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■著者不明の疑惑の本『絶歌』が社会に与え続ける深刻な問題 ~自由の敵に、自由を許すな!


 太田出版は、『絶歌』(元少年A・著)を6月11日に発売して以来、6月24日までに、著者の身元に関して客観的な証拠を一切購読者と市民に明らかにしていない。

 しかも、同社取締役は「戸籍は調べていません」とコメントした。
 他方、同社に著者を紹介した幻冬舎の見城社長は、週刊文春の取材に答えてこう告白した。

「彼は何か身分証明書のようなものを出そうとしたから、『きみが酒鬼薔薇でも酒鬼薔薇でなくても構わない』と言った。(中略)いざ出版するときに確かめればいいと思っていたから」

 企業が事実や文脈と異なるコメントを雑誌に載せられた場合、発売直後に公式に抗議するのが通例だ。
 そうしなければ、自社に対する消費者からの信頼を失い、商売が成り立たなくなることを恐れるからだ。

 そして、6月25日現在、両社は自分のコメントが載った媒体に対して抗議をしていない。
 つまり、太田出版も、幻冬舎も、著者が「酒鬼薔薇聖斗」であるかどうかを、本の発売時点では確認していないことを認めたのだ。

 それどころか、太田出版の岡聡社長は、6月25日発売の週刊新潮の取材に答えて、こうコメントした。

「実名出版か匿名出版かについては、正直、あまりこだわりませんでした」

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 著者が「酒鬼薔薇聖斗」であるかどうかを本の発売時点で確認していないことは、確定だ。
 『絶歌』の著者が誰であるかは、誰にもわからないのだ。
 出版社自身がそう認めたのだから、「本当か?」などと疑う余地はない。
 
 著者が「酒鬼薔薇聖斗」本人だという主張は、太田出版の自己申告であり、宣伝文句にすぎなかったのだ。

 そして今も、著者の身元不明の本『絶歌』が、「ノンフィクションの手記」として平然と全国の書店やオンラインショップなどで売られている。

 ちょっと待て。
 「ノンフィクションの手記」とは、事実に基づいた内容を価値として読者に提供するものだ。

 だから、「ノンフィクション」として売り出す際には、著者の実名・著者の顔写真を公開するのはもちろん、本の内容も第三者が検証できる客観的証拠を出版社が確認することで、本を買う人に対して「事実に基づいた価値がある本」だと保証する。

 それが、出版業界では死守しなければならない商品品質として暗黙の了解になっている。

 『絶歌』ならびに太田出版が、購読者に対して必要最低限度の客観的証拠を何ら明らかにしていないことは、出版のルール(出版業界内の掟)を自ら破ったということだ。

 太田出版は、「ノンフィクション本には丁寧に確認された事実が書いているはずだ」という消費者からの信頼を平気で裏切った。
 それは、著者が殺人者であった場合よりも、はるかに深刻で大きな問題を出版業界と社会にもたらした。

 著者の身元を確かめる客観的証拠(事実)がどこにも無い以上、この本の内容について主観的に論じることは出来ない。
 お化けが書いた本について、「この内容は事実だ」とか、「いや、ウソだ」などと議論することはできないのだから。

 それどころか、著者が誰かもわからない時点で本の内容に踏み込んだ物言いをすれば、差別や偏見を助長するのに加担しかねない。

 覆面の人間が相手なら、その人に対してはどんな物言いでもしていいとなれば、その人間がたとえば統合失調症で妄想に苦しむ精神障がい者であった場合、みんなが寄ってたかって平気で罵詈雑言を浴びせ、自殺へと追い詰めることになりかねないからだ。

 それをふまえて事実だけを大事に確かめることが、冷静にこの騒動の意味を理解するために必要な構えだろう。

 社会学者・宮台真司さんは、ラジオ番組で下記のように発言している。
(※宮台さんが本件について話してる動画はコチラ。10分後から)

「当人が書いたかどうかも分からないし、当人が書いたとすれば彼にお金を払うのも不愉快なので、自分では買っていません。
 すでに買ったという友人から借りて読ませてもらいました」
TBSラジオ「デイ・キャッチ」より)

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 いずれにせよ、『絶歌』が今日も売られ続けている現実は、主に以下の5つの問題を拡大させている。

(1) 著者が不明でも「ノンフィクションの手記」として売る出版社が増えてしまう問題

(2) 新聞・テレビが著者の身元を確認しないまま「酒鬼薔薇聖斗が書いた本」という断定で宣伝として機能する問題

(3) 著者や出版社が出版前に遺族へあいさつせず、事後に本を郵送し、遺族に不当に不快感と不信感を与え続けている問題

(4) 「酒鬼薔薇聖斗」本人が孤立し、自殺や無差別殺傷に導かれる恐れが日に日に高まっている問題

(5) 一部の人が集団ヒステリーのように根拠なく「酒鬼薔薇聖斗」本人が書いた本だと信じ続けている問題



 僕(今一生)は、(5)の問題を一刻も早く収束させ、客観的な事実のみで一連の騒動を冷静に見つめるためにこのブログ記事を書いた。

 (4)については、前述した週刊文春が発売された6月18日に「『酒鬼薔薇聖斗の書いた本』が作る、新たな悲劇の始まりの予感」というブログ記事に詳しく書いた。
(※ツイキャスの動画を「ながら聞き」したい方は、コチラ

 (2)については、6月14日に「著者が『酒鬼薔薇聖斗』である確証を出版社が出さない時点では、本の内容の真偽も不明」というブログ記事に詳しく書いた。


■遺族への許可は不要だが、出版する自由を守るためにこそ、あいさつは不可欠

 (3)についてだが、遺族がどう思おうと、出版する自由と権利は守られる必要がある。

 取材する対象や、関係者の許可をすべてとらなければ、出版できないことが原則になってしまうと、たとえば政府や大企業、マスメディアなどの権力者にすら事前の許可を得る必要が出てきて、これは検閲につながる恐ろしい社会になってしまうからだ。

 だからこそ、自由と権利を主張する以上、その自由と権利に伴う責任や義務を果たすことが当然のルールになる。

 卑俗な例で恐縮だが、結婚前に子どもができてしまったカップルの場合、男は女の親に殴られるのを覚悟して結婚の許可を求めるあいさつに行く。

 そうしなければ、自分の愛する女性を育ててくれた両親をないがしろにしていると思われても仕方ないからだ。
 妻になる女を愛しているなら、妻の愛している両親との関係をマイルドにしたいと願うのが、男が負うことを社会から要請される責任だ。

 当然、そこで結婚を断られ、女の両親から半殺しにされようとも、それを黙って引き受けるのが自分の自由を行使する覚悟を示すことであり、両親との関係をないがしろにしたくない気持ちがある証拠を示すことである。

 もちろん、自分の両親を愛してない女性と結婚する場合、そんなあいさつは不要だが、通常は、相手の親が怖くても、その怖いという気持ちを正当化してしまっては、自分を守ることしか考えてない(=相手の哀しみをないがしろにする)のと同じだと考えるのが、社会人の常識だろう。

 だから、自分が叱られようとも、半殺しにされようとも、大事な女を守るためにこそ、女の両親の前に立つのだ。
 結果的に断られようとも、その礼を尽くすことが、最低限度の社会的責任を果たす行為だからだ。

 しかし、『絶歌』の著者である「元少年A」と、発売元の太田出版は、本が出版される前にあいさつに行くこともなく、本ができちゃった後ですら、遺族の前であいさつをしていない。

 これは、7年もの長きにわたって「酒鬼薔薇聖斗」本人から手紙を受け取り、気持ちを少しずつ和らげてきた遺族の気持ちを傷つけた。
 殺害された土師淳(はせ・じゅん)くん(享年11)の両親は、6月10日、こんなコメントを出したのだ。

「彼に大事な子供の命を奪われた遺族としては、以前から、彼がメディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました。
 なぜ、このようにさらに私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません。(中略)
 もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしいと思っています」


 ある情報番組に出演した際には、「子供は2度殺された」と語った(以上、このサイトより)。

 山下彩花さん(当時10歳)の母、京子さん(59歳)は6月23日、『絶歌』と謝罪の手紙が、弁護士を通じて男性から届けられたことを明らかにし、新聞各社にコメントを寄せたが、手記・手紙のいずれも受け取らなかった。

「B5用紙にほんの10行ほどが印字されており、まるで本の送付書のようでした。
 これまで来ていた手紙とは内容も性質も大きく異なるため、受け取る気持ちになどとてもなれませんでした」


 遺族の弁護士には、新聞各社など報道関係者・出版関係者なら誰でも連絡できる。
 弁護士に手紙が届いただけでは、「『絶歌』の著者=酒鬼薔薇聖斗」という決定的な証拠にはならないのだ。

 ましてや、パソコンの印字では、筆跡鑑定もできない。
 遺族自身が「これまで来ていた手紙とは内容も性質も大きく異なる」とコメントしていることは、むしろ手紙の主が本人ではない疑惑を抱かせる一因になる。

 コメントは、以下のように続いている。

「(中略)手記が書店に並ぶその日に新聞社から出版の事実を知らされたこと、実名ではなく『元少年A』と匿名で出版していること、遺族や関係者のみが知るべき事実が公にされたこと、Aの手記出版を手助けした人たちが居ることなどを知った当初はショックを受け、傷つき、憤りを感じました。
 しかし時間の経過とともに冷静になり、『元少年Aや出版社の人たちと同じ土俵に立ちたくない』という結論に達しました。(中略)」
産経新聞より)


 こうした遺族の痛み、苦しみは、子どものいない僕の心にすら染み入ってくる。
 それでも、いきなり「サムの息子法」のような法規制を真っ先に論じるのは、おかしなことだ。

 そのように、何でも法律による規制を国民が求めれば、政治権力の側にとってのみ都合が良い(=出版の自由を守りたい民間人と読む自由を守りたい国民にとっては都合が悪い)法律が増えていくことになりかねない。

 出版する自由を行使したいなら、遺族に事前にあいさつに行き、出版の意図を直接説明する程度の責任と義務を果たしておけばいいだけの話なのだ。

 たとえ、遺族の方々から門前払いを食らおうと、兵庫の地元市民から白眼視されようと、その様子をテレビや新聞などに報じられようと、そのあいさつの労力を払うのが、本を作って飯を食うプロが「出版の自由」を主張するために必要な通過儀礼だからだ。

 責任と義務を怠った太田出版と著者は、親が赤ちゃんから大事に育ててきた娘をはらませたのに、娘の両親にあいさつに行かないまま、子どもだけを堂々と誰もが見られるネット上にアップするような恥知らずだ。

 しかも、その子どもを使って荒稼ぎをしているのだから、その事実の意味を十分に理解できた人たちが、太田出版の商法や『絶歌』に対して批判する電話を受けるのも、引き受ける責任の一つ。
 そのことで太田出版の社員たちが日々の仕事がしずらくなるのも、仕方ないことだろう。

 出版倫理を守らない社長の下で働き続ける社員たちも、筋の通らない商売をやる出版社の一員として怒った市民に狙われるかもしれないし、社員の子どもたちも「お前の親、太田出版だろ」と周囲からイジメを受けるかもしれないが、退社しない限り、そうした現実を引き受けざるを得ない。

 しかも、殺人者の本を匿名で出せて、しかも遺族に挨拶も不要でいいという出版社があるなら、太田出版の社長や社員を殺して、堂々と自分の手記を出版できると期待する人も、広いこの社会にはいる。
 そうした想定に備える必要もあると覚悟するしかないだろう。

 それが、身勝手な出版ビジネスを続ける人たちが結果的に負うことになる責任と義務だ。
 そんな大変なリスクを社員たちに背負わせる社長の下で、太田出版の社員たちはガマンしながら働き続けるのだろうか?

 本当の「社会的意味」を理解し、「消費者に安心して事実を届けたい」と願う良心を持つ社員がいるなら、「社内の論理」ではなく、「社会の論理」に従って自分の行動を決めるのではないか?

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 遺族の名前を本の中で平気で使っても、著者の身元を確かめもせずに匿名にして出版したことは、本の消費者を小馬鹿にしているということだ。
 今後、太田出版は、自社出版物に対して水面下で不買が進んだり、『絶歌』の回収を求める声が高まっていく結果を受け入れるしかない。

 もっとも、消費者たちが不買運動を展開したり、『絶歌』の回収を求めて裁判を興しても、太田出版は出版のルールを破り続けたまま稼ぎ続けるだろう。
 それは、「出版の自由」の価値を不当に貶めることになる。

 自由を主張したいなら、太田出版の社長と著者が遺族へのあいさつをするか、記者会見を開いて遺族と購読者、社会への謝罪を一刻も早く表明するしかない。

 それを太田出版がしない限り、「出版前に遺族に挨拶すらしなくても加害者の手記を売り出せる」という悪習慣が出版業界に根付いてしまいかねない。
 すると、話題先行型の匿名著者による本を出して稼ぎたい出版社が、続々と増えてしまう。

 このままでは、「どうせノンフィクション本なんて全部ウソだし、出版社はどこも儲け主義」と考える市民を増やし、出版業界全体に対する不信感を消費者に与える。

 これはもう、太田出版1社の問題ではない。
 ただでさえ本が売りにくくなっている出版業界にとっては、ジワジワと効いてくる大きな大打撃に発展しかねない。

 どういうことか?


■著者の身元不明がもたらす深刻な事態と、今後の対策

 出版ビジネスを自由に進めるには、その自由に見合うだけの責任と義務を守ることが必要となる。
 責任と義務を無視して「出版の自由」や「表現の自由」を主張するのは、出版業界では身勝手な振る舞いだからだ。

 『絶歌』の場合の責任と義務とは、著者の実名・顔写真(あるいは経歴や所属先などの詳細なプロフィール)はもちろん、本の中身でも第三者が検証可能な客観的証拠(事実)を明記することだった。

 それが、「ノンフィクションの手記」と銘記した本を出版する以上、本に対する信頼と価値を購読者に保証する最低限度の条件になるからだ。
(※小説・トンデモ本・オカルト本・宗教本・芸能ゴシップものとして売り出すなら、そうした条件は必ずしも必要ではない)

 「わかる人にはわかる」という内容の本では、客観的な事実を読者に保証したことにはならない。
 責任と義務を果たさない以上、太田出版に「出版の自由」を主張できる権利などありえない。

 それなのに、いつまでも太田出版の「身勝手商法」を野放しにすれば、出版業界全体が沈没する恐れがある。

 もし、身元不明の著者の本でも「ノンフィクション」として売り出してよいなら、「俺が本物の酒鬼薔薇聖斗です」と出版社に言い出せば、誰でも『絶歌 part2』という続編を出版できてしまう。

 それでも買ってくれるバカな人が少なくとも10万人ほど見込めるという市場調査に基づいて、太田出版は「初版10万部」という今日ではありえない大きな数字を発売前から設定したのだろう。
(その読みが当たったのか、5万部を増刷したそうだ)

 書籍の売れ行き不振は多くの出版社が抱える頭の痛い問題だから、「10万部」という誘惑に社長自身が負けて、『いや、私が正真正銘の酒鬼薔薇聖斗』という匿名著者の本を出して稼ぎたい出版社も現れるかもしれない。

 あるいは、べつの大きな事件でも「加害者が書いた」という触れ込みで「匿名著者」の本が全国の本屋に続々と並べられ、堂々と「ノンフィクション」の棚に置かれる事態にも発展しかねない。

 『絶歌』では、新聞とテレビは著者の身元を検証することなく「酒鬼薔薇聖斗が書いた本」と断定的に報じてくれたのだから、匿名著者の本を出したい出版人たちにとっては、「追い風が吹いている」と期待するだろう。

 著者がニセモノであっても本物であっても、それぞれべつの異なる問題が浮上するだけにすぎないが、著者が身元不明であること自体が「ノンフィクション本」に対する信頼を失わせる点で一番深刻な問題なのだ。

 ノンフィクション本に対する市場での信頼がガタ落ちすれば、長い年月と途方もない労力をかけて丹念に現実を取材し、新たな事実を発見した優秀なノンフィクションまで相対的に売れなくなる。
 本を買う人の市場を、「匿名著者」の本が奪っていくからだ。

 出版社にとっては、そんな真面目で重厚なノンフィクションより、匿名著者でサクッと短期間に現金収入になる新刊企画の方が社内会議に通りやすくなるため、丁寧な仕事をする著者の本は出しにくくなり、事実の重みが軽視され、市民にとっては何が事実なのかを知る手立てがどんどん減っていくことになる。

 そこで、真っ先に法規制を求める声が大きくなれば、真面目にノンフィクション本の義務と責任を果たしている出版社まで、規制対象となり、出版する自由を行使できなくなる。

 よく考えてみてほしい。

 新聞・テレビ・ラジオ・雑誌などのメディアは、政府から難癖つけられたり、記者クラブのような団体で権力の下でしか情報を得にくかったり、スポンサー企業に気をつかう報道しかできない。

 書籍は今のところ、完全に自由な言論が表現できる最後のメディアだ。
 むしろ、法規制をかけなくても、業界の健全化を実現できる仕組みを考える方が、市民の「事実を知る自由」を守ることになる。

 自由に伴う責任を果たさない身勝手なビジネスに対しては、これまでも「業界内ルール」を改善することで政治権力から法規制されない仕組みを企業は作ってきた。

 食品偽装の問題で消費者からの信頼を失った食品業界では、生産者から消費者まで届くすべての流通工程を公開するトレーサビリティに努めることで、信頼回復を図り、成果を上げてきた。

 工業製品についても、ISOという国際標準規格を設けることで、公平なビジネスによる過当競争をする仕組みになっている。
 ネジ1つでも、その素材や強度などに客観的な評価ができないと値付けも曖昧になり、多くの顧客に損をさせ、業界全体の信頼を失わせる恐れがあるからだ。

 つまり、商品を作って売る以上、金を払う客の側に信頼してもらえるだけの客観的証拠を明らかに示すことは、今日では世界の常識になっている。

 誰もがみんな、自分の口に入れるものは、安心して買いたいのだ。
 脳に入れる情報だって、事実に基づかないものや、事実かどうかを判断できないものであってほしくはないはずだ。

 だから、『絶歌』のように、著者の身元すら出版社が確かめていない本が堂々と「ノンフィクション」として売られ続けている場合、真っ先に改善策を求める先は、本の消費者に安心して買ってもらいたいと望み、出版ビジネスの健全化を守りたい業界団体になる。

 その業界団体とは、どこか?
 400社以上の出版社が加盟する日本書籍出版協会だ。

 太田出版は、この団体に加盟していない。
 それなら、日本書籍出版協会が、「出版事業の健全な発達、文化の向上と社会の進展に寄与する」ために太田出版を誘い、加盟させ、『絶歌』の回収と絶版、匿名著者によるノンフィクション本の出版の禁止を迫ればいい。

 太田出版が断るなら、全国の書店に配本している日販・トーハンという大手取次会社に働きかけて、『絶歌』の注文の即時停止をお願いすればいい。

 日本書籍出版協会には日本の主な出版社が加盟しており、太田出版のようなあこぎな商法は迷惑であるはずだ。
 協会に加盟している講談社・光文社・小学館・旺文社などの大規模出版社は、日販の大株主であり、トーハンの大株主でもある。

 『絶歌』に不満を持った購読者や、太田出版の「匿名著者」商法を許せない市民たちが、1人でも多く日本書籍出版協会へ苦情を伝えれば、協会や取次会社が太田出版に何らかの制裁措置を施す可能性は高い。

 僕自身は、制裁は寛容である必要があり、今後、どんな出版社もあごぎな商法をとれない仕組みを作れるという成果があれば十分と考える。

 これは、選挙で立候補者へ1票を投じるのと似ている。

 しかし、自分たちの商売を危うくすることを平気でやる同業者がいることは、業界全体への不信感を生む機運を作りかねないという恐れは、経営者なら誰でも敏感に反応する。
 その点は、国民の声をまともに聞かない政治家とは大違いなのだ。

 食品業界や工業業界などがかつて経験した「消費者の不信感」による売上不振が、ただでさえ書籍が売れずに困っている出版業界に与える打撃が大きいことは、同業者を集めて団体を組織し、業界内ルールを作り、まともに商売をやってきた自負のある経営者たちには緊急課題として認知できる。

 たかが新興の弱小出版社のために、業界全体の地盤沈下を加速させるような下手を打つなんて、彼らは許せないはずだ。

 それは、事実をちゃんと知りたい良識的な市民=消費者も望むところであるからこそ、日本書籍出版協会にとっても消費者を味方にできる絶好のチャンスにもなる。

 だからこそ、僕は「『絶歌』(太田出版)への出版差し止め・回収を問い合わせる窓口」というブログ記事も書き、政治家が勝手に作る法律で一律に規制されるより先に、業界内での自助努力が進むことを願っている。


■「読む自由」と「買う自由」は異なる ~消費者=市民の選択が社会と未来を変える

 日本書籍出版協会が消費者のニーズに応えて動くかどうかは、消費者=市民自身の選択にかかっている。

 それは、「事実かどうかわからないノンフィクションしか読めない社会に生きたいか? それとも、誰の目にも明らかな事実を安心して知ることのできる社会に生きたいか?」という選択だ。

 後者を選ぶなら、このブログ記事にあるアクションを勧めたい。

 『絶歌』の出版に意味があったとすれば、それは「匿名著者の自称ノンフィクションには価値が無い」ことを1人でも多くの人が理解するきっかけになったことだけだ。

 酒鬼薔薇聖斗事件で「犯行現場」になった明石市では、市立図書館(同市明石公園)では購入しないと発表した。
 条例に基づき、市のホームページ(HP)などで、市内の書店や市民に被害者遺族への配慮を求めた。

 泉市長は、「個人の思いとしては、手記を買ってほしくないし、書店にも並べてほしくないが、書店やそれぞれの市民が判断することで強制はできない」と話した。

 この市長の判断に対して、「焚書が始まった」とか、「事実上の強制排除だ」などの先走った誤解をする人もいる。
 しかし、著者不明の本のことで毎日心を痛めなければならない遺族を思えば、「配慮を求める」程度のことは行政として精いっぱいの措置だろう。

 外を歩けば、地元でも東京でも本屋があり、ネットを見ても『絶歌』の情報に触れてしまう。

 そんな遺族をとりまく環境の中で、せめて日頃から出歩くことの多い地元の市が、「買う自由」や「売る自由」を阻害しないように折り合いをつけながら「配慮を求める」にとどまったことは、称賛されてもいいぐらいだ。

 今回の『絶歌』騒動で心を痛めているのは、遺族だけでなく、凄惨な犯行現場になったまちで暮らす地元市民も同じだろうから。

 想像してみよう。
 あなたが自分の大事な人間やペットが殺された場合、殺した相手が堂々と「俺、俺、殺した男!」と言ってくるような本が、地元のまちを歩いただけでイヤでも目に飛び込んでくる日常生活に耐えられるだろうか?

 にこやかに笑いながら歩く学生たちの小脇に抱えられている『絶歌』。
 本屋の店頭やオンラインショップにこれ見よがしに並べられている『絶歌』。
 電車やバスに乗っても目に入る車内吊り広告にある週刊誌の見出しの『絶歌』。

 テレビやラジオをつければ不意に聞こえてくる「少年Aの書いた本…」という声。
 図書館やケータイ電話で誰かが尋ねる「サカキバラの本、ありますか?」という声。
 良かれと思って、「心配しなくていいのよ」と周囲の人たちがかけてくれる声。

 そのすべてが、遺族や地元市民にとっては一刻でも速く忘れたい苦い記憶だろう。

 遺族の一人、山下京子さんは、新聞にこうコメントした。

「兵庫県明石市の泉房穂市長が、遺族感情を踏まえ市内2カ所の市立図書館にAの手記を置かない方針を表明されました。
 また、各地の書店でも販売自粛や不買の動きが広がっているようです。
 こうした日本社会の良識に心から感謝するとともに、今回の一連の騒動が、一日も早く最も良い形で収束する事を願ってやみません。
 そして、彼らに振り回されることなく、私たちが歩むべき道を歩いて行くことを彩花は望んでいると信じています」


 そうした遺族の痛みを思い浮かべることもなく『絶歌』を買えたことを喜び、「べつに事実確認を大事にしない社会でもかまわない」とする人たちが一部にいる。

 実際、『絶歌』の著者の身元が不明で、誰が書いたかわからない本であることを、ブログやtwitterで何度訴えても、一部からはこんなレスが平然と届けられた。

「それでも私には関係ない。興味があるから買うだけ」
「ノンフィクション本だって、どう読もうが、買った人の自由でしょ」
「元少年A=サカキバラが書いたという設定で本の世界に入りたいから、余計なお世話」


 もちろん、何を読もうが、どう読もうが、それだけなら読む人の頭の中だけで果たされる自由なので、誰にも迷惑をかけない。
 それは、誰からも否定されない自由だ。

 しかし、「読むこと」と「買うこと」は、意味が異なる行為だ。
 読むだけなら誰も傷つけることは無いが、買うことは多くの人たちに迷惑をかけることがあるからだ。

 税金で運営される公立図書館なら、「知る自由」の原則のために、「買うことで生じる社会的責任」から免れることはできない。
 著者不明の本をわざわざ買い急ぐ必要はないし、入荷の優先度が高くなる正当性もない。

 日本図書館協会の図書館の自由委員会は、こんな声明(全文)を発表した。

「図書館は,正当な理由がないかぎり,ある種の資料を特別扱いしたり,資料の内容に手を加えたり,書架から撤去したり,廃棄したりはしない。
 提供の自由は,次の場合にかぎって制限されることがある。これらの制限は,極力限定して適用し,時期を経て再検討されるべきものである。
  (1)人権またはプライバシーを侵害するもの」


 『絶歌』の著者は、本の中で被害者・遺族の名前を使い、彼らの人権・プライバシーを侵害してる。
 しかも、殺された子は抗弁できない。
 つまり、図書館が提供する自由を制限しなければならない本であり、税金を使って入荷を急ぐ正当性はない。

 こういう本の場合、著者の疑惑が晴れて「本人」だと判明し、ニセモノの著者でないことが確認できてから古本を入荷すれば、税金で出版社と殺人者を肥やすことに加担しなくて済む。

 ニセモノの著者が荒稼ぎを目的に書いた新刊書を購入した場合、全国の図書館員、図書館を支える方々などの個人・施設をあわせて約7,000の会員を擁する日本図書館協会が冷静に事態を理解しなければ、著者に100万円以上、出版社にも300万円以上を市民に税金で払わせることになる(定価1500円×著者印税率10%×会員7000以上)。

 地域の市民はそんなずさんな税金の使い道を許さないだろうし、そんな図書館員の仕事の浅さもとうてい納得しないだろう。

 社会悪は、「自分1人くらい…」から大きく育つ。
 個人の罪悪感が小さい分だけ、生きづらい社会はとても作りやすいのだ。

 でも、その自由に伴う責任なんて果たせるの?
 ポイ捨てゴミで汚れた街、電力の過剰消費による原発稼働や温暖化、政治的無関心による安倍総理の暴走…。

 『絶歌』を売る・買う個人が社会に残した爪痕は、以下の通りだ。

★遺族:『絶歌』がある限り、どこへ行っても大事な人間を失った悲しみを忘れることができない
★太田出版:自社のイメージが悪くなり、自社出版物の不買運動が進んだり、『絶歌』の回収・出荷停止を迫られる
★出版業界:ノンフィクション本に対する不信感が拡大することによって、売上不振が加速する
★市民:事実を丹念に取材したノンフィクションに触れることが減り、事実が何かを知る手立てを徐々に失ってしまう
★著者:いずれ身元がすっぱ抜かれると、日本社会で働けなくなるどころか、生きていけなくなる
★酒鬼薔薇聖斗:匿名による孤立の果てに、自殺や無差別殺傷事件に追い詰められる恐れが日に日に高まってしまう


 売った人も、買った人も、上記のような結果の責任を負えるわけがない。

 でも、ただ一つだけ負える責任がある。
 それは、太田出版に「著者が誰なのか、誰もが納得できる客観的な証拠を出してくれ」と問い合わせることだ。

 その責任を果たしてこそ、「売る自由」も「買う自由」も社会的に容認されうる。
 自分が加担した社会的な悪影響の大きさに比べれば、メールで問い合わせることぐらい、売ったり買ったりすることと同じ程度に簡単なことじゃないか。

 『絶歌』は、著者が身元不明であるために、誰も幸せにしない本なのだ。
 そういう本を買えば買うほど(=売れれば売れるほど)、上記の悪影響はどんどん拡大してゆく。

 『絶歌』を買うことは、買った人自身はもちろん、買った人にとって大事な家族や友人、これから生まれてくる子どもにとっても、誰にとっても生きづらい社会を続けることに加担するってこと。

 『絶歌』を売ることも、売った人自身はもちろん、売った人にとって大事な家族や友人、これから生まれてくる子どもにとっても、誰にとっても生きづらい社会を続けることに加担するってこと。

 「酒鬼薔薇聖斗」事件(神戸連続児童殺傷事件)とは、現実に小さな子どもや猫が次々に殺された事件だ。
 そして、遺族も、遺族を思いやる周囲の人も、事件を知る地元市民も、地元の取材記者も、毎日心を痛めている。

 そんな事件の「加害者」を自称するお化けの本の内容を真に受けて、友人たちどうしで盛り上がるとしたら、それは自分の周囲の人間たちが自分と同じバカばかりだってこと。

 バカの仲間うちではそれでいいと思ってしまうだろうが、社会にはそういうダマされやすいバカたちから金を巻き上げて、リッチになって高笑いする会社がたくさんある。

 『絶歌』のヒットは、著者が誰かを出版社も知らないのにあわてて「売るバカ」「買うバカ」がいるおかげで続き、「稼ぐバカ」である太田出版と著者だけが得する構図だ。

 自分のやってることがわからないバカを釣って儲けるのだから、自社に火の粉がかぶる心配もせず、儲かりすぎて笑いが止まらないだろう。

 でも、「みんなが読んでるから俺も…」なんて、後から『絶歌』を買いに走る人を、友人たちは内心、軽蔑している。
 「コイツ、みんなと話を合わせたいために、わざわざ本を探したんだな。イタいやつだわ」

 いくら好奇心があろうとも、急いで新品を買う必要はない。
 どうしても買いたくなったら、ブックオフやAmazonのユーズドで買うのが賢い選択だ。

 バカを狙い撃ちし、彼らを釣って稼ぎまくりたい太田出版や著者を儲けさせたくないならね。
 それは、ちょっと冷静に考えれば、中学生にでもわかることだ。

 お化けの本で、誰も幸せにしないよのなかにしたいの?
 それとも、著者の身元がハッキリしてる本を安心して読めるよのなかにしたいの?
 
 この問いかけを『絶歌』の発売当初から今日まで一貫して続けているプロの書き手が、僕と、「当人が書いたかどうかも分からないし、当人が書いたとすれば彼にお金を払うのも不愉快」と発言した宮台さんだけなんて、日本のメディアはあまりにも罪深い。

 お化けにすぎない「匿名著者」に振り回されるなんて、もうやめよう。
 『絶歌』を買う人・売る人が1人でも減るように、みんな、助けておくれ。
(このブログ記事のリンクをネット上に拡散したり、地元の市長や知事、図書館や本屋に伝えてほしい)

 きみに名前があるように、誰だって自分の名前を明かした方が、手を差し伸べてくれる人が見つかる。
 「酒鬼薔薇聖斗」本人だって、ネットを使ってる。
 いつまでも「透明な存在」でいるからこそ生きづらいんだってことを教えてあげよう。 




 なお、『絶歌』に関するブログ記事や、上記の記事の「追記」は、コチラ

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■7・7夜 大阪でソーシャルデザイン「よのなかを変える人たち」(←クリック)
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 7月7日(火) 開場 PM6:30 開演 PM7:30~PM10:30/大阪ミナミ ロフトプラスワンWEST
(※Googleに日本一に認められたホームレス支援、LGBT、動物殺処分ゼロなどの団体が集合)



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