社会的に力のある文化の側に属する人は、自分たちとは異なる文化に対して対等な立場での議論に応じる動機が形成されない。
応じなくても何も困らないので、対等な関係や親しい関係を築く努力も、自発的にはしない。
行政は市民からのクレームに即時対応することはないし、政治家は役人からのお願いには耳を貸さないし、社長は末端社員の話を聞く機会を持たないし、有名人は無名の市民と対談することなど望まない。
東大教授は中卒ヤンキーを公開イベントの対談ゲストに招くことはないし、テレビ局は下請けの番組制作会社の意向を汲んで制作費を増やすことなどしない。
実際、そうした力関係の差によって交渉そのものができず、隷属的な気分を味わうことが、日本社会ではしばしばある。
しかし、そうした社会環境に疑問をもって改善に動こうとする人は少なく、それどころか「みんなガマンしてるんだからあなたもガマンしなさい」という同調圧力を強いてくる声がやたら大きい。
そうなると、虐げられた弱者が力を持つ相手と対等な関係を築くために、銃を取ることもある。
そのように、少数派の弱者が力関係を変える戦いをしていたのが20世紀までの社会変革だった。
だが、今はもう21世紀。
中東のテロリストのように武装集団で政権を奪ったり、アメリカを敵に回すことで仲間を増やすような戦いをしていても、らちがあかないことを、先進国の市民なら誰でも知っている。
それは民主的な選挙でなんとか解決しようよ、というわけだ。
もっとも、日本のように少子高齢化が進むと、より若い世代の利害より、人口の多い中高年以上の国民の意見に偏る政策が優先されてしまい、しかもより若い国民の税負担が重くなってしまう。
つまり、民主主義をそのまま政策に反映させても、力のない少数派のニーズはいつまでも「カヤの外」。
これでは、政治的な解決が若い世代ほど期待できなくなり、「お前もガマンしろ」と言う国民を増やすことになる。
もっとも、政治はそもそも「最大多数の最大幸福」を優先するものであって、少数派を大事に考えるのは常に先送りされる問題解決方法である。
では、力のない少数派が生きやすくなるには、どうすればいいのか?
政権与党や議会と戦うのではなく、消費者に淡々と訴えるのだ。
従来の社会の仕組みよりもベターな仕組みを、商品・サービスという形で作り出すことによって、市民=消費者を味方として増やしながら、政治よりも強い正当性を持てばいい。
それが現代のソーシャルイノベーション(社会変革)であり、その担い手を「社会起業家」という。
政治やさまざまな既得権益の役割を極力小さくし、行政より優れた問題解決の仕組みを提示し、市民自身のニーズに即した選択肢を提供すればこそ、対等でフェアな関係が実現できるという『imagine』のような夢を見ているのが、社会起業家の本分だ。
だから、「社会起業家はクレイジーだ」と評されることもある。
しかし、本当に優秀な社会起業家は、それができると信じているし、やってのけてしまう。
社会起業家は、かくもRockなのだ。
そう考えれば、社会起業家が安易に時の政府に近づいたりしない理由もピンと来るだろうし、政治権力や大企業などの既得権益にべったり張り付いて仕事をしている大手広告代理店がソーシャルイノベーションなど志向してないことも理解できるだろう。
既に世界中に優秀な社会起業家が誕生し、活躍している。
イスラエルとパレスチナで戦闘エリアを縮小させて国民の平和と安定を提供している「Peaceworks」という社会的企業もあれば、貧しさのために満足な教育を受けられない子どもたちに図書館などの教育インフラを提供している「Room to read」というNGOもある。
日本にも優れた社会起業家が続々と増えているが、昨今では社会起業家を自称しながら「社会を変える」ということがどういうことなのかがわかってない団体も増えてきた。
本物の社会起業家は、既得権益を脅かす。
無力な少数派を虐げる既得権者の巨大な支配力を、小さくても確かな愛で溶かしてしまうからだ。
僕は、ジョン・レノンの『imagine』を地で行く社会起業家に希望を感じる。
知らない人は、本を読んだり、ググッたりして、彼らの存在に気づいてほしい。
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