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■売春(セックスワーク)の何がいけないの? ~教えて、インテリさん!



 上記のツィートをした。
 僕が以外の人が風俗や売春について「悪」と感じてることを単純に尋ねたものだ。

 すると、以下のようなご指摘をいただいた。

「本人が希望してやっているならともかく、他に選択肢がなく仕方なくやるのならお勧めできません。
 性感染症のリスクも高まる上、性感染で肝炎ウィルスなどに感染すると死亡リスクも高くなります」


 ということは、性感染症を自衛できれば、売春を仕事にしてもOK、ということになる。

 そして、当事者であるセックスワーカーには、もちろん自分の体を守るために性病の知識を学んだり、定期検査に行ったり、講習会を開催して学び合う人たちもいる。
 すでにセックスワーカーの当事者たちを中心とした活動団体Swashもあり、90年代から活動を続けている。

 仕事につきまとうリスクを回避するのは、風俗も含めてどんな仕事でも必要なこと。 
 だからこそ、そのへんの会社だって年に1回は健康診断を受けたり、メンタルヘルスの専門家を顧問につけるなどの企業努力はしているし、それは風俗業界でも個人売春でも大して変わらない。

 「セックスワークだけが他の職種と比べて特別に心身の病気のリスクを負う」というデータを、少なくとも僕は知らないし、観たことがない(※ご存知の方がいれば、教えてほしい)。

 それどころか、これまで僕が取材や交友関係を通じて会って来たセックスワーカーには、「本人が希望してやっている」という人が圧倒的に多かった。

 もちろん、「世間にバレると面倒なのでセックスワーカーとして名乗れない」という人の中には、仕方なくセックスワークを続けている人もいる可能性は否定しない。

 しかし、仮に仕方なくその人がセックスワークを続けているとしたら、その人に「自分はセックスワークしか働けない」と思い詰めさせている社会の方に問題があるのでは?

 「他の仕事がしたい」とその人が望めば、僕はもちろんその人ができそうな仕事を紹介したり、仕事を作る技術も教えたりしてきたが、だからといって売春や風俗勤務が悪いことを証明したことにはならないだろう。

 むしろ、風俗という仕事が合わない人にとって「べつの仕事」を教えたり、提供できない社会の仕組みに不備がある。

 実際、低学歴・低学力・大借金返済・身寄りなし・国籍なしなどの事情を抱えて生活しなければならない人に、「仕事はいくらでもある」とは言えないし、そうした諸事情の「ハンデ」を持つ人のニーズに十分に応えられる社会インフラがあるだろうか?

 売春や風俗という稼ぎ方を「悪」と指摘したところで、何も変わらないし、誰も幸せにしないのは明白だ。

 そこで、2つめのご指摘を見るとしよう。

「好きでもない数多の男性と性交渉をする。毎日のように。どれほど心身に負担があるか。
 性産業の心身への負荷を軽んじるのは、性産業に従事する人の人権を尊重する態度と言えるでしょうか?
 他の仕事をできるなら、その方がよい。また被虐待児は性産業に喰われやすい」


 好きでないと、どんな仕事でも長くは続けられない。
 風俗でも、その水に合わない子は続けられずに去っていく。

 そこで仕事そのものがストレスフルになっても辞められないとしたら、「私にとって他にできる仕事が社会に無い」という社会の側の問題が露呈する。
 これを当事者の自己責任に帰結するのは、端的にアンフェアだ。

 風俗で働く当事者との付き合いがほとんどない人たちは、ドラマや映画、あるいは昔の慰安婦のようなイメージだけで、現代の風俗を「苦界」のようにとらえて思考停止しかねない。

 まず、知らなければならないことは、どんな仕事も慣れるまでは大変な思いをするってことだ。

 「好きでもない数多の男性と性交渉をする。毎日のように。どれほど心身に負担があるか」という危惧が本当に切実な現実としてあるなら、なぜ「危惧する人」がこれまで問題解決に立ち上がらなかったのか?

 その方がよっぽど問題だろう。

 「性産業の心身への負荷」などと簡単に言うけれど、これも風俗で働く当事者から放たれた言葉でない以上、にわかには信じがたいものだ。

 確かに、風俗嬢のごく一部には、親などからの虐待を経て風俗嬢になった人もいる。

 だが、僕が直接その当事者たちから聞いた範囲では、「家で実の親にレイプされるよりマシ」「風俗ならお金になる」という声が圧倒的に多かった。

 家庭が「生き地獄」の人にとって、風俗勤務は、ストレスどころか、安心の居場所として認知されうるのだ。
 それは同時に、児童福祉や学校教育、地域社会が当事者の10代を救えていないことを証明している。

 しかも、困ったことに「危惧したい人」の多くは、現実を確かめようともしないし、困っているはずの風俗嬢と仲良く付き合いを重ねて現状をつぶさに知ろうともしない。

 たとえば、政情不安で治安が悪く、いつピストルで撃たれたり、略奪されるかわからん途上国では、大使館で働く外交官やNGO、医者たちは「毎日が命がけ」の日々だ。

 それを思う時、風俗だけを特別視して「売春仕事は危険」と繰り返す人は、風俗よりはるかに危険な国で働く人たちにも「危ないから」と声をかけるのだろうか?

 風俗や売春につきまとうリスクや心理的負荷は、ほかのどんな職種にも起こりえることだ。
 なのに、ことさらに風俗勤務が心身へのダメージが大きいかのように誤解してる人は少なくない。

 何がリスクで、何がダメージかは、人によって異なる。
 一流ゼネコンに入ってヤクザと交渉する社員だって、つらいはずだ。

 だから、それぞれの職場でより安全な環境を作ろうと、経営者側もワーカーも努力する。
 「風俗だから危険」なのではなく、職場環境の改善に動かない経営者やワーカーの構えが危険なのでは?
 そして、それは売春や風俗そのものが悪だと裏付けるものではない。

 もちろん、風俗店の収益の一部が暴力団の資金源になっていることは、社会には容認されないだろう。
 ただし、それは風俗に限ったものではない。

 原発作業員の派遣や地上げ、生活保護や失業手当の不正受給など、企業舎弟と仕事をするすべての業界にいえる。
 そうした悪習慣にメスを入れず、風俗だけを特別敵視する論調はフェアじゃない。

 暴力団の資金源は、風俗どころか山ほどある。
 大きな会場でのライブで見かけるダフ屋、祭りで屋台を出すテキ屋など、昔から日本ではヤクザと共存共栄してきた。

 その文化を根絶するつもりがないのに、自分だけきれいな仕事をしていると思ったら大間違いだ。
 都市圏で暮らす人が使う電気を供給している「原発による電力」も、ヤクザなしには生まれない。

 もっとも、暴力団の資金源にならないセックスワークもありうる。

 90年代後半、援助交際の派生的なものとして「インディーズ風俗」というものがあった。
 相手と付き合う中で性サービスの顧客とするもので、いわば愛人が複数いるイメージだ。
 嫌な相手は選ばず、嫌なプレイは拒否できる関係を、複数の顧客と築きながら生活していた。

 こうした仕組みは、不特定多数を相手にするのではなく、店舗や「立ちんぼ」のように同じ場所で営業する援助交際でもないため、ヤクザに目をつけられることもなく、安全に働けるスタイルだった。

 「インディーズ風俗」は僕が勝手に命名したものだが、援助交際の周辺を取材していた人なら気づけた存在だろう。
 こうしたスタイルは、売る側が顧客を選ぶために、売る前に信頼関係を築くというプロセスが大事になる。

 このように、現実をちゃんと観た上で、その実感から何かを語るなら、それなりの説得力をもつだろうが、ネット上ではマスイメージだけで現実の人間を語っても平気な人たちが結構いる。

 自分が関心をもって解決したい問題が目の前にあるときに、建設的な議論をしようという構えを取れるかどうかが、コミュニケーションスキルの程度を判断する材料の一つになる。

 「青年の主張」のように一方的に自分の意見を語るだけなら、建設的な議論にはならない。

 自分とは異なる立場、とくに問題に苦しむ当事者の立場から発信されたメッセージの中に、自分が想像すらできなかった痛みや固有の苦しみはないかと探す構えが無ければ、その議論は建設的にはなりにくい。

 それは、性風俗の問題をめぐる議論についても同様だ。

 たとえ現状の風俗が問題の多い職場であろうと、そこへワーカーを導いているのが風俗店だけでなく、社会の仕組み自体にあるという気づきが無ければ、何が「問題」なのかを共有して議論することはできない。

 もし、低学歴でも、身寄りがなくても、日本語が上手に話せなくても、大借金の返済に迫られていても、ふつうの会社で働くのが怖くてたまらなくても、それらの問題を速やかに解決できる仕組みが社会にあれば、風俗で働かざるを得ない人は減るかもしれない。

 でも、それでも「自ら進んで風俗で働きたい人」が減るわけではないし、そのこと自体が職場環境の改善につながるかどうかも微妙だ。

 つまり、既存の風俗のあり方だけを見て、一方的に「やめろ」「なくせ」「政治に働きかけろ」という青年の主張をくり返したところで、現実の職場環境は何も変わらないのだ。

 自分が「より生きやすくなる社会」を作る当事者としての意識が薄い人は、「風俗が悪くて自分は正しい」という一面的な立場からしかものを言わない。

 それをふつう「差別」「偏見」と呼ぶわけだけど、本人にはその自覚がまるで無いのだから、始末におえない。

 どんな職場にも「自分はここでしか働けない」と思い込んでいる人もいれば、そこで働くのを生きがいと感じる人もいる。

 多くの人が性風俗を「特殊な職場」として観る自分の狭小な視点を疑わないままなら、職場環境の改善というユニバールデザイン的な視点でワーカーを見ることも難しくなるだろう。

 そういう愚かな言動をする前に、このリンク記事(PDF)を一度読んでおこう。

 僕の書いた他のブログ記事(※セックスワークに関するもの)も、ぜひ読んでほしいところだ。

 そして、往年の映画『日曜はダメよ』(Never on Sunday)くらいは観ておいてほしい(※下記は9分間ダイジェスト)。



 なお、上記の記事の感想は、僕のtwitterアカウントをフォローした上でお気軽にお寄せください。



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