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■自殺防止の番組で、自殺したくなくなった? ~問題解決の当事者を回避する人たち #nhk_heart


 NHKが、ハートネットTV+「生きるためのテレビ」(3夜連続)という自殺特集の番組を放送した。
 同番組の説明サイトには、こう書かれていた。

 「死にたい」を語ることで、「生きたい」を考える。
 かつてないテレビ番組が、いま始まります。


 はぁ?
 この言葉にカチンと来た僕は、こんなツィートをした。



 自殺の特番に3夜連続のシリーズを制作するなんて、企業スポンサーによって番組制作をしている民放では、まず無理だ。
 それは、NHKしかできない貴重な番組枠なのだ。

 だからこそ、NHKに受信料を払っている番組スポンサーである視聴者は、「もっと死にたくなくなる番組を作れ」と怒る権利がある。

 しかし、自殺にまで追い詰められて余裕を失っている人や、自己評価が低いために自責する癖がやめられない人は、そもそも自分を害する相手に対してすら「怒る」ということができない。

 だから、「自分の苦しみが解決ができるテレビ番組なんて、NHKが作れるわけがない」とさえ思わない。

 自殺にまで追い詰められているのだから、最初からNHKのこの番組に何も期待はしていないかもしれないし、内容がお粗末だったとしても落胆もせず、ただ黙って番組に対して受け身の構えをとるしかないのかもしれない。

 自己評価が低く、本当は社会の仕組みが悪いために追い詰められてしまう人は、相手を責めず、自分の能力不足を責めてしまうのだから、本当に生き苦しい人たちは、番組がどんなにお粗末でも、自分を死への願望から解き放つ情報を1個も伝えてくれなくても、NHKの番組製作スタッフに文句をつけたりはしないだろう。

 死にたい当事者に取材しているはずの番組製作スタッフは、「どうせ自殺志願者は番組に文句をつけたりしない」とわかっているからこそ、いつまでも生ぬるい内容で満足してしまうのだ。

 さて、何日間も多くの視聴者を巻き込んで、NHKは何をしたかったんだろう?

 もし、番組のディレクターやプロデューサの家族や友人に自殺志願者がいたら、家族や友人があの内容で納得すると思えるのかね?

 自殺に導くさまざまな社会問題の解決を考える際には、「その社会問題を作ったり、温存しているのは自分自身ではないか?」という自問が必要不可欠だ。

 自分こそが問題を温存している当事者であるという自覚をもって、その当事者性を社会のより多くの人とシェアしていこうという構えがマインドになければ、解決できるはずの問題も解決できない。

 結局、他人事だから、死にたい当事者に自己責任を強いるように「がんばって生きて」と言えるのだ。

 死にたい当事者の抱える問題の解決を本気で考え、自分が労力や資産、時間を投資しなければならない当事者としての覚悟があるなら、「僕もがんばれないかもしれないけど、君と一緒に生きていきたい」という言葉になるはずだ。

 だから、僕はNHKが以前に自殺特集をする際に寄稿を求められたとき、こんな文章を書いた(以下、引用)。

 「死にたい」と言う人に、僕は「生きろ」なんて簡単には言えない。
 「生きろ」と言う以上は、その人を死にたくなるほど苦しめ続けてきた問題を一緒に解決していく覚悟と体力、そして資本力が問われるからだ。
 僕はそれを身をもって知った。


 自殺防止に効く音楽や映画などのアートは結構ある。
 なのに、なぜかドキュメンタリーや議論、自殺防止に成果を出していないNPOの代表や精神科医を招いたトークというフォーマットで番組を何十年も延々と続けるのは、番組制作者が自殺志願者と長く深く付き合ってないからだ。

 実際、自殺の番組なら自殺志願者を探して、会って、数回だけ話を聞いたら二度と連絡をとらないという付き合いで、何かがわかったかのように映像の編集→オンエアという「やっつけ仕事」を不思議に思わない報道関係者は珍しくない。

 番組の放送によって、自殺者が減ろうが、増えようが、自分の給与にまったく影響せず、明日も明後日も生活が保障されている正社員のディレクターやプロデューサは、オンエアが終われば、取材から学んだ豊かさをより若いディレクターに継承したり、取材の蓄積によって新しい切り口の番組を作り出す必要がないからだ。

 しかも、自殺や自傷行為の当事者のみを取材してたら、その原因はいつまでもはっきりしないに決まってる。
 本人の自己認知と、俯瞰して見た社会のありようは、程度の差こそあれ、必ずズレているからだ。

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(NHKの番組サイトより)

 なぜNHKは、当事者と付き合う親や友人、職場の同僚やメル友なども含めて取材しないのか?
 当事者の真意や事実を検証できるのに。

 だから、オンエアされる番組では、自殺や自傷行為を「当事者個人の苦しみ」として見せることで、当事者を自殺や自傷行為に追い詰めてる「当事者のまわりの人」(家族や勤務先の同僚や友人、教師、医師など)が抱える「当事者との関係のまずさ」の問題を見えなくしてしまう。

 それは、死にたい当事者の苦しみを温存し、早期の解決につながらない …。

 自殺や自傷行為を「問題」にしたがってるのは、当事者というより、そのまわりにいる家族や友人、医者だ。
 行為をやめさせようとするだけで、当事者の訴えに耳を貸さないから、依存症化してしまう。

 このように「やめさせよう」とコントロールする人を「イネイブラー」といい、死にたい当事者をいつまでも苦しみのループの中に閉じ込める。

 「生きてくれ」と祈るだけで、自分は当事者に対して何もしない。
 そんな構えは、相手に対して「生きろ」と支配しようとしているのと同じだ。

 NHKは、一連の番組の最後に、こういうメッセージを流した。

「一瞬、一瞬を大事にしようと思って」

 最後になに、この優等生的なまとめ!
 自殺番組でコレじゃ、がっくりだよ。
 というか、イネイブラーを肯定し、大量発生させ、死にたい当事者をますます孤独へと追い詰めるじゃん。

 NHKの自殺番組の制作スタッフはもちろん、多くの人に以下のブログ記事を読んでほしい。

■自殺対策に関連した記事を5本

 自殺は、心理的な問題ではないし,精神医学で解決できる問題ではない。

 病院・学校・家族・会社を含む「社会」の仕組みによって苦しみをこじらせてしまった問題なのだと気づくとき、心情を共感できるコンテンツだけを提供するのではなく、目の前の特定の個人の問題を解決できるようにするために、その人の周囲の人に何ができるのかについて、豊かな知恵や経験を分かち合えるコンテンツである必要がある。

 テレビには、もっとできることがある。

 1990年代に、僕は自殺・自傷のイベントを渋谷で主宰した。
 50人の客で自殺も自傷もしてないのは1人か2人。
 自殺・自傷の当事者が圧倒多数だから、みんな和気あいあいと日常では絶対に言えないことを話せた。

 NHKもやればいい。
 当事者との関係を育めば、番組に出たい人も増える。

 自殺問題は、「生きるか死ぬか」という2択では見えてこない。死にたくなるだけの苦しみを抱えた当事者とその周囲の人がどういう関係を構築できるかという自問が自殺の本質的な理解に必要だと認識しなければ、当事者の苦しみを解決する伴走者が1人もいない深刻さが分かち合えない。

 NHKにお金を払っている僕ら視聴者は、自殺という重くて深刻な問題を扱うNHKに対して、「問題解決の事例を豊富に紹介しろ」と怒ってもいいし、「ディレクターはソーシャルデザインくらいちゃんと取材しろ!」と怒鳴ってもいい。
 番組のFacebookに思いを書き込んでもいい。

 買い物をして、自分の買った商品とは違う期待外れの商品を提供されたら、誰でも怒るよね?
 僕らが出した金でメシを食っているNHKの人たちには、きちんと文句を言おうじゃないか。
 自分自身のために、救われるはずの情報も得られずに今も生き苦しさに悩まされ続けている仲間のために。




 考えるだけ考えさせておきながら、具体的に何をしたらいいのかに踏み込まない番組は、問題を解決する当事者性を多くの人と分かち合うことが難しい。

 そんな毒にも薬にもならない生ぬるい番組なら、中島みゆきさんの歌『ファイト!』を黙って聞かせてくれる方が、よっぽど良い番組になると思う。
 知らない人は、よかったら聞いてみて(↓下記に歌詞付き動画)。

ああ 小魚たちたちの群れ きらきらと
海の中の国境を越えてゆく
あきらめという名の鎖を
身をよじって ほどいてゆく
(中島みゆき 作詞・作曲『ファイト!』より)


(吉田拓郎さんのカバー・バージョン/歌詞の全文はコチラ

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■日本は「良い文化」だけを輸出したわけじゃない ~今後は原発も輸出するの?


 「逃げられない日本人」について書いてみる。

 日本への外国人観光客が続々と増えている。
 日本文化や日本人に対する良いイメージに煽られている世界の人々が増えているということだろう。

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 しかし、日本のテレビがさんざん日本に対する外国からの賞賛を紹介するのを見て、日本人のあなたは手放しで喜んでいられるだろうか?

 日本は、良いものだけを輸出してきたわけじゃない。

 たとえば、ニューヨークの9・11の「自爆テロ」という手法は、かつてテルアビブ事件(自爆テロ)を起こした日本の革命家が中東に伝え、中東のゲリラを刺激したことで起こったという見方を、立花隆さんが9・11の直後に『文藝春秋』で書いていた。

 自爆テロは、極左による自爆テロだけではなく、「特攻隊」「人間魚雷」のように戦時中から日本人しかやらなかった攻撃のあり方だ。

 日本人の戦い方は自滅的で、クレイジーなのだ。

 社会的に追い詰められたら、親子でも、恋人でも、戦士でも、みんな心中という自爆テロを起こしかねない。
 しかも、最近ではフクシマという3番目の被爆地を国内に生み出した原発をトルコやインドなどに総理自らが売り込んでいる。

 いざ事故を起こしたら日本人が全額賠償責任を負うというのだから、これも心中や自爆テロの精神そのものだ。

「俺も死ぬから、お前も死ね」
 それが心中=自爆テロの基本モデルだ。

 自分の命を安くすることで、相手の命まで安く扱う。
 自分の虚無や無力に居直り、その虚無や無力を満たすために相手を必要とし、その相手を支配しようとする。

 これは、心理学では「共依存」という。
 恋愛や政治、経済やヤクザ、児童虐待やDVなどまで、すべてこのパワーゲームによる支配構造を強いてくるのが、日本人特有のいやらしさなのだ。

 日本という国を他国が面白がって、もっと知ろうとしてくれているのは、ごく最近のことだ。
 ここ10~20年間でやっと世界の多くの国のふつうの人々が、日本が地球のどこにあり、どんな暮らしぶりなのかに興味をもってくれた。

 だからこそ、僕ら日本人は、自爆テロや心中といった共依存のような忌まわしい文化を反省し、他国と仲良くできるよう、自分の頭で考え、同調圧力に負けないインディペンデントな力強さを内面に身につけることが必要だろうし、それが世界から評価されている本来の日本文化の良さを守っていくことになるだろう。

 なぜなら、世界から高評価を得ている日本文化の多くは、原発や広告、政治などではなく、映画・弁当・マンガ・茶道・空手などに代表されるような「職人的な個人技」であり、空気による同調圧力に屈しないところから生まれたものばかりだからだ。

 だからこそ、安倍総理や自民党を政治の舞台から消すことのできない日本の貧しい民度を本当に残念に思うし、日本に期待する世界の民間人に対して申し訳なく思う。
 それこそ、あえて言うなら、僕ら現代日本人は「恥ずかしいボスを仰いでいる」といえよう。

 とても恥ずかしい男をそのまま総理のイスに座らせておくほどバカな国民ではないことを、次期選挙ではきっぱり世界に知らしめよう。

 そして、観るべきはオジサン集団の政治ではないと知ろう。

 日頃からソーシャルデザインによって民間人こそが政治よりはるかに優れた社会づくりをしている国であることを、日本人自身がもっと知って、僕ら自身を誇らしく感じてほしいと思う。

 もう、右だの、左だのと議論してる場合じゃないんだから。


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■「良い子」と自殺率から見えてくるもの ~仕事を求めて都市に住めば全員幸せか?


 ちょっと興味深いデータがある。

 文部科学省「平成25年度全国学力・学習状況調査」の分析による「いい子どもが育つ」都道府県ランキングで、子どもの資質や成育環境として望ましい・望ましくないという判断が可能」な46設問を抽出したところ、秋田県が1位になったのだ。

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 1位の秋田県は、学力調査でもトップ。分野別では、全11分野中6分野でトップ。設問別では、46設問中20問でトップだった。特に、「コミュニケーション能力」や「体験」では全項目でトップとなった。

 しかし、一方で、秋田県といえば、過疎化によって、なんと19年間も自殺率1位という汚名を記録した県だ。

 そこで、「いい子どもが育つ県」と、自殺率の高い県を並べてみる。

☆「いい子~」の総合評価 (2013年)
●1位「秋田県」65.8、
●2位「宮崎県」63.3
●3位「山梨県」57.0
●4位「埼玉県」56.4
●4位「広島県」56.4
●6位「栃木県」56.2
●7位「福井県」54.8
●8位「岡山県」54.0
●9位「富山県」53.8
●9位「山口県」53.8

☆自殺率の高い都道府県(2013年)
●1位 岩手県 27.47
●2位 新潟県 26.94
●3位 秋田県 26.85
●4位 島根県 26.08
●5位 群馬県 25.65
●6位 山形県 24.66
●7位 富山県 24.20
●8位 青森県 23.76
●9位 鹿児島県 23.69
●10位 山梨県 23.61
(※人口10万人あたりの自殺者数)

 秋田・山梨・富山が、かぶってる。
 少なくともこの3県については、「いい子」と自殺に相関関係を疑ってみてもいいかもしれない。

 近年は中高年の自殺が目立つが、若年層の死因1位が自殺であることは変わらない。

 良い子が育っても、低学力のまま中高年で地元に残らざるを得なくなると、自力では仕事を作れず、過疎による失業・貧困や、コミュニケーション不足による孤独や介護疲れなどで自殺に導かれるということだろうか?

 そうなると、「いい子」とは、学力が優秀になってさっさと田舎やデキの悪い子を捨てて生き残れる子、というメッセージに見えてくる。

 では、勉強が諸事情でできなかったり、どうしても学力を相対的に上げられる環境にない子はどうなるんだろう?

 ここに、官僚による弱者切捨ての発想を見るのは、僕だけだろうか?

 親の所得と子どもの学歴が完全に比例している今日、51%の市町村が25年以内に消滅すると予測されている以上、国全体の人口減を食い止める意味でも、国力を維持・向上させる意味でも、田舎の勉強のできない子の学力を底上げしたり、低学力でも稼げるまちづくりに本腰を入れて取り組む必要があるんじゃないだろうか?

 ほかの人が書いた「ドラゴン桜が書かない本当の日本の底辺」というブログ記事も、ぜひ参照してみてほしい。

 学力格差が、東大を目指せばなんとかなるという幻想を、教育現場から「ありえねー!」と指摘するリアルな記事だ。
 『ドラゴン桜』の幸せモデルは、完璧にマンガ的な幻想なのだよ。


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■あなたは知らない人に自分の相談をしますか? ~NPOをやるなら考えておきたいコト


 自分が何かに困った時、声をかけられたいと望む人って、本当に多いのかな?
 あなたが深刻な問題を抱えた時、「誰か私に声をかけてくれよ」と望むだろうか?

 どうしても自分だけでは解決できないと切羽詰っても、自分が「この人なら」と期待した人に自分の方から声をかけるのでは?

 声をかけられるだけの言葉とアクションを日頃からやっている人なら、相談したい人自身から声がかかる。
 それが、困ってる当事者ニーズに見合うだけの公共サービスの証拠なのだ。

 ところが、行政でのイベントや、テレビ番組では、必ずしもそうした判断基準で勉強会のゲストを招いたりしない。

 新聞も同様で、「本当に当事者ニーズに合うアクションなのか?」という判断基準が軽視される。
 だから、こういう番組が平気で制作されるのだ。


20140901HeartnetTV Breakthrough File12 JK... 投稿者 tokukaza7

 自殺も家出も売春も、「自殺しないほうがいい」「家出を避けたい」「売春をやめさせたい」という正論を疑わないところから企画が出発し、優等生的なメッセージと活動をしている若者がいると、視聴者を容易に味方につけられるため、安易な番組が作られてしまう。

 僕にもさんざんこうした番組制作への出演やブレーンの打診、「取材相手を紹介してほしい」というオファーがあったけど、結局、そのほとんどを断らざるを得なかった。

 なぜなら、「問題」を起こしてる人として当事者を紹介しても、優等生に反省を迫られているかわいそうな子、という範囲しか、オンエアしないからだ。
 記事にしないからだ。

 それは、結果的に当事者個人に自己責任をかぶせるだけで、視聴者や読者が当事者自身の望む解決のあり方を探ることに伴走することを動機付けられないし、解決の仕組みに参加できることもないし、当事者に対するコンパッションを抱かせることもない。

 つまり、視聴者や読者をいつまでも「誰かの苦しみを作り続けている当事者」として突きつけるメッセージは、マスメディアでは流せないし、報道関係者も自分の報道内容がまるで暗いトンネルの奥に叫ぶように、あいまいな社会にしか向けられない。

 これは、テレビ番組を作ったり、新聞記事を書く人間、編集する人間が、「自分自身の社会問題への関心のもち方自体が問題解決を望む当事者とは違う」ということに気づいていないか、そうした自問を回避しているからなのだ。

 その証拠に、取材相手と長い間、付き合いを続ける人は、新聞社の社員やテレビ局の社員のような「ジャーナリスト」ではなく、その外注仕事を請け負っているフリーの記者だからだ。

 実は、新聞社やテレビ局の正社員の方々は、取材を機に取材相手と長く深く付き合うことを避けるし、1度しか会わない人すらざらにいる。

 彼らにとってニュース報道は日々消費するネタにすぎず、より深くより真実を掘り下げることをしなくても、固定給をもらえるからだ。
 フリーだと、それでは食えない。

 同じネタでも、それまでに発見されてない新事実や、新しい視点などを獲得できるまで、現実を掘り下げるには、同じ取材相手と関係を深くし、その深さによって相手が言えなかったことが言えるようになるのを辛抱強く待たない限り、驚くような真実を発見できないからだ。

 大学でメディア・リテラシーを学ぶ人たちは、そういう生臭い報道の現場について知らされているんだろうか?

 ともあれ、支援活動の正当性は、支援される側の切実なニーズがあってこそ成立する。
 支援される側の声に担保されない支援活動は、支援したい人自身のエゴにすぎない。

 支援されたい人は、自分が必要とする支援内容を十分に備えたところに自発的に足を運ぶ。
 自ら声をかける支援は、支援内容がニーズから遠い証拠なんだよ。

 NPOなどの非営利活動における内容は、市場原理で言えば、商品やサービスと一緒。
 価値のないものには、お金も時間も足を運ぶ労力も支出しないのが、まともな消費者だよね?

 NPOのアクションは、その活動成果が、それを必要としている当事者のニーズを十分以上に満たしていなけりゃ、ただの自己満足にすぎないの。

 深刻に困っている当事者の声よりも、自己満足を続ける活動家の声を大事にするって、どこか変だと思わない?


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■ブラック企業大賞、もうちょっと工夫して社会的なインパクトを生み出せないのか?


 9月6日(土)、ブラック企業大賞2014の大賞に株式会社ヤマダ電機が選ばれた

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 ブラック企業大賞が、アメリカのサイテー映画を決めるラジー賞ぐらいの「冷やかし」なら社会に何の影響も与えない。
 それは忘れっぽい日本人にとって、ただの無害な一部のお祭りで終わる。

 実際、過去に大賞を受賞した東京電力は、劇的に何かを改善したかい?

 動物実験を続けていた資生堂は、実験反対のNPOに根負けして、化粧品の製造における動物実験の全面停止を宣言したが、そういう流れを「ブラック企業大賞」が作ってるように見えるかい?

 片方では、社会問題の解決を進められる仕組みが豊かにあるのに、他方では世間的な評判を少しだけ落とす程度の活動に甘んじてる人たちがいる。
 これは、どこまで本気でその活動に取り組んでいるのかという「動機」の問題が大きいのだろう。

 選考委員を選んでいる人たちに、本気で社会を変える気持ちがあるなら、もっと戦略をもつべきかもしれない。

 たとえば、ブラック企業大賞を受賞した会社のヒット商品をあえて紹介して、「あなたもブラックに加担してます」と消費者=市民に呼びかけてはどうか?

 あるいは、ブラック企業の広告に出演して莫大な収益を得ている有名人の名前と顔も出して、「あなたのファンも悲しんでいますけど、どう思いますか?」とコメントを有名人に求めた結果を公表してもいいかもしれない。

 もちろん、その企業の取引先・納品先・メインバンクなどの企業も、規模の大小を問わず、企業名をきっちり公表しておくといい。
 大賞を受賞した企業を支えている企業までブラック企業の仲間と思われるのは嫌だろうから、受賞企業の周辺との関係も見直されることを期待できる。

 それと、「ブラック」の判断基準における客観的なデータもきちんと発表し、当代一流の経済学者たちに、ブラック評価によって消費動向がどうなるかについてもコメントさせ、企業のブラック改善における費用対効果や、売上の機会損失を数値にした試算まで発表するといい。

 ブラックを改善することで、どれほど売り上げが良くなるのかの事例も紹介し、「だからブラックと呼ばれる企業体質を改めないと損ですよ」という社会的コンセンサスを作っていくという姿勢を見せ、ブラック企業大賞の開催を重ねることで「日本企業の75%を10年以内に労基法順守の企業に生まれ変わらせました」というソーシャル・インパクトの実績を見せる必要があるだろう。

 いっそのこと、一般ネットユーザから「この大賞によって社会を変えるためにどんな工夫や仕組みが必要でしょうか?」というアイデアを公募し、ブラック大賞の受賞企業と同時に発表すればいい。

 特定の企業に対して「おまえはブラックだ!」と指摘する以上、自分たちも反省点があり、真摯に受け止めるという姿勢を担保しておかないと、正義を振りかざす権力になりさがりかねないからね。


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