勝てると思う人がいたら、勝算のない太平洋戦争を始めた昔の日本人と同じ。

 莫大な増税をして軍事費を増やしたところで、70年間も実戦経験のない日本の勝算は限りなくゼロ。
 というか、今以上の増税、しかも莫大な増税を、誰が望むだろうか?

 逆に、韓国など日本より人口も軍事費も少ない国にとって、日本の軍備は現時点ですら脅威に映ってしまう。

 こういう日本の現況に照らせば、軍備=武装よりもっと賢い平和維持の方法を提案するのが、世界の中でも大国に入る日本の選択肢になる。

 大国には、大国ならではの大きな社会的責任が生じる。

 アメリカや中国が20世紀の遺物のような発想でその責任を軍備とするなら、日本は70年間も戦争をせずに経済的な繁栄をしてきたこと自体を誇ればいい。

 非戦を誓う憲法9条こそ守り抜き、それを世界に輸出すればいい。

 「円」が国際的な信用通貨として維持できた実績も、持続的な経済成長も、非戦=平和を守ってきたからだという論理は、世界中に通用する説得力だ。

 アメリカがいつまでも傘になりたいなら、なってもらえばいい。
 そして、軍備を続ける限り、戦争が続き、武器商人しか幸せにしないことをハッキリ世界に伝えればいい。

 日本はアメリカとは違う。

 戦争で勝つのを英雄視したりもしないし、相手を負かしてしまうことで相手が必要以上に傷つくことを避けたいと配慮できる「武道の教え」も古来からある。

 70年代に日本のアニメブームに火をつけた歴史的な作品『宇宙戦艦ヤマト』を、僕は小学校の頃に見た。

 地球に攻めてきたガミラス星の人と「自衛の戦争」をしなければならず、ガミラス星を殲滅(皆殺し)してしまった地球代表の日本人は、勝った喜び100%でその勝利を受け止めたか?



 日本は、第2次世界大戦でアメリカに負けた。
 戦勝国のアメリカは、いまだに原爆投下が早期の戦争終結を実現させる良いものだったと教えてる。

 しかし、ベトナム戦争で従軍し、生き残った人たちの中には、PTSDに悩まされる人も多いと聞く。
 その中には、ホームレスになり、日本で憲法9条の大切さを伝える講演をし続けた人もいる。

 アレン・ネルソンさんだ。



 異文化の相手とちゃんと付き合ったこともないのに敵視するのは、不安や恐怖が先立ってるから。
 自分自身の不安や恐怖を取り除こうとせずに、相手にばかり多くを求めるのは、コミュニケーションスキルが低い証拠。

 島国・日本では、国内の需要だけで飯が食えていた時代が長かったから、外国人とつきあうチャンスが乏しかった。

 だから、メディアからの情報だけで外国人のイメージをもってしまい、外国人を怖がったり、さげすんだり、関心がない人もいて、外国人とのコミュニケーション・スキルを高められない人たちが今なおいる。

 外国人という異文化に対する彼らの恐怖や不安を取り除くのは難しい。
 そう思いがちの人も一部にいる。

 そのために臨床心理士というプロがいるんだよ。
 カウンセラーはまさに毎日、人々から恐怖や不安を取り除く仕事をしているし、学校でも教師たちが年月をかけ、労力を払い、子どもたちから子どもにとっては異文化である大人社会に対する不安を取り除いてる。

 大学では比較文化論を教えたり、NPOは多文化共生の社会インフラを多様に作り出している。
 地域活性化でも、外国人観光客を誘致しようと、さまざまな宗教や文化に配慮したビジネスを急速に展開中だ。

 異文化に対する日本人自身の不安や恐怖を取り除く技術を、いろんな現場で日々洗練させている。
 それが、先進国・日本の最先端の仕事ぶりなんだ。

 やがて、日本人が一方的に怖がってる属性の人に講演してもらうチャンスを企業や学校に作れるだろう。

 外国人、前科者、路上生活者などにギャラを払えるビジネスとして持続可能な活動にし、根付かせていく必要がある。
 多様な人との出会いで「誰もが自分と同じ弱者なんだ」とわかれば、根拠なき恐怖や不安は減り、敵対心も消える。

 つきあいの経験値を高めれば、「べつに怖い相手じゃなかった」と思い直すチャンスは多い。
 異文化と出会わせ、コミュニケーションのチャンスを作り出すことは、そのこと自体が平和運動なのだ。

 なのに、自分の国が世界でも有数の大国だと知らずに、他国を怖がるばかりなんて、あまりにも自国と異文化を知らなすぎる。

 先の戦争で負けたのも、「米英は鬼畜だ」で思考停止したからだった。
 アメリカは日本人のエトス(行動作法)を研究し、戦闘と統治に活かしたのに、そうした社会学的な分析すら戦争当時の支配者層は放棄した。

 その歴史的事実を知っているなら、平和な関係を作るのに真っ先にやっておかなくちゃいけないのは、異文化に対する深い理解だ。

 こちらが相手の文化、自国とは異なる文化を先に理解しようと努めず、ただ怖がってばかりなら、それはどんなに軍備増強したところで、どこの国にも勝てはしないだろう。

 愛されたいなら、真っ先に自分から相手を愛して受け入れる。
 こんなシンプルなことが理解できない人は、いろんな意味で余裕を失っているのかもしれない。

 実際、現代日本には、自分の対人恐怖の程度を自覚できず、コントロールパワー(支配欲求)を正当化したがる男が珍しくない。

 彼らは臨床心理士の信田さよ子さんの本など読んだこともないのだろうし、保守であっても愛国者・小室直樹さんの『新・戦争論』だって読んだこともないのだろう。

 日本を小国と思い込み、弱い自分を助けてくれる相手がいないと思い込んでしまった人は、「何がなんでも強くなければ生きていけない」と盲信し、自分が強くなることで誰かを相対的に弱い存在にならしめ、支配的に振る舞うことを平和だと誤解してしまうのかもしれないね。

 でも、 未来が過去の「本流」の延長線上に必ずあるとは限らない。
 むしろ、本流にとって「想定外」のところからイノベーションは興るし、社会や「よのなかの仕組み」は変わってゆく。

 従来の発想ではないところから「よのなかの仕組み」は変えられる。
 アメリカでダメな「よのなかの仕組み」を民間で変えている社会起業家がクレイジーと言われるように。

 弱い人が弱いままでも不自由なく生きられる社会を作ろうと、民間で新しい「よのなかの仕組み」を作り出してる人たちが世界中に増えてるんだ。
 それなのに、「弱いままだと生きていけない。強くならなければ…」という発想1本槍で、それを他人に強いる人たちがいる。

 誰も万能ではないのだから助け合えばいいだけなのに、自分にはそれが難しいから他の人にも絶対に無理だと思ってしまうのだろう。

 でも、ダメな現実は変えられる。
 現実に、世界中で民間人の市民たちが日々の仕事を通じて、より良い社会を作ろうと働いてる。

 どこの国もバカな政治家はいるけど、政府が使う税金より民間市場で動いてる金の方が圧倒的に多いのだから、民間人がより良い社会を作ろうとすれば、アホな政治家による支配を避けられるんだよ。

 歴史というのは、1つの線がずっと続くものではなく、いくつもの線が同時に絡まり合いながら、それまでとは異なるベクトルへ想定外に進んでいくもの。

 政治だけがよのなかの行く末を決めるわけじゃないんだよ。
 経済(民間市場)や文化交流、さまざまなメディアやイノベーションなどが重なり合って、あっと驚くような未来が来るの。

 コンピュータはIBMが巨大なものを作って政府や大企業に納品してるものだから、個人ががんばっても仕方がないよ。

 …なんて常識を鵜呑みにしてうなだれている人ばかりだったら、今日のように誰もがパソコンを使える世界は誕生しなかった。

 「世界をもっと良いものに変えてやるぜ!」というクレイジーな変人が、歴史を突然塗り替えるの。
 なのに、自説に都合の良い過去の断片だけが未来までつながると盲信し、「1つの線」しか見えてない人は少なくない。

 もし、そうであっても、不安や恐怖が見せる暗い未来ではなく、希望を作り出せる未来の線を信じられる「よのなかの仕組み」を作り出すことはできるはずだ。

 昨日までのダメな現実を、より良い現実に変える努力をしないのなら、人の命の価値ってなんだろう?

 社会に対して絶望してる人は、絶望すべき社会しか見ることができなくなってしまう恐れがある。
 それは自分の知らないところで新たに生まれている希望の芽を、自分で摘んでしまう結果になりかねない。

 でもね、100人のうち99人が「ムリ」と判断するような難題でも、「じゃあ残り1人になってやる」という気概を持って、「明日世界が死滅しても花の種を植えよう」と孤独な戦いを始めてる人たちもいるんだよ。

 それがソーシャルデザインを手がける社会起業家たちさ。
 彼らは既に世界中で「弱い人が弱いままでも不都合なく生きられる社会」を民間で作り出している。



 日本のマスメディアはあまり彼らのことを取り上げないが、メディアに毒される前に自分の目で確かめてほしい。
 きみが、日本と世界の平和を望むなら。
 ジョン・レノンの『imagine』を「絵空事」ではなく実現しようとしてる社会起業家たちは世界中で急増しているんだから。

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