
この画像は、
Facebookで世界中の人々1万2000人以上の人が「いいね」をつけ、約4万7000人の人にシェアされてる(※2014年10月5日時点)。
どうやら、元記事は
コレらしい。
日本人なら、この画像が川崎市の金山神社の
「かなまら祭」と気づく人もいるだろう。
外国人たちが驚いたのは、日本の性に対するおおらかさだと思われる。
世界には、性のタブーの強い国は多いからね。
しかし、日本人なら、これがニッポンの伝統的なお祭りであることに異論はないだろう。
堂々と性器を人前に出し、みんなでそれを喜んで大勢で担ぐ。
お祭りの場合、逮捕なんかされない。
でっかいペニスを祭りの日までにせっせと制作する人がいても、誰もとがめない。
性器が、姓の別なく、収穫を祝い、コミュニティの持続可能性を象徴するものであると、長い歴史の中で多くの人に了解されているからだ。
それが日本の伝統的な性のあり方なのだが、この大型にデフォルメされた性器は、特定個人の型どりをモデルにして制作されるからこそ、これだけリアルに「性器」として認識できるデザインになっていることを忘れてはならないだろう。
画像が示す通り、このペニス型の神輿は、裏筋やカリ、そり具合などの細部に至るまでリアル性器を忠実に再現しようという製作者の意図がはっきり出ている。
職人の技術継承が行われなければ、何十年も経たないうちに3Dプリンターで作られる時代も来るだろう。
そして、こうした性器の神輿の製作者(職人)たちは、今もモチロン日本全国にいる。
そこで思い出してほしいのが、
ろくでなし子さんの逮捕だ。
彼女は、3Dプリンターで出力できる自分の女性器のデータのダウンロード用URLをメールに記して送った。
性器そのものではなく、データであり、それは作品のプロセス上にあるものだ。
3Dプリンターを使える環境がない限り、データはその意味をなさないものでもある。
すると、「わいせつ物頒布等の疑い」で、今年7月に警視庁に逮捕されたのだ。
逮捕後、すぐに釈放されたが、検察が起訴するかどうかが世界中の関心事になっている。
この1件で、世界中の多くの人が驚いたはずだ。
めちゃくちゃリアルな性器をみんなで担ぎ上げて楽しく奉じる祭りをしておきながら、個人特定のできる性器のデータだけを警察が取り締まり対象にするなんて、日本の伝統文化の整合性にまったく欠け、理解不能だからだ。
この一件は、「1人で作品化すれば犯罪者だが、100人で担げば英雄?」という問いを多くの人に投げかけた。
実際、ろくでなし子さんと同じ作品つくりを世界中の100人のアーチストが同時に試みるアート・プロジェクトだったら、そして、それを世界へ発信するメディア回路をあらかじめもっていたら、警察はその100人を逮捕しただろうか?
事実、ろくでなし子さんの一件については、世界中の外国人ジャーナリストも強い関心をもっていて、7月24日に日本外国特派員協会で記者会見が行われた。
日本の検察は、こうした経緯をふまえて起訴には慎重にならざるを得ないだろうし、不起訴処分も十分に考えられる。
女性器をかたどった石膏(せっこう)型を販売したとして、警視庁保安課がわいせつ物頒布容疑で、静岡市清水区の介護施設職員の男(50)を書類送検した過去もあるので、別件でのあやをつけて立件・起訴したがる人も、警察・検察にいるかもしれない。
だが、裁判が長引けば、警察・検察の意地汚さの方が世界のメディアで喧伝されることは必至だ。
世界の恥になるような司法判断を、日本の裁判所が下すわけがないのだから。
ろくでなし子さんの一件は、表現目的を問うものではなく、表現されたものの内実を問う裁判になりかねないので、そうなると伝統文化における性器の制作物(※性器の神輿を含む伝統的な性器アート作品)を刑罰の対象外にすることが難しくなる。
祭りとアートは始原的に一体のものだが、これをまるで別物として認知しやすい文脈を提供したのが近代国家の仕組みなんだろう。
でも、そもそも内面的に一体である祭り=アートのもつ高揚感や変性意識の産物としての造形物を、合法/非合法で分別するところに無理がある。
そんな仕分けは多くの人が望んでいない。
だから、そんな誰も得をしない裁判沙汰にするよりも、刑罰とは別のもっと大きな文化や伝統をふまえた視点を、多くの人にもってほしいと願う。
実際、祭りで性器を「わっしょい! わっしょい!」と楽しく担いでいる日本人の一般庶民の笑顔と、外国人記者に向けて答えるろくでなし子さんの笑顔との間に、刑罰的な線引きのできる違いがあるだろうか?
ちなみに、神社は性器の神輿を作る製作費をまかなうのに、信者からお金を集める。
ろくでなし子さんも、クラウドファンディングで作品制作に共感した人からお金を集めた。
そこにも違いはない。
世間知らずの人は、警察に逮捕されただけで、逮捕された人に悪い印象を持ちかねない。
しかし、そうした早まった認識は、警察の言い分を鵜呑みにする愚かな構えだ。
どんな事実に対しても、自分の頭で考え、考えるための資料をあたり、判断を留保しながら真実を確かめていく構えがなければ、マスメディアも含めて、「誰かの言いなり」の人生を送ることになるだろう。
それが、原発事故や戦争や貧困化などを支えてしまうことになる。
そういうダメな社会に対して不満や不安があるなら、警察やマスメディアの言葉を鵜呑みにしないでほしい。
なお、上記の記事の感想は、
僕のtwitterアカウントをフォローした上でお気軽にお寄せください。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★■本の商業出版を考えている個人・法人の方は、こちらへ■会社に雇われない働き方について相談したい方は、こちら 共感していただけましたら、
「ツィート」や
「いいね!」をポチッと押していただければ…
- 関連記事
-
スポンサーサイト