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■少年事件の実名報道は、少年を再犯へ導く ~『週刊新潮』に関わることの恐ろしさ


 川崎市の中学1年生が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された18歳少年の実名と顔写真が、3月5日発売の「週刊新潮」に掲載された。

 それを受け、日本弁護士連合会は「少年法61条に反する事態であり、誠に遺憾である」という村越進会長の声明を発表した。

 なぜ「遺憾」なのか?
 リンク先を読んでもらえば、小学生でもわかる。

 実名発表は少年更生を難しくさせ、社会復帰後の少年の孤立を促し、再犯の引き金になりかねないからだ。

 たとえば、あなたの子どもが少年事件を起こしたとする。

 それがどんなに「仕方ない事情」によって引き起こされたものであっても、名前が公開されれば、インターネット上のどこかに本名が残り続ける。
 2ちゃんねるに残れば、削除要請をしてもほとんど無理だし、その頃には無数のサイトにコピーされまくっている。

 少年院や鑑別所を出た少年は、実家に戻りたくても、それ自体が難しくなる。
 親のいる家庭は、地域社会から「人殺しの親よ」と噂され、親は仕事ができなくなっているかもしれないし、たとえ引っ越ししても雑誌などのメディアから取材で探されてしまい、居を転々とせざるを得ない場合すらある。

 田舎でも、都市部でも、暮らすだけで大変だ。

 たとえ、そうした世間からのまなざしに耐え忍ぶことができたとしても、本名で仕事を探そうとする際、履歴書に空白の期間が残り、その空白の説明を求められてまともに答えれば、まず採用はされない。

 あなたの勤める会社が、「少年院出身者、歓迎!」と公募し、少年更生の役割を負う覚悟があるなら話は別かもしれないが、そんな会社は日本では「ほとんどない」と言っていいほど少ない。

 だから、少年院帰りの当事者には、本名を使わないようにしたり、履歴書の空白に虚偽記載を余儀なくされるケースも珍しくない。
 家族もそうした事情に耐えきれず、同じ世帯にわが子を住まわせることをためらう向きもある。

 つまり、本名を公開すれば、家庭にも、勤務先にも、安心して勤められず、非合法な仕事をせざるを得なかったり、失業したまま再犯を重ねて飢えをしのぐような生存戦略になりかねないのだ。

 そのまま、どこにも行っても生きていけない絶望を抱え持ったまま孤独と貧困をこじらせていけば、自分の運命に対する虚無感と、幼かったゆえに犯してしまった愚かさを許容しない社会への憎悪をふくらませていくだろう。

 だからこそ、実名報道は、過去の少年事件より大きな犯罪の引き金になりかねないのだ。

 週刊新潮による実名報道は、1997年に起きた「酒鬼薔薇聖斗」事件(神戸小学生連続殺傷事件)で実名を公開した『FOCUS』出身の編集長・酒井逸史さんの仕事だった。

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 少年事件は、被害者も加害者も名前を発表するリスクが大きい。
 被害者も、世間に知られることによって長い間、地域社会との付き合いが心理的負担になる。

 しかし、加害者にも、心理的負担は延々とのしかかるのだ。

 報道すれば、報道した編集部員やその家族も、やがて少年院出所後に社会復帰できない少年の標的になることを想定内にする覚悟が必要だろう。

 だから僕は、こんなツィートをした。


 通常、入社したい学生には仕事の社会的責任を説くのが、(表向きであったとしても)企業の姿勢だが、この酒井さんは社会的責任よりスクープ命の人らしい。

 出版業界にはCSR部署がない。
 時代から取り残されてる。
 そんな経営陣の下で、雑誌制作もどんどん時代遅れになる。

 部数が低迷するわけだよね。
 そこで、スキャンダラスなネタで読者を呼び戻そうとする。
 まるで向精神薬に依存症になった精神科の患者が、覚せい剤などの非合法のヤクに手を伸ばしてしまうように。

 依存症になれば、現実より自分に都合の良い夢しか見なくなる。
 少年事件の実名報道が、新たな犯罪の引き金になりかねない構図にも目をつぶるだろう。

 そして、報道した雑誌編集部は、なんら責任を引き受けようとせず、目先の雑誌の売上を最優先する。

 しかし、実名報道で迷惑をこうむり、人生が行き詰まった人は、必ずしも世をはかなんで自殺するとは限らない。

 少年院できっちり反省の機会を設けられ、更生の努力を精いっぱいしても、自分が社会に受けられないと知った時、その虚無感と憎悪が実名報道をした雑誌編集部に向けられないと、誰が断言できるだろう?

 「週刊新潮」の酒井編集長と社員編集者、あるいは新潮社の社長や社員、記事を書いたフリーの記者やカメラマンは、自分や自分の大事な家族が「返り討ち」にあっても、それを自分の仕事の結果責任として受け止める覚悟があるんだろうか?

 それでも、「俺は良いことをしたんだから責められるいわれはない」と信じ続けるのだろうか?

 こういうことを誰もが見られるネット上に書けば、僕は出版やメディア関係者から避けられ、仕事を失うかもしれない。

 しかし、そんなビビリの構えのままでは、この国のメディアはどんどんおかしな方向へ暴走し、社会悪を作る装置として機能してしまうのではないか?

 だから、勇気を出して、ハッキリ言おう。
 実名報道をする雑誌で仕事をする人も、そんな雑誌を買う人も、みんな再犯を作り出す共犯者だ。
 その責任を感じないなら、いつか自分にそのツケが回ってくる日が来るだろう。

 実名報道は、誰も幸せにならない。
 それを知るのが「返り討ち」が起きた後では、救いようのないことなんだ。


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