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■グリコはポッキーtweetのギネス記録で何を誇れるのか? ~CSR経営の視点から


 11月11日、グリコが自社商品「ポッキー」という言葉をtwitterでつぶやかせ、そのつぶやき数でiPhone5に関するtweet数を超えさせ、ギネスに載ることに挑戦した。
 「Try World Record」と名づけられたこのPRは、とても残念なtweetから始まった。

grico.jpg

 なんと、バカなPRだろう。
 そう思ったので、僕は以下のようにつぶやいた。

grico2.jpg

 なぜ「バカなPR」なのか。
 ツッコミどころ満載だけど、3点のみその理由を挙げてみよう。

 ただし、あらかじめ言っておくけど、僕は企業がバカなPRをやること自体は「ご自由に」と思うし、面白がれるなら「もっとやって!」と思うし、ポッキーだって大好きである。
 
 しかし、このバカなPRを見て、今後ポッキーを買うのをためらうだろうと感じている。
 似たような思いは、他の消費者の一部にも生まれただろう。

 だからこそ、どこが「バカなPR」なのかについて書いておきたいし、グリコの広報スタッフにも少しは考えてみてほしいと思うのだ。

 まず、グリコがライバル視しているiPhone5の製造元のApple社は、「iPhone5発売時」についてtweetすることを消費者に向けて「協力してください」などと頼んでいない。

 頼まなくても、iPhone5自体に話題にしたい魅力があるから、「消費者」自身が自発的にtwitter上でつぶやき、その結果がギネスに記録されるだけの数を獲得できたのだ。

 一方、グリコは自社商品ポッキーが売れ続けることを望み、自社で独自に11月11日を「ポッキー&プリッツの日」に決め、広告代理店に大金を払ってキャンペーンを張るという「売り手側」の論理でtweet数を増やそうとした。

 ネット上のソーシャル・プロモーションでは、どれだけユーザ(消費者)自身の自発性を喚起できるかが鍵になるが、Apple社は商品自体の魅力で成功し、グリコは多額の広告費を投入しないと無理と判断した。

 簡単に言えば、金の力にすがらなければ、iPhone5の話題性に勝てないと思ったわけだ。

 これを裏返して言えば、消費者自身が話題を自発的に盛り上げるほど商品の魅力に自信がないので、勝つためには金を使えというわけ。

 そのように金を使ってギネス記録を獲得することに、どれほどの価値があるだろうか?
 そして、ギネス記録を仮に作ってしまい、世界中の人の目に触れる時、外国人の目にどう映るだろうか?

「GDPで世界3位のお金持ちの日本企業は、金の力を使ってもギネス記録を勝ち取りたいのか…!?」

「日本は、アニメやマンガならクールなのに、広告代理店の企画にはセンスがないんだな」

「SonyやPanasonicも凋落してる昨今、商品名を記念日やギネス記録にしようなんて日本は必死すぎる」

 そういうネガティブな印象を持つ人は、世界レベルでは決して少なくないだろう。
 グリコの広報はそれがわかってないから、「日本の恥」を平気でやってしまったのだろう。

 外国でポッキーを売っているグリコの販売・営業のスタッフにとっても、今回のギネス挑戦は売りにくさを増す一因になるはずだ。

 次に、この「バカなPR」を思わせたのは、グリコ自身のCSR経営の方針からブレたからだ。
 グリコでは、「食を通じて社会に貢献する」をCSR活動の基本にしている。

 この理念がただの「目標としてのお題目」でなく、「使命感に基づいた目的」ならば、商品名のついた記念日やギネスに商品名を載せることに金を使うことなど発想しない。

 むしろ、商品自体の価値である「栄養価の高さ」によって、どのように社会に貢献できるかを考え、実行に移していき、その成果こそを広報しようと考えるだろう。

 自社の商品が好き嫌いで選ばれるだけの「ただの嗜好品」ではないと知っているなら、栄養価の高さを極めていけば、iPhoneのように消費者自身がその価値を自発的に他の人に知らしめようとしてくれると考えられたはずだからだ。

 たとえば、ユニクロは、服が満足に買えないアフリカで貧困層へのヒアリングを行い、彼らが買える安さの服の開発に着手している。

 服は、病気を防ぐ衛生面の向上に必要不可欠だ。

 アフリカでは、服を買うだけの金がないために衛生が保てず、風土病が小さい子を殺してしまったり、病気が伝染してしまったりする。

 服という商品は、「健康を守る」という社会的価値を売るものなのだ。
 モノを売っているのではなく、モノを手段とした「健康維持」そのものを売っているのだ。

 一方、グリコは食品を売っている。
 しかも、栄養価の高いものを売っている。

 だとしたら、ポッキーの名前を広報する以前に、ポッキーなり、他のお菓子なりが、どれほど栄養価が高く、栄養不足の人たちをどれほど救えるのかについて調べることこそ、「食を通じて社会に貢献する」ことになる。

 実際、日本でも若年ホームレスや、児童養護施設にすら入れないまま虐待する親の元から避難して家出中の子どもたちなどが、この寒空の下で路上や公園、駅などに増えつつある。

 この不況下では、飢え死にや栄養不良による病気を患う人も増えている。
 そういう時代状況は、国民の多くが感じているはずのものだ。

 グリコの広報や、グリコから企画を受注した広告代理店には、そうした「不況」の実感がないか、そもそもグリコ自身が大事にしているはずのCSRの基本である「食を通じて社会貢献する」に無関心だったのだろう。

 もし、彼らがCSR経営の意味をきちんと理解して仕事をしようと考えていたなら、ギネス記録を勝ち取るよりも、「ポッキーを買って、買えない人に配ろう」というキャンペーンを発想できていたはずだ。

 クリスマスまであと1ヶ月ちょっとだが、にぎやかなパーティでポッキーゲームに興じる人もいるだろう。
 彼らは、グリコに言われなくてもポッキーを買う層であり、栄養不良に悩み苦しむ必要もない人たちだ。

 しかし、世の中には、ポッキー1箱すら買えない人たちが少なからずいる。

 お小遣いなんてない児童養護施設で暮らす子どもたち。
 医療費に圧迫されて病院の出す食事しか口にできない入院患者たち。

 一人親家庭で育ち、親におやつをねだるのもためらっている子どもたち。
 日本語がおぼつかなく、仕事も満足に得られないまま困窮生活を続ける難民たち。

 チョコを食べたくても高価で買えず、原料となるカカオの生産地で農作業を強いられている人たち。
 ポッキーゲームをする相手もないまま、細々と年金暮らしを続ける独居の高齢者たち。

 世の中には、グリコの商品を買いたくても買えない人たちがいて、彼らこそ栄養価の高いグリコ商品を必要としているのかもしれないが、そうした人々へのアプローチなしに「食を通じて社会へ貢献する」なんてことは達成できないだろう。

 消費者がグリコ商品の栄養価の高さを評価できるような広報企画にし、それを買えない人へ配ることの意味を理解できるようなキャンペーンにしたら、ホームレスや児童養護施設にも入れない家出人などへ配られたポッキーの数を消費者に誇らしく発表できたはずだ。

 そうした発想に至らなかったのは、広報担当者自身が自社商品の社会的価値に関心を払っていなかったからだ。
 そのことは、自社商品の価値を自分で貶めたのと同義である。

 歴史ある自社商品のギネス世界記録さえ、広告費をかけないと達成できないと考えた自己評価の低さ。
 グリコは、「金をかけるべきところを間違えた」と認識してないのだろうか?

 今後、グリコの広報スタッフが自社商品の社会的価値を学ぶつもりなら、世界を知るユニクロとの差は縮むかもしれないが、今のところは社歴の浅いユニクロのほうが時代を的確にとらえている意味で、何歩も先を行っている。

 この事実を前に、老舗のグリコを背負う経営陣が「社として恥ずかしい」と感じ入ることがなければ、グリコは消費者や株主からも次第に見放されていき、遅かれ早かれジリ貧になっていくだろう。

 僕はアメリカでもポッキーが密かな人気であるのを知っているし、Youtubeのポッキーダンスも楽しんでいるからこそ、日本語で「ポッキー」とつぶやかせただけでギネスに載ることを誇りたいと考えるグリコの浅ましさが、同じ日本人としてとても恥ずかしいのだ。

 さて、「バカな広報」と思う3番目の理由は、今回の企画がネット上でしか展開されない「ローカル」なものだったことにある。

 ネット上で展開するから「ソーシャル・プロモーション」と考えるのは、早計である。
 「ソーシャル」の本来の意味は、社会的価値を担保にした広報展開が見込まれるということだ。

 つまり、その企画自体に社会的価値があるならば、ふつうは新聞や雑誌、テレビなどがこぞって「取材させてくれ」と殺到し、番組や記事になる。

 社会的価値とは、みんなにとって有益であることが誰の目にも明らかな価値のことをいう。
 今回の「ポッキーのtweetがギネス記録」という話題は、江崎グリコ1社にしか価値がない。

 特定の企業だけにメリットがある広報とは、ずばり広告にすぎない。
 広告ネタをわざわざ無料で記事や番組で紹介したいと考えるマスメディアはない。

 広告費をかけて、ポッキーをクリスマスシーズンにもっと売りたい。
 そういう意図が見え見えなので、報道陣はこんな「バカな広報」を取材したいとは思わない。

 しかし、逆に社会的価値のあるキャンペーンなら、その内容次第では番組や記事に取り上げる。
 それが、マスメディアの本来の仕事だからだ。

 つまり、テレビや新聞、雑誌からソッポ向かれてしまうプロモーションでは「ソーシャル」とは言いがたい。

 それがわからない企業は、延々と広告代理店に予算を絞りとられてしまうだろうが、それで積み重なる大金を思う消費者たちの心は次第にその企業から離れていく。

 なぜなら、「自分が買ったこのポッキーの売上は、グリコの社長やバカなキャンペーンに浪費され、どんなに良い商品でもその栄養価が駅で寝ているホームレスの飢え死にを防ぐことに使われることはないんだな」というネガティブな気持ちを抱かさせるからだ。

 アメリカと同様、中流資産層がどんどん下流資産層へ転落していく傾向にある今日の日本では、「ポッキー1箱が買えない日」が来ることは決して他人事ではないと感じる人が増えている。

 その切実さに対して無関心のまま、広告代理店の安っぽい企画に乗っかってしまうのは、広報スタッフにCSRの理念が徹底されていないからだ。

 それは、経営陣が「CSR経営」をただのお題目として考え、「売れなければ社会貢献もできない」という古い考えのままだからかもしれない。

 もう、「間違いだらけのCSR経営」という本を書こうかな。
 あるいは、どこかの雑誌で連載してみたい気もする。

 もっとも、既に一部の優秀な企業のCSRでは、ソーシャルビジネスへと進化しつつある。
 ソーシャルビジネスでは、社会問題を解決するためにビジネスを「手段」にする。

 これまでの営利最優先の発想では、もうビジネスは持続可能にはならない。
 それを悟った人たちが、続々とソーシャルビジネスの担い手である社会起業家の仕事を学ぼうとしている。

 だから、僕は10月から毎週、「社会起業家・養成ゼミ」を主宰している。 
 全国から今をときめく社会起業家たちが講師として毎回1名登場し、直接指導する。

 自社と違う事業スタイルの社会起業家から学びを得ればこそ、彼らの問題解決の手法が自社のCSRに使えると理解できるはずだ。

 東アジア初のアショカ・フェローになったShuR(シュアール)など、優秀かつ多彩な社会起業家が登壇する。
 アホな広告代理店にダマされる前に、ソーシャルビジネスの最前線の考えと手法を学んでほしい。

★社会起業家・養成ゼミ TOKYO
http://socialventure-youseizemi-tokyo.blogspot.jp/

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(※東京・千葉・埼玉・神奈川以外からの受講生は、予約不要・当日精算で2500円/法人は別料金)

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