メディア・リテラシー教育も、ネットの時代には徹底しないとなぁ。
高校の「情報」程度じゃ、ダメみたい。
そう思ったのは、Facebookで
こんなページを見たからだ。
社会経験の無い17歳が、カルトなビジネスを始めて、金稼ぎを「成功」と呼んでいる。
稼ぐ目的が曖昧なまま、手段だけを洗練させようとしてしまった彼には、何の疑問も罪悪感もないのだろう。
彼のFaecebookページに関する感想は、
facebookに書いたけど、あとでブログ記事にもしておこうと思う。
ネットは自分がほしい情報を得られるかもしれないけど、それは自分の関心を蓄積する傾向を強くしても、自分の関心から遠いもの、自分の認識を180度改めるような情報ほど蓄積されにくい。
つまり、ネットには、そもそもカルト教団やマルチ商法などにひっかかりやすい仕組みがあるのだ。
だから、自己責任が問われるし、自己責任の意味を知らないユーザが個人的にバカを見る落とし穴にあふれているともいえる。
実際、自分の目で検証してない情報でも、「ネットにそうあった」なんてところだけで納得しちゃう若い世代が少なからずいるのは事実。
そういう「自分ローカルな色眼鏡」のレンズを厚くしていけば、どんどん現実の豊かさから離れていき、気がつけば、自分もカルトな論理に足をすくわれていることに気付かないまま、より深くのめりこむ恐れがある。
そうなってしまうと、情報の多様性にふれる「ソーシャル」ではなく、むしろ近視眼的な「ど田舎ローカル」の発想から逃れられなくいることを自覚できなくなる。
とくに、10代の早い時期に多様な人間関係の経験値が低い地方の子どもたちは、「外側」とつながることを恐れる内向きな集団に弱い。
田舎では、家庭や学校、地域住民自体が、内側向きの共同体として互いに束縛し合って成立しているという性格が根強くあるからだ。
大阪の体罰事件で自殺者が出ても、在校生たちが「あいつの死を無駄にしないために自殺にまで追い詰めた先生を退陣させよう」とは思わずに、体育を指導してくれる先生を自分たちのことしか考えないのも、田舎ならではの内向き発想に毒されたコミュニケーションを善とする文化がその土地にこびりついているからなのだ。
だから、ネット上でカルト集団を見ても、カルトと認知できないまま、自分の視野が狭いことも自覚できないまま、自分が見たいように世界を見て、カルトに身をゆだねてしまう恐れが常にある。
社会にはダメなところもたくさんあるが、それと同等ぐらいには良いものもあるという程度のバランスを持った世界観を持たないと、「自分の知らないものは無いもの」と認知しかねない。
メディア・リテラシー教育が十分に施されないままネットに親しみ、そこにある情報を検証するという当たり前のリスクヘッジの作業を怠るばかりでは、認知のゆがみが常態化してしまう。
認知のゆがみは、カルト狂信者になってしまうだけでなく、うつ病を招いたり、コミュニケーション不全を招いたりと、人生の遠回りをさせる。
これを心底「怖いなぁ~」と感じられているうちが華だ。
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