社会問題の解決のアプローチは、多様にある。
けど、対処療法的な方法と、本質的な方法の2つぐらいのアプローチは抑えておきたいところ。
たとえば、路上のゴミの問題の場合、みんなでゴミを拾ってきれいにするのは対処療法的。
拾う人がいる限り、人は気軽にゴミを捨てることができる。
みんなでやるゴミ拾いが励行されれば、誰かが必ず拾ってくれるのだから、安心して捨てられるわけだ。
だから、ゴミの山→掃除→ゴミの山…というループが永遠に続く。
そうした徒労感を味わった人の間から、「本質的な問題を解決しよう」という発想が生まれる。
そもそもゴミを放置することで誰がどんなことにどれほど困るか?
それが切実だとして、ゴミを出さずに済む仕組みをどう作るか?
ゴミを捨てたくない気持ちは、どう多くの人に動機づけられるか?
…などなど。
ところが、実際の社会問題の解決アプローチでは、対処療法的な方法に終始して思考停止のままでいる活動団体が多すぎる。
だからこそ、問題の本質を考え抜いて、問題自体が新たな価値を生むような「脱・常識」的な発想になりにくい。
ゴミを集めて新しい楽器を生み出して活用したり、商品化するなどは一部で既に試みられているが、問題と思われていたゴミの中に価値を発見しようという気づきは、社会の常識をより生きやすいものへ変えていくことを意味する。
それこそがソーシャルイノベーション(=生きずらさを作り出してしまう古い価値基準を塗り変え、新しい常識を作り上げること)。
その担い手である社会起業家は、ソーシャルビジネスを通じて、問題と思われていた存在に価値を発見している。
支援される一方だった障がい者にしか持ちえない属性(=当事者固有の価値)を活用することで革新的な製品を生み出す事ができたシーンも生まれている。
(詳細は、拙著
『ソーシャルデザイン50の方法』を参照)
その点では、これまで社会から勝手に問題のように語られてきた存在にこそ、新しい時代に革新的な価値を提供できる潜在可能性が高いのだ。
その存在とは、たとえば、ニート、ひきこもり、メンヘラ、ヲタク、セックスワーカー、ホームレス、要介護者、難病者、難民などだ。
彼らには、当事者固有の価値がある。
その価値は、閉塞感に満ちたこの社会を刷新できる力を秘めている。
だが、その価値の大きさは、彼らと一緒に汗をかいて対等な伴走をすることを避けるばかりで、彼らを一方的に支援したがる人には、絶対に見えてこない。
だから、若者たちよ、当事者固有の価値に気づき、そこから事業を興して社会を変えよう!
それこそが、君自身をもっと生きやすくする仕事になるから。
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