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■ビジネス・カルトに気をつけよう ~10~20代の子どもを守りたい方へ


 高額な情報商材は、そこから学んでも、「努力次第」という曖昧な表現で商材の内容と儲かる実績の相関関係を見えにくくし、儲からない場合は自己責任という商品だ。

 この手のネット上の商品は、売り手と買い手の間に、本屋さんで立ち読みしたり、図書館で内容を確認するような「第3者」の検証の余地がほとんどない。

 そのため、儲けマニュアル的な内容だと「自分だけが努力不足」と感じる買い手が少なくないし、実際アフターフォローすら無いのだから、高額な値付けやねずみ講的な仕組みには「夢を買ってね」という意味があらかじめ含まれていると見るのが、冷静さを保っている消費者の構えだ。

 これは、吉本のお笑い学校に入っても、デビューは約束しないのと同じ。

 それでも、大金をはたいて夢を買いたい人がいるんだから、そこには市場があるだろうと考えるのが、ネオヒルズ族の発想。

 要するに、金儲けをしたいという強欲なヤツが客になるのだから、そういう連中にとってお前がカリスマ的存在としてブランド化すりゃあいいんだよ、というわけ。

 これが、「フリーエージェント」「フリーランス」をやたらと主張する人たちのビジネスモデルだ。

 多くの人がどれほど損をしようが、短期的に売り抜ければ、何をやっても自由だろうという理屈に居直る彼らには、教育的な商品の社会的価値というものが理解できていないのだろう。

 そういう人たちは「ビジネス・カルト」として社会から評価される。
 バラエティ番組では、面白がって彼らを持ち上げて見せる。

 もちろん、番組制作サイドでは、内心は思いきりそういう成金をバカにしてるのよ。

 表向きは「すごいですねー!」と持ち上げておけば、視聴者のほとんどはバカじゃないから、
このテの成金には引っかからないとわかっているからね。

 当然、NHKやテレビ東京(日経)などの報道番組では、「ビジネス・カルト」なんてまず取り上げない。
 パチモンをフィルタリングするぐらいの機能は、マスメディアにもあるからね。

 健全なメディアでは、「その仕事に第3者が検証可能な社会的価値はあるか?」と考える。

 「ビジネス・カルト」の仕事は、たとえば、大学受験予備校が合格率を発表して自社の教育スキルの高さを受験生に約束し、教育内容に金を払うだけの価値を作っていくことで社会的な信頼を得るのとは、まったく違う。

 商品・サービスの社会的価値の向上を目指さず、顧客に対する社会的責任も負わず、「俺たちの次々に打ち出すビジネスモデルに追いついてこい。そうすれば成功(=金儲け)できるぞ」という荒稼ぎのみを正当化するというカルト(脱社会化)した発想に基づく行動原理なんだわ。

 一方で、社会全体は、社会自体の持続可能性を目指している。

 一部の人間だけが勝ち抜くのではなく、社会のみんなが生き抜くためには、さまざまな知恵の集積が必要で、稼ぐスキルだけでは社会を保てないと考える。

 商品の価値は、必ず社会的に評価されることによって、社会的価値として根付いていく。
 この「社会的価値」とは、金稼ぎのスキルだけではない。

 どれだけ多くの人にメリットを与えたか(=多くの人にデメリットを防いだか)。
 どれだけ社会全体の公益に資する問題解決に寄与したか(=一部に富が集中する独占を防いだか)。
 どれだけ社会全体の持続可能性を担保できたか(=刹那的な荒稼ぎで市場を荒らすことを止められたか)。

 こうした公益を目指し、バランス良く顧客の人生の質を上げていくことによって、相互扶助的に生きられるシステムを構築しようとするのが、健全な社会人である。

 社会の多くは、そう考える。

 だから、ネオヒルズ族に代表される「ビジネスモデル・カルト」は、「あいつだけがブランディングが上手なんだから俺たちは勝てない」という批判や被害の声を集めることになる。

 「刑法罰には問われないが、それをやってしまっては人としてどうなんだろうね」(=公益に反するよね)というグレーな生き方というものがある。

 やろうと思えばできるけど、やっちまったら人間終わりとわかるから、あえてみんなそこには手を出さないという生き方がある。

 それが、「ビジネスモデル・カルト」集団やその狂信者たちには、まったく理解できない。
 だって、社会経験の乏しい連中が自分たちよりさらに社会経験の乏しい客から搾取するという構図なんだもの。

 現時点ではグレーでも、そのうち違法や自粛になる恐れのあるビジネスは、大企業ではまず手を出さない。
 アホなベンチャーならやりかねないけどね。
(実際、グリーなどのコンプガチャ問題なんて、まさにそれを象徴する事件だったよね)

 しかも、短期間で億単位の稼ごうと思えば、商品・サービスの品質管理やアフターサービスに手間や時間をかけられないし、それゆえに多くの顧客にとって満足度は下がる。

 それが、ネット上で個別に売られるとなれば、顧客満足度は見えないし、第3者評価すら不可能になる。

 そのこと自体が、「短期間に●億円」というキャッチコピーでアホな客を釣るビジネスが、社会的価値に無関心なビジネスだと裏付ける何よりの証拠なんだよ。

 それに、短期間で荒稼ぎすること自体も、決して社会的なコンセンサスを得られるものではない。

 突然にありあまる富を手にしてしまうと、その富の使い道もわからず浪費だと自覚できずに浪費してしまうこともあれば、それまでつきあって来た友人たちと異なる資産層との間に文化ギャップも生まれるため、コミュニケーション作法そのものがおかしくなり、精神的におかしくなりかねない恐れがあるからだ。

 急に金持ちになれば、関係作法が変わり、自分の帰属先だったコミュニティから疎外される。
 そうなると、自分の資産と釣り合う人たちのコミュニティになじんでいかざるを得ない。

 しかし、そこで待っているのは、たいてい本来の富裕層ではなく、成金風情を自覚できない自分と同じ人たちだから、その人どうしのコミュニティを形成することになり、それが「ビジネス・カルト」として社会から孤立したもの(=脱社会化)になりがちなんだよね。

 これは、デュルケムが有名な『自殺論』で示したモデルなので、大学で社会学を学んだ人ならご存知だろう。
 要するに、急激な資産変化はアノミー(=無連帯状態)を呼び込み、人を狂わせてしまいかねないのだ。

 そんな危険な仕事のスタイルを、10代や障がい者などの社会経験の乏しい人に勧めることを、社会は決して許容しない。

 ざっくり言えば、短期間に荒稼ぎすることは、当事者の精神と健全なコミュニティの崩壊と、その最悪の結果である自殺の恐れを蔓延させるから、社会はそれを許さないのね。



 「ビジネス・カルト」は一見、余裕があるように見えるが、短期間で常に新たなビジネスモデルに追い立てられているため、社会との接点を既に見失っていることを自覚できなくなっている。

 これは洗脳や依存症にハマる構図と同じで、「治療」が必要なメンタリティに近い。

 しかし、グレーな生き方で儲けていることが多くの人に知られるようになれば、さらに黒に近いグレーな人たちが、その富を狙ってハイエナのように水面下で集まるだろうし、公安だって黙ってはいない。

 国にその富を押さえられる前に、黒に近いグレーな人たちは絵を描くだろう。
 「ビジネス・カルト」がそれを理解できるのは、突然に莫大な富を失ってからだ。

 ホリエモンの一件から何も学んでいない人たちは、自由=自己責任の代償の大きさに後で気付くだろうけど、世の中には自分たちより狡猾な人たちもいるんだってことぐらいは、知っておいて損はない。

 でも、まぁ、おそらくは幻想の帝国に生き続けるんだろうね。

 だから、いつまでもキレイゴトを言っては自分を守っているつもりなのだろうが、そのキレイゴトと実際のビジネスを比べれば、言行不一致がすぐわかる。

 スティーブ・ジョブズが、「俺は1億円を短期間で稼いだぜ!」なんて自己紹介したか?
 マイケル・ポーターは、「この無料メルマガに登録して」なんて手法でメアドを集めたか?
 ムハマド・ユヌスは、「革命、テロ、創造的破壊という言葉の時代だ」なんて言ったか?

 答えは、すべて「NO」だ。

 そんなセリフを使うのは、ただの世間知らずであり、時代遅れだから、誰も恥ずかしくて言わないのだ。
 その恥ずかしさがわからない連中には、社会的責任なんて言葉もピンと来ないのだろう。 

 自分の鼻の前ににんじんがぶら下がっている馬が、にんじんを食おうと前へ出る。

 しかし、にんじんは、鼻までは届いても、口までは届かない。
 そもそも、にんじんを釣っている糸が、口まで届く長さになっていないのだ。

 それでも、馬は馬並みの脳みそだから、にんじんが鼻先にあれば、前へ出る。
 そして、延々と走っていく。

 既に他の多くの馬たちはレースを終えて、ゆっくりと地面の草を食んでいるけれど、鼻の前ににんじんをぶら下げられた馬は、いつまでもいつまでも走行距離だけは伸ばしながら、飢え続け、その飢えがまた馬を走らせていく。

 この虚無を、馬は馬ゆえに認知できない。
 そのまま、「俺は今、他の多くの馬たちを大幅に出し抜いて一等賞でゴールに入る直前なんだ」と思うしかない。
 
 脚の筋肉は、走った距離だけ鍛え上げられた。
 だが、自分と一緒に走るはずだった馬たちは、いつのまにかどこにも見えなくなっている。

 それでも走り続けるしかない。
 そして、隆々とした旨そうな肉がついたところで、他の獣たちに寄ってたかって食い殺されるだろう。

 「弱肉強食」という幻の帝国では、それが、その馬の運命なのかもしれないのだから。

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