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■苦しんできた経験は、当事者固有の価値 ~「2人会」を作って経験を商品化し、収入UP!


 学校や職場、私生活、ネットライフの中で、あなたはさまざまな「社会的弱者」と呼ばれる人たちと出会っている。
 たとえば、以下のような人たちだ。

●ひきこもりやニートの暮らしから自力で抜け出せず、精神科の買わせた薬でへろへろになってる人
●生活保護を受給しても、受給額が上がらず、商品単価が高くなってるため、ほとほと困ってる人
●ネットに出没しているのに、リアルでは付き合っている人間関係がほとんどなく、孤立してる人
●障がいを持ってるのに満足な支援が受けられず、自殺や犯罪まで考えてしまうことが頻繁にある人

 人は、暗い話に進んで近寄ろうとはしない。
 気分が滅入るからだ。

 しかし、困ってない人が、困ってる人のことを考えず、解決行動をとらなければ、社会には貧富の格差は広がり、貧困で苦しむ人たちが増える。
 それは、自殺や犯罪を増やすことになり、その解決コストとして税金がさらに支出されることになる。

 つまり、切実に困ってる人を無関心のまま放置し、「誰かが上手くやってくれれば」という理屈で納得したところで、「困ってない人」も増税で自分の首を締め上げることになるのだ。

 これは、ベーシックインカムを導入すれば解決できるという話ではないし、ベーシックインカムの導入が国会で議決される見込みはない。
 かといって、「生活保護の受給額を上げればいい」というのもウソだ。

 どれだけ受給額を上げようとも、とりあえずメシが食えて屋根がある程度を「最低限度の生活」と官僚や政治家が認識しているうちは、額面の底上げはまともに議論されない。

 それどころか、商品やサービスの単価が上がるのに比例して受給額も上がるようにしてしまうと、年金や健康保険などの他の支出もその基準に合わせることになるため、それらの大きな支出をよしとするだけの歳入を作る必要が出てくる。

 その歳入を作れるだけの高度な政治力と知恵を持っている人材が、日本の政治家にいるなら、1000兆円という借金(国債)と増税で歳出の半分を賄うというバカなことを続けたりはしない。

 そう遠くない将来には、血相を変えて歳出の大幅カットを断行することになる。
 そうなれば、生活保護の受給額は、増やせるどころか、だましだまし減らしていかざるを得ない。

 そう考えれば、生活保護はそもそもセーフティネットでも何でもないのだ。

 むしろ、既に受給している人はもちろん、月収16万円以下で生活している人は、雇われている勤務先からの収入以外に、収入を得られる(あるいは生活費を激減できる)仕組みを作り出す必要に迫られていると言えるだろう。

 つまり、生活困窮者も、その不安を十分に理解している人も、貧困化を防ぐという1つの目的を分かち合って、助け合う仕組みを作り出さないと、日本人は政府の失策によって互いに孤立し、共倒れを強いられてしまいかねない。

 では、どうする?
 民間で、できることから始めるしかないのよね。
(※長文になるので、短文でサクッと読みたい方はコチラへ)


★自分の仕事の価値を向上させるために、「社会的弱者」の声を聞こう!

 困ってない人が、自殺や犯罪の上昇による増税で自分の首を絞めることのないようにするために、また、自分自身が「社会的弱者」に転落しても安心できるようにするには、どうすればいいのか?

 困っている人のことを考え、「共に貧困化を防ぐ」という1つの目的を分かち合って、無理なく助け合える仕組みを作り出すことだ。

 それにはまず、自分の仕事の中身を検証することだ。

 たとえば、僕は最近、糖尿病で通院を始めたが、病院で受ける栄養指導の方の仕事に大いに落胆させられてる。

 「繊維から先に食べてください」とか「1日のカロリー摂取は」という話は、既に図書館で糖尿病の本を借りてきているので、1時間の講義を何度も聞かなくても全部知っている。

 1年前までその通りの食生活を実践していたのだが、1年前から実家で認知症の初期症状が出始めた母親が、こってりとした食材ばかりを、しかも品目もほぼ同じまま大量購入し、食わせようとするのだ。

 だから、それを拒み、自分で食材を購入すれば、知らない間に冷蔵庫から捨てられてしまうし、同じ食事をとらないと怒り出すか「なんでも私が悪いのね」と被害妄想で落ち込んでしまう。

 こうなると、母親の寝ている夜中にそっと自分で食事を作るか、外食するなどの工夫が必要になる。

 母親はまだ深夜徘徊や認知症ゆえの窃盗を働くようなことはしておらず、家族やよそさまに迷惑をかけてるわけでもないので、介護施設への通所や入所をさせるほどではない。

 だから、周囲の家族は、なんとか母親の機嫌をとりながら、自分で自分の食生活に気をつける他にないのだ。

 なのに、栄養指導をする方は、その人が学校で教わった正論をそのまま患者に伝えるだけで、自分の職務が患者を満足させていると勘違いしている。
 だから、平気で「それは大変ですね。でも、栄養を考えないと病気は…」と言って話を終わらせようとする。

 専門分野の知識や経験、資格があれば、その病院から給与をもらえて、自分の生活だけは保たれるだろう。
 しかし、それだけでは、消費者である患者の苦しみは取り除けない。
 客からお金をもらう以上、客の抱える問題に対して客が満足する解決策を提供できなければ、プロとして失格だ。

 そういう「プロ失格」を感じる職種は、医者や看護師、栄養士、薬剤師、PSW、役所の福祉課職員、学校教師など、国家資格を得て就職した人に多い。
 
 医療・福祉・教育という国税が投入されている分野の職種ほど、目の前の患者や相談者、学生から金をもらって自分が生きていられることに鈍感なのだ。

 彼らの職種の安定とは反比例する形で「客」の問題がこじれて苦しみが増していっても、そのこと自体が彼らの存在意義を高めてしまうのだから、これは社会の中に不幸を温存するマッチポップの仕組みになっていると言わざるを得ない。

 それでも、その構図を客観視できて、自分の仕事振りのダメさ(=顧客満足度の低さ)に気づいた人たちから、自分の仕事振りを本気で改める動きが生まれている。

 福祉作業所で働く障がい者の工賃がいっこうに上がらず、いつまでも貧困のままでいることに耐えられなくなった竹村利道さんは、社会福祉協議会をやめ、40歳で多額な借金をして起業し、「徹底した品質とサービスの追求」によって100人以上の障がい者の雇用を創出した。

 自ら「うつ病」を体験し、薬をつかわずに治した宮島賢也さんは、患者さん自らが症状を学び取り、原因となる生活習慣、考え方、人間関係、食生活等を改めることで病気を治していことをサポートしている。

 このように、自分の仕事のあり方を見直す人たちは、苦しんでいる当事者と深く付き合ったり、自分が当事者になることによって自分自身の仕事を抜本的に作り変え、収入を上げるるチャンスにしている。

 つまり、苦しんでる当事者と深く付き合ったり、自分が当事者になることによって、仕事の価値と売上は向上できるのだから、「社会的弱者」と呼ばれる人と向き合うのは、自分と相手の問題を同時に解決することなのだ。


★「社会的弱者」から当事者固有の価値を拾い出そう!

 人の人生経験は、それがどんなものであろうとも、すべて等価である。
 なのに、「社会的弱者」に転落すると、「それはお前の努力不足」「運の悪いヤツとは付き合いたくない」という具合に見下ろす視線にさらされる。

 実際、ホームレスやニート、ネットカフェ難民、ひきこもりや障がい者などは、一般社会の側から「うちの会社(学校)には来てほしくない」と思われているし、実際に交流が分断されている。

 障がい者は養護学校に通わせられ、卒業すれば、20日間以上通っても月収1万円程度の安い工賃しか得られない福祉作業所で単純作業を毎日延々とやらされる。
 ホームレスに至っては、「炊き出しさえ提供すれば死なずに済む」という程度の支援が、まだ支配的だ。

 そのように、社会的な支援が手薄なのは、医療や福祉、教育の分野で働く人のプロ意識が成熟してないからだ。

 それでも、当事者と深く付き合うことで仕事の価値と売上の向上につながる事例が続出し始めている現状を観るなら、僕らはもっと「社会的弱者」と付き合い、彼らしか経験していない「当事者固有の価値」を掘り起こし、自分の仕事が提供できる解決策と、自分が誰かを誘えば解決できる余地を探る必要があるだろう。

 それはべつに専門職や有資格者だけの課題ではない。
 むしろ、専門知識のあるなしにかかわらず、どんな素人でも学生でもできることだ。

 大阪で女子大生たちが始めたNPO法人homedoorは、釜ヶ崎地区のホームレスと付き合ってきた成果として、「おっちゃんたちは捨ててある自転車を直すのが上手!」というメリットに気づき、ホームレスから抜け出したい人には生活保護の受給手続きをとると共に、生保から自立できるように、放置自転車を直してシェアサイクルとして市民や観光客に有料で貸し出す事業を作って雇い入れた。

 前述の竹村利道さんNPO法人homedoorなどは、社会起業家と呼ばれる。
 これまで解決できなかった社会問題に対して、解決できる新たな仕組みを作り出せたのは、彼らが苦しんでる当事者との付き合いを深め、当事者にとって無理のない仕事の仕方を学んだからだ。

 優れた社会起業家ほど、「社会的弱者」の当事者の声を聞き、当事者しか経験していない固有の価値を掘り起こし、彼らが無理なく収入を得られる手段を発見するのだ。

 もちろん、誰もが優れた社会起業家になれる保証はない。
 しかし、当事者と出会い、付き合いを深め、当事者固有の価値を発掘して、その価値を商品化して、当事者の収益源を生み出すという試み自体は、誰でもできることであり、難しくはない。

 そこで、そのプロセスを説明していこう。


★「面白い経験」や「驚くような経験」を発掘し、その価値をみんなでシェアしよう!

 僕は、雑誌記事の執筆や書籍の編集という仕事を通じて、まったくの素人さんの「社会的弱者」から話を聞き、その話の中からふつうの読者が面白がる(=強い関心を持って読んでくれる)エピソードを抽出し、文章化してきた。

 話す側は、自分が話したいことを話したり、僕の質問によって面白い出来事を思い出しながら答えているうちに、自分の人生が「いかにもフツー」というものではなく、むしろドラマチックな驚きと面白さを持つ価値あるものだと自覚するようになった。

 もちろん、面白さを発掘するための質問術はあるのだが、編集のプロではない人が当事者固有の価値を引き出すには、以下のプロセスをふまえると無理がないだろう。

(1) 無理なく会える範囲にいる自分の知り合いの「社会的弱者」やネット上で関心を抱いた当事者に声をかける
  →自分が見過ごせない旧知の1人を選ぶか、この掲示板で公募し、ブログやtwitterなどで拡散する
  →メールやスカイプでもいいので何度かやりとりをし、相手の何について関心を持っているかを伝える
  →この誘いは、この段階ではあなたのエゴにすぎない。「お願い」の構えを忘れずに

(2) 信頼関係を作れる手ごたえがあれば、その人に「自分史年表」を書いてもらう
  →このページを参考にお互いに自分の年表を作り、できれば各自、自分のブログで発表
  →5W1H(いつ・どこで・誰が・何をして・どういう経緯でどうなった)を具体的に書いてもらえるようお願いする
  →当事者が明かせない固有名詞などは、無理に公開を求めない

(3) 年表を元に興味を持ったことについて「もっと深く知りたい」と当事者に伝え、アポをとる
  →カフェやファミレスなど両者にとって都合の良い場所で、年表にない逸話を掘り下げる機会を増やす
  →話を聞く前にこのページを参考にしておくと、相手を深く知るのに役立つ
  →年表を作れない場合は、当事者の作った詩や当事者の苦しみを撮影した画像や動画でもいい

(4) 「面白い経験」や「驚くような経験」を中心に当事者の経験を文章化し、公開可能な範囲を当事者に尋ねる
  →朗読して30分~1時間に収まる文章量にすると同時に、当事者の嫌がる部分は削除し、時系列で完成原稿にする
  →思わず驚くような不幸な出来事でも、「なぜそこから生き残れたか」を掘り起こし、その内容を価値と考える
  →自分の付き合い方に自信がもてない時は、カウンセリングを勧めるか、友人やこのサイトに相談する

(5) 原稿を台本と考え、あなたが質問し、当事者が答えるトークを有料イベント化する
  →カフェ・ファミレス・公民館・学校などに人を集めてイベントを開催し、定例化で客を増やしていく
  →1回目の手ごたえをふまえ、2回目以後の開催スケジュールを早めに決めて、〆切りと集客目標を設定して動く
  →ヒマな時間が多すぎると落ちやすいので、毎月のスケジュールに他の人と出会う機会や用事を増やす


 たとえば、「20年も生保を受給してますが、何か?」というタイトルでイベントを実施するとする。
 前半は2人の対談、後半は参加者からの質問として、2時間程度で終わる小さなイベントとする。

 集合場所、1000円程度の参加費、参加できる人数、予約・問い合わせ用のメールアドレス、話し手のあなたと当事者の簡単なプロフィールをブログで公開し、その記事のリンクをtwitterやFacebook、LINE、mixiなどで「●月●日●時から■■■で~についてのイベントやるよ。もちろん、当事者が実体験を語るよ」と拡散しておく。

 最初は、たった4人程度の少人数に限定した参加者数で開催してもいい。
 その方がみんなで話しやすいし、当事者も緊張しないで済む。

 それでも1人の参加費を1000円にしておけば、4000円となり、2人の主催者で折半すれば2000円ずつで、その場の飲食代は賄えるだろう。

 それを毎月開催し、予約が増えてくれば毎週開催にしたり、より多くの人が集まれる場所に変えていく。
 1回で20人も集まるようになれば、主催者の2人にはそれぞれ1万円が入ることになる。

 1回で40人なら2万円ずつになり、これが月に4本もあれば、1人あたり8万円の収入を得られる。
 40人が必ず集まる頃には、参加費も2000円に設定できるので、月に2回で8万円、4回なら16万円になる。

 その頃には、地元のコミュニティFMや地方新聞、ローカルテレビ、ブロガー、フリーペーパーなどに取材される機会が増え、それによって市内の小学校・中学校・高校などから1回数万円の講演会をオファーされる可能性が高い。

 中高生でも、親から虐待されて「すぐにでも自殺したい」と考えている子どもは、少なくない。
 とくに、同性愛者の自殺率はヘテロより高いため、地方で理解を得られず孤独に苦しんでる10代も少なくない。

 そうした若い世代にとって、自殺未遂を何度も経験しても生きて話す大人は、自分が得られるかもしれない明日の姿であり、希望の光として勇気付けられる体験を与えてくれる人に映るだろう。
 つまり、今生きていること自体が、当事者が若い世代に提供できる確かな価値なのだ。

 そうしたイベントの開催を続けていく中で、当事者が「私と対談したい人は声をかけて」とブログに書いておけば、イベントで出会った人が新たな「2人会」の主催者になるため、当事者が出られるイベントがどんどん増えていき、その分だけ収入が増えることになる。

 そのように、「2人会」の開催が増えていけば、同じ悩みを持つ人たちに知られやすくなる。
 その中にはお金持ちの家庭もあるので、当事者は彼らを対象に90分ほど話を聞いてあげる個別相談を1回1万円で引き受けることもできるようになる。

 他にも、事前の振込みによるスカイプ相談を事業化することもできるだろうし、そうした活動をふまえて元気になっていった自分の経歴を信用の担保にして自分の本を商業出版できるようにもなるだろう。

 そのように、当事者固有の価値を安売りせず、地道に「2人会」を積み重ねていけば、一人で部屋の中で孤立してにっちもさっちもいかないという絶望の日々から解放されるし、地域の学校や青年会議所、役所の福祉課などから講演依頼も来るかもしれない。

 あるいは、「2人会」で生きる力を取り戻した当事者たちが出会い、「自殺兄弟」というコンビを組んで当事者100%の講演会を全国各地や海外にまで売り込んでいけるかもしれない。

「私は昔、リストカッターだった」
「僕は昔、オーバードーザーだった」
「僕らは、自殺兄弟! 死にそうなヤツは、だいたい友だち。俺らの話を聞いてくれ」

 当事者たちの中には、自分で自分の仕事を作り出して食ってきた起業家も自営業者もたくさんいる。
 「2人会」を経た彼らが集まって「自殺軍団」を作れば、芸能事務所のような会社を自分たちで作って、当事者の価値を高く売るビジネスを始められる。

 「2人会」を経験し、自分たちにとってどんな関わりをされたら人生を面白がれるようになったのかを学んだからだ。
 それが、「2人会」の活動で得られた2人の固有の価値であり、自分の大事な人間が自殺しかねないことに不安を覚える多くの人に希望を与える価値なのだ。

 その価値さえ生み出せれば、全国で自治体の福祉課が開催している自殺対策の講演会や、ゲートキーパーの研修会、大学の福祉・医療の授業などに営業しまくれば、それまで偉そうに話していた精神科医やソーシャルワーカー、教師などに対して「きみたち、基本が間違ってるからね!」とツッコミを入れながら講演ギャラが得られる仕組みも作っていける。

 いずれにせよ、あなたが当事者を深い関わり合いを続ければ、お互いに収入面でも精神面でもプラスになるのだ。

 当事者が副収入を増やしていけば、かつてすごくやりたかった仕事で起業したり、無理なく働ける職場の情報を探すこともできるようになる。


★当事者との「2人会」をあなたも始めてみませんか?

 こうした当事者と2人3脚で開催し、大きく育てていくイベントの活動を、「2人会」と名づけてみよう。
 2人の収入になるのだから、当事者の価値の豊かさをどんどん掘り起こしていくチャンスにもなるし、当事者との信頼関係を確かにしていくチャンスにもなる。

 もちろん、当事者の積年の苦しみをすべて理解することはできないかもしれない。
 それでも、共に人生を楽しむ当事者どうしにはなれる。

 このような活動を継続していくには、時間や労力、費用がかかるため、参加費を有料にする必要がある。

 1000円という最初の値付け(価格設定)は、映画の入場券より安い。
 映画は虚構だが、当事者の背負ってきた苦しみは現実の重さをもっている価値の高いものだ。

 では、誰にとって価値があるのか?
 ひきこもりを例にしたこのブログ記事を参考に、「社会的弱者」自身が負ってきた苦しみのジャンル別に考えてみるといい。

 そして、イベントの開催を決めたら、そうしたターゲットのtwitterアカウントやメールなどから開催の情報を教えてあげよう。

 このように、小規模なミーティングのようなイベントを始め、参加者数を少しずつ増やしていけば、まず当事者自身が自分の生きてきた人生の価値の大きさを次第に実感していける。

 参加希望者が増えていけば、1回の参加費の額面を500円ずつアップしていくこともできるだろうし、そのように広く社会に受け入れられるイベントに育てること自体があなた自身を人間的に成長させるはずだ。

 イベントの開催が重なるたびに次第に顔が明るくなってくる当事者を見るのは、あなたにとっても、イベントの参加者にとっても、胸のすく思いがすることだろう。

 0円で話していいほど、当事者の背負ってきた苦しみは軽くない。
 そして、当事者の価値を掘り起こし、イベントの開催に伴走するあなたの労力も、小さいものではない。

 だからこそ、最初からお金を受け取る必要がある。
 対等な関係だからこそ、収入も折半するの。
 ボランティアでは責任を伴わないけど、お金を受け取るからこそ価値ある仕事をする責任をお互いに負えるの。

 「2人会」を続ける途中で、何度も当事者が自殺未遂を起こしたり、やる気を失ってしまうこともあるだろう。
 それは、当事者のせいじゃない。
 相手を責めるのではなく、自分がまだ相手のことをよく知らず、分かち合う夢の内容がズレていたり、その夢に賭ける情熱が釣り合っていないことに気づこう。

 当事者自身が、2人会の活動の先にどんな未来を作っていきたいのかを望んでくれるのかを、ゆっくりじっくり時間をかけて見守ってほしい。
 そのように相手のペースや境遇、思いに寄り添うことは、相手の尊厳と自由を守るための適切な間合いを学ばせてくれるだろう。

 これまで「支援/被支援」という上下関係を作り、金を当事者や国からもらってきた医療・福祉・教育などの業界の従事者は、当事者固有の価値を完全に無視してきた。

 最近では、自殺対策に関わるNPOの代表理事まで、当事者の価値を尊重せず、自殺対策の成果も出さないまま、講演に呼ばれてギャラをもらいながら話すようになった。

 病院で患者が話したことを、精神科医は本に書いて印税収入を得たり、自治体や学会などの講演で話しては万単位の金を受け取り、テレビに出たり、新聞や雑誌でコメントするなどの副収入まで増やしている。

 彼らは、「個人情報は秘匿する」すると言い訳しながら、当事者固有の価値を自分への収益として独占している。
 彼らは、当事者固有の価値を尊重し、当事者と一緒に講演してギャラを折半し、少しでも当事者の生活を豊かにしようなどとは考えてこなかったし、今も考えていない。

 自分たちの専門分野における知識と経験が、「社会的弱者」の当事者の固有の価値と等価であることを認めたくないからだ。
 要するに、自分たちが社会の中で絶対的に優位な立場であると思い続けたいのだ。
 それが、偏見や差別そのものであるとは理解できないまま、彼らは今日も正論で客を支配しながら稼いでいる。

 だからこそ、名もなく専門知識もなく経験もない「ふつうの人」たちが、前述の大阪で女子大生たちが始めたNPO法人homedoorのように当事者と一緒に収入を得る仕組みを作り出していったら痛快で、面白いじゃないか!

 人口減が進む日本では市場が縮小し、商品単価も税も高くなり、誰もが「社会的弱者」に転落する可能性が高くなる。
 そんな今日、「社会的弱者」の苦しみを他人事にしていれば、いざ自分が彼らと同じ境遇になった時にあなたを誰も救おうとはしないだろう。

 人類が進化し、時代を経るごとに便利で平和で自由で豊かな暮らしになってこれたのは、1人1人が自分の人生の時間を2つのことに使ってきたからだ。
 それは、生命や種の維持に大事だと思うことは守ることと、生き苦しいよのなかの仕組みを変えること。

 この2つが、人の生きてる時間の仕事なんだ。
 僕らには、まだこの社会を変えられる時間がある。

 苦しんできた人が、苦しんできた分だけ、その「当事者固有の価値」が社会で高く評価され、既得権益の専門家たちから奪われたお金や尊厳を取り戻せる。
 それこそが、やり直しのできる社会の姿だ。

 このブログ記事も参考に、「2人会」をあなたも始めてみよう!
 あなたの無理なく会える範囲の当事者・パートナーと出会える掲示板も用意した。
 twitterやFacebook、LINE、mixiなどでこの掲示板へのリンクを添えて公募してみてほしい。

 欧米の精神医療が、入院治療より社会での居場所つくりを進めているように、日本も映画『人生、ここにあり』を見習って、専門知識がなくても誰もができる「関係の構築」から自殺対策を「ふつうの人」の視点で問い直してみよう。



 僕らは、当事者各自があらかじめ持っているスキルややる気、経験を「発見」するところから、それを活かせる仕事を作り出すことができる。
 発見者が当事者の価値に気づけば、その価値を活かせる仕事を作れる人材を探して出会いのチャンスを作る程度はできるはずだ。

 日本では「できて当たり前」のことでも、外国では驚かれるような技術を、日本人なら誰もが持っている。
 折り紙、ラジオ体操、パソコン操作、和食の料理、雑巾つくりなどの基礎的なスキルから、空手、お茶の作法、お裁縫、パソコン自作、左官、マンガ描きなどの各自のスキルまで、いくらでもある。

 そして、世界ではそれすらもできずに、貧しく学歴もなく健康でもない人々が無数にいる。
 彼らにとって、日本人のスキルはまるで魔法だ。

 「2人会」をきっかけに、当事者が自分の価値を認められることで自己評価を上げ、外国で自分より困っている人たちに生きる力を与えられる仕事に就く日を、僕は心待ちにしている。

 なお、上記の記事の感想は、僕のtwitterアカウントをフォローした上でお気軽にお寄せください。



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