まずは、下記の歌を聞いてみてほしい。
『I've Never Been To Me 』(邦題:愛はかげろうのように)。
「女が自由を求めても、孤独になるだけよ」
「子育てや配偶者とのささやかな日常の関係にこそ幸せはあるの」
「他の人が知らないような華やかな世界も知ったけれど、今の孤独な私には自分の望むものがわからないのよ」
シャーリーンの唯一のヒットソングなのだが、いくつかある日本語訳では岩崎宏美さんの歌が一番、原曲のメッセージに近いだろう。
訳詩を手がけたのは、天才作詞家・山川啓介さんだ。
「子育ての大変さ」「夫とうまくやること」といったあふれた日常を愛そうという保守的なメッセージにも映る。
だが、原曲の訳詩にある「女が見てはいけないものを見てしまった」というフレーズと、タイトルにある「私はもう戻れないところにいる」というフレーズが響き合って示しているのは、女性として生きることの難しさだ。
そこで、次の曲を聴いてみよう。
グロリア・ゲイナーの大ヒット曲
『I will survive』(邦題:恋のサバイバル)だ。
自分を愛や暴力で支配しようとしていた「ダメ男に」に対してきっぱりと決別し、別れを突きつけ、追い払う女性の歌だ。
この2つの歌は、共に「男社会での生きずらさ」を表現している。
『愛はかげろうのように』は、出産・子育て・結婚・男との生活をしないことで責められる女性たちの存在を浮き彫りにし、『恋のサバイバル」は、DV・共依存から脱却して「ひとりの男」に縛られなくても生きられるし、自分を愛してくれる人だっているという気づきを与える。
この2つの歌に加え、ジャニス・イアンの
『At seventeen』(邦題:17歳の頃)も「美人でないために恋人に選ばれない痛み」を歌っている。
アメリカ人アーチストは、個人的な痛みが社会的な痛みである構図を上手に歌に込める。
自分と社会との関係に気づき、自分と社会が「地続き」であることに敏感だ。
日本でそうした歌作りをしているのは、中島みゆきさん、さだまさしさん、ユーミンさん、岡林信康さん、忌野清志郎さんあたりか。
J-POPは、音の部分ではかなり洗練されてきたと思うけど、歌詞の部分ではまだまだ伸びしろがあると思う。
しかし、音楽ディレクターが「歌詞の編集」までできるかどうかは未知数だ。
そこで、
歌詞の編集サービス(作詞支援)という新事業を始めてみた。
その人にしか書けない歌詞はあると思うし、それをアーチストから上手に引き出してこれまでにない歌を誕生させるのが本来の編集の仕事だが、レコード会社には既にその能力を失っているのかもしれない。
出版業界もそうだが、著作権ビジネスの資産は、出版権、著作権者との関係、社員編集者のスキルの3つしかない。
編集者が自分のディレクションの能力を向上させなければ、新人の才能を開花させるのも難しいし、ベテランに長く活躍してもらうために時代に見合った作品制作を促すこともできなくなる。
作品が商品として成立する際には、アーチストとディレクターの二人三脚が必要になる。
セルフ・プロデュースのインディーズがやたら増えている昨今だからこそ、前述した3曲のように深い作品世界を作り出す編集スキルが必要になってくるように思う。
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