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■リバ邸×今一生 「自分の仕事」を作る1dayワークショップ ~事後報告と今後


 7月26日(土)の午後に、リバ邸×今一生 「自分の仕事」を作る1dayワークショップを開催した。

 これは、仕事を自分で作り出したことの無い初心者向けに、個人として自分の仕事を始める「自営業」のスタートアップを学ぼうというものだ。
 事後報告ふうに記録しておこう。

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(渋谷のシェアハウス「リバ邸」の共有リビング内で行われたようす。みんな真剣だ)

 まず、このワークショップは、ネットで予約すると、自分史年表を前もって書くように求められる。
 どう書けばいいのかについては、事前に送られたサンプルの年表を参考にしながら、ボリューム制限なしで書く。

 これは、学歴や職歴だけを記入する履歴書とは違い、自分が人生で喜怒哀楽を感じたことを「事件」として扱い、その事件によって自分の人生がどう方向付けられてきたのかを振り返るために、時系列で歴史年表のように記述するものだ。

 会場では初対面の人とペアを組み、参加者どうしで交換し、相手の自分史の中から自分が「面白い」と素直に思える部分を指摘する。

 自分にとっては「恥ずかしい」とか「失敗だ」と思えるような経験も、他人から見れば「こんな苦労を乗り越えて今日まで生きてきたのか」という驚きと尊敬の対象になる。

 それが「面白い」という表現として伝えられ、自分に対するネガティブな評価が自分以外の誰かにとっては必ずしもネガティブな評価だけに収まるものではない豊かさを持つことであること気づくチャンスになる。

 自分にとって当たり前すぎて平凡だと感じてきた経験も、他人から見れば「私にはとてもできない貴重な経験」に映る。
 実はそうした「固有の経験」こそが、その人にしか持ちえない価値なのだ。

 自分にしかもってない「固有の価値」に気付くことは、自分にしか売れない商品・サービスを作り出すためのスタートラインだ。
 マイノリティ(少数派)として学生時代にいじめらたり、勤務先の会社でも「変な人」と軽侮されるような経験・属性の中にこそ、その人自身が蓄積してきた「見えない資産」は眠っているからだ。

 それゆえ、「面白い」と相手から思われたことに対して質問に答えていけば、「他人は自分のどの部分に関心を示すのか」と理解できる。
 これは、自分の人生経験のどの部分が顧客に価値として認識されるのかを知るためのやりとりだ。

 もっとも、この時間はせいぜい15分程度。
 大事なのは、自分史年表に対して自分だけ評価せず、まったくの初対面の人に評価してもらうチャンスを作ることが、やがて自分の商品・サービスを買うことになる顧客(=初対面の相手)に対する関心を育むきっかけになるということなのだ。

 仕事とは、価値をもっていない人から価値を持っている人へお金が流れることをいう。

 たとえば、うつ病という経験をもっている人は、そんな経験をしたことがない人にとって価値がある。

 うつ病の家族を持つ、うつ病ではない人にとって、うつ病で何に困っているのかを客観的に把握する際、当事者の家族にはなかなか聞けない。

 そこで、誰か家族ではない当事者が「こうなんですよ」と教えてくれることは、ありがたい。
 医学書や医者による説明ではわからないことが、具体的な事例を元にわかりやすく説明してくれるため、当事者に対する理解が速く的確に進むからだ。

 もちろん、うつ病によって具体的に困っていることがあるなら、その困りごとを解決できるサービスのあり方を考えられるのも、うつ病を経験した当事者固有の特権である。

 うつ病のままでも困らないサービスにはいろいろあるが、たとえば在宅のままでも収入を作れるサービスや、家族から離れて過ごしたい時に気軽に利用できるスポットを提供するサービス、気分がどうしても落ち込んでしまいそうな時に仕事や雑務をいつでも肩代わりしてくれる人を紹介してくれるサービスなど、困りごとが具体的にあるからこそ、ほしいサービス(商品)の姿もはっきりとわかるのだ。

 求める「解決の姿」が明確に設定できれば、あとはそれを実現する仕組みを作り出すことが必要になる。
 しかし、この3時間のワークショップでは、あえてその仕組みは掘り下げない。
 むしろ、それは持ち帰って考えてもらう宿題(=解決の姿の先にある課題)とする。

 個別の事情に照らして精度の高い助言をするには、このワークショップが少人数制で1回の参加者が10人枠でも時間が足りないということもある。

 でも、それ以上に、自分史年表を知らない誰かに見せることのハードルを、初対面の人にいきなり見せてしまう体験によって、一瞬で下げてしまう効果が大事で、それによって他の誰かにも自分史年表を見てもらう機会を増やしてほしいという願いがある。

 なるだけ多くの人に自分の履歴を知ってもらうことは、自分の価値の大きさを確かめることになり、自分が発案する商品・サービスに対する自信にもつながっていくからだ。

 解決の姿を、解決できる仕組みとして商品・サービスの形にしていく作業には、現時点で自分が自分の仕事をどこまで現実的に考えられているかを自覚する必要がある。

 そこで次に取り組むのは、「自分を知るための50問テスト」だ。
 これは自分の仕事を作る上で現況になるだけ正確に関する50問に50分で答えるもので、その場でプリントが配られる。

 50分間で50問を答えるのだから、1問に平均1分間しか使えない。
 つまり、じっくり考えるというよりは、すぐに迷わずに答えられるものを書かないと、制限時間内に終わらないのだ。

 実際に仕事を進める上でも、ゆっくり思い出して何かをするということはない。
 ふだん自分が考えている範囲の中で、ハッキリしている事柄から手をつけるはずだ。

 だから、わからないことは「今すぐにわからない」と瞬時に答えることを後回しにし、答えやすいものから記入していくしかない。
 仕事は制限時間内に目標金額の売上を達成しないと持続可能にならないので、なるだけ答えやすいものから先に答え、答えがはっきりしないものは後回しにするという条件反射をつけていく必要がある。

 これは高校受験でも学んだことだが、問題は最初の質問から順序良く答える必要はなく、時間を上手に余らせていく要領が求められる。
 それは、実際の仕事の実務でも同じことだし、商品・サービスを考える際にも〆切が必要であり、この〆切りを自分で設定する習慣が大事になることを示している。

 もっとも、こうしたテストの意図は事前事後にも説明されない。
 その代わり、テスト終了後、10分間の休憩を経て、他の参加者たちの答案をざっと見る時間を設けた。

 他の人の答案を見ることで、仕事を作り出すために自分に何が必要かに自ら気づく機会とした。
 ある人は自分の仕事して具体的にどんな商品・サービスを考えているのかまで明らかにしていれば、べつの人は仕事を始める前に準備するための作業がたくさんあることに気づかされた。

 あるいは、他の参加者たちの答案を見て、自分らしい仕事を作り出す意欲そのものを刺激された参加者もいた。

 ワークショップでは、ここまでで早くも100分間が経ってしまう。

 では、残り80分間では、何をしたのか?
 主に、自分で書いた自分史年表と50問テストをふまえて、現時点での課題に気づいた参加者からの質問に、講師役の不肖・今一生が答えた。

 ワークショップの場は、ここから何かが始まる「出会い」なのだ。
 その価値を少ない時間でも質問という形で活かしたいかどうかによって、仕事を作り出す覚悟の程度が見える。

 しかし、これでワークショップがすべて終わったわけではない。

 今回だけは、Skypeによる個別相談を1万円分(45分間)を無料で受けられることを、参加者特典としてつけたのだ。
 この無料相談に応じることで、3時間では満たせなかった個別の自分史年表をふまえた助言ができる。
(※ただし、2014年末まで。7・26の参加者は相談希望の候補日をメールされたし)

 自分が何に困っているかさえ自覚していれば、それを解決する仕組みを一緒に考え、その仕組みを商品・サービスという形にするところまで相談できる。

 このようなワークショップは今後も開催するかもしれないが、個別相談の無料化という参加者特典はつかない。
 特典をつけるにしても、90分(1万8000円)の個別相談を半額で受けられるものになる。

 ワークショップの参加費は、一般6000円/リバ邸住人3000円のままだろう。
 飲み会を1,2回キャンセルしただけで、今より一歩、自分の満足できる仕事に近づく。
(※次回開催する際は、内容も高校生にもわかりやすいものへ洗練させてみたい)

 いずれにせよ、何かに困っていることがあれば、それを解決する仕組みはいろいろあり、そこに拙著やオンライン記事などで日々書いているソーシャルデザインやソーシャルビジネスの実例が活かされる。

 困っていることは、それ自体があなたの資産なのだ。
 それに気づいた時、これまで世の中になかった、自分らしい仕事は作り出せる。

 今後の開催を望まれる方は、下記の主催者までメールで打診されたし。
livertyhouse.info@gmail.com(リバ邸・松井)


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■7・26(土)渋谷リバ邸で「自分の楽しめる仕事」を作ろう ~予約先着20名限定、急げ!


「自分が面白いと思える仕事がしたい!」
「会社に雇われるより、自分の仕事を自営業として始めたい!」
「いいかげん退屈な毎日とはおさらばして、楽しめることを仕事にしたい!」

 そんな方を対象に、自営業のスタートアップのためのワークショップをやります。

 予約先着で限定20名のみ、受講できます(※既に予約を受付中)。
 東京・渋谷のシェアハウス「リバ邸」で、7月26日(土)の午後に開催。


■リバ邸×今一生 「自分の仕事」を作る1dayワークショップ
  〜会社に毎日通って働くのがイヤな人、全員集合!


●定員
 20名=2グループ(時間帯)×10名

●参加費
 6000円(一般)
 3000円(リバ邸住民) ※住民枠はグループごとに先着5名まで

●参加者特典
 参加者は全員、講師の今一生のSkypeによる「自営業支援サービス」(1万円)を一回無料で受講できます。
http://conisshow-works.blogspot.jp/2012/04/blog-post.html

●ワークショップ内容
 ☆今一生の講義「体験的自営業」(10分)
 ☆自分史年表を2人1組で交換し、相手の良いところと疑問点を指摘(30分)
 ☆自分を知るための50問テスト(50分)
 ☆休憩(10分)
 ☆50問テストの回答を2人1組で交換し、相手の良いところと疑問点を指摘(30分)
 ☆個人自営業チームとグループ事業チームに分かれ、後者の議論から学ぶ(30分)
 ☆自分の商品・サービス、売上目標、工程表、〆切りを各自発表(20分)

●講師
 今一生(こんいっしょう)

●詳細(予約できるリンク)
 同内容のプログラムを、以下の時間帯の2グループにわけて実施します。
 リンク先のページの右上にある黄色い表示の「チケットを申し込む」をクリック。
 ※13:00-16:00 http://peatix.com/event/44674
 ※17:00-20:00  http://peatix.com/event/44676

●集合場所
 ローソン神山店(渋谷区神山町12−3
 ※開始20分前には必ず集合のこと

●お問い合わせ窓口
 livertyhouse.info@gmail.com(松井)

 これから忙しくなるので、最初で最後の自営業ワークショップになるかもしれません。
 「自分らしい仕事」を作り出す発想法やノウハウ、実務や仕組みを学びたい方は、お早めにご予約を。


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■低学歴文化から生き残ってきた人の声を聞きたい? ~問題当事者の講演をあなたに


 既存の「よのなかの仕組み」では生き苦しい人たちの中には、生き苦しいことを自己責任だと錯覚し、「自分さえがんばればいいんだ」と不当なガマンを続けてしまって、さらに苦しくなってしまう人たちがいる。

 生き苦しさが募るばかりでは、「癒し」がほしくなる。
 それはたいてい、自分の考えと同調し、自分を歓迎してくれるコミュニティだ。

 そうした自助グループ的なトライブ(族)はさまざまにある。
 右や左の政治団体、ヤクザ、ギャングチーム、ヘイトスピーチ団体などから、ヲタクサークル、貧困支援団体、宗教団体などまで、挙げればキリが無い。

 それらのトライブに入れば、そのトライブのローカルルールが心地よくなるため。トライブを囲んでいる「よのなかの仕組み」を変える発想をする必要がなくなる。
 やがて、ヒゲが生えたらそるように、トライブに居心地の良さを感じる。
 ヒゲがイヤでも、脱毛という発想にはなりにくい。

 しかし、トライブを運営する上層部には、自分たちの組織を温存したいがために「よのなかの仕組み」を自分のトライブにとってのみ都合の良いものへ変えたい動機が生まれる。

 その際に使われる「みんなのために」の「みんな」は、事実上、特定のトライブの利益しか意味しない。
 彼らには、そもそも多様な社会の全体性に対する関心がないんだわ。

 そういう偏狭な視点で「よのなかの仕組み」を変えてもらっては、困る人がたくさん出てくる。
 だから、安易に制度変更を求めるロビイングは、とても危険なのだ。

 サブカルチャーは多くのトライブを生み出してきた。
 だが、1980年代の後半から、メイン/サブの境界線があいまいになった。

 むしろ、両者を越境しながら学んだ先にある上位概念「オルタナティブ・カルチャー」(もう一つの選択肢)に注目し始める人が出てきた。



 欧米のミュージシャンたちは、アフリカの飢餓解消のために所属レコード会社というトライブを超えて集まってはチャリティの歌やライブを発売した。
 音楽を楽しむ道具としてだけでなく、苦しんでいる人を救う道具にしようというメッセージの下に多くの有名ミュージシャンたちが集まり、経済的支援の仕組みを作ったのだ。

 踊るクラブも、1990年代後半になる頃には、精神病者やセクマイなど「日常的には居場所の無い社会的少数派たち」の自助グループとして機能していた。
 彼らは、「よのなかの仕組み」の変更が、政治に頼むだけではなく、生活や市場といった非・制度的なシーンにおいても可能であることを知らしめた。

 性的少数派一つとっても、決して軽視できる市場規模ではない。
 2007年に日経ビジネスは、ポータルサイト運営会社のパジェンタ(東京都千代田区)の発表した数字を引用し、こう紹介している。

「日本の同性愛者は約274万人、20~59歳の人口比では4.0%に相当するとの結果が出た。
 さらにアンケートから消費ベースの市場規模を算出すると6兆6423億円」


 このように、潜在市場が見込めれば、その市場が求める商品・サービスを開発することによって、それまで問題だったことを解決できる仕組みも作れる。
 その仕事をする代表例が、ビジネスによって生き苦しい「よのなかの仕組み」を変えている社会起業家だ。

 市場原理を上手に使って、既存の「よのなかの仕組み」を塗り変えていく社会起業家の仕事は、とても刺激的だ。

 トライブのコミュニティ内でぬくぬくとしているだけでは生き苦しさを温存する「よのなかの仕組み」は変わらないが、社会起業家はそうした現実のダメさに早めに気付き、新たな「よのなかの仕組み」へと更新させている。

 そういう大人の存在を、10代の若い子たちに早めに知らせたい。

 そうすれば、いじめの問題も、いじめる側/いじめられる側という対立の構図で考えて憎悪を膨らませるばかりでなく、「よのなかの仕組み」が悪いために生じている問題だと気づくだろうし、学校教師ができることの限界にも気づくだろう。

 いじめる子が、いじめたくなってしまう動機を作っているのは、「よのなかの仕組み」だ。
 そういう発見ができた子は、受験・進学のために学ぶ以上に、生きていくために必要な学びを得るはずだ。 

 しかし、日本では15歳で文化を仕分けされる。

 より高い偏差値の大学を目指す進学校の「高学歴インテリ文化」と、中卒・高卒どまりの学歴で低所得者の人生を運命付けられる「低学歴ヤンキー文化」の格差の荒波に、高校受験の段階で放り込まれるのだ。

 そして、受験偏差値的に優秀な子は、低偏差値の同世代にほとんど関心がわかないまま、自分の幸せだけに時間と労力をかける人生を始める。

 だから、そうした「優秀な子」は、大人になって公共政策や社会起業を考えても、なかなか「勉強のできない子」の当事者性をふまえた問題解決モデルを生み出せない。
 当事者を無視すれば、まるで見下ろすような「かわいそう」視点でしか、解決モデルを考えられないのだ。

 ここで、「高学歴インテリ文化」には見えていない「低学歴ヤンキー文化」の一例を示しておく。

 たとえば、10代で望まぬ妊娠をするギャル女子高生がいたとする。
 昔なら仲間うちで中絶カンパをしたかもしれない。
 だが、今は必ずしもそういうセーフティネットには簡単にはありつけない。

 おなかが大きくなって、バレてる不安がマックスになった頃、ごく親しい友人から無神経に突っ込まれてようやく相談を始める。

 しかし、既に堕胎できず、家族にも先生にも役所にも相談しないまま、出産せざるを得なかったりする。
 というか、友人に話す段階でも、友人自身が周囲の大人や役所に頼ることを知らないか、避けるので、産むしかなくなるのだ。

 よく知らない男の子かもしれないし、実の親の子かもしれない。
 いずれにせよ、男はとっくの昔に逃げている。
 だから、「だんまり」のまま出産し、施設に預ける発想もなければ、家族に面倒を見てもらう手立てもない場合もある。
 
 赤ちゃんの「その後」を考えると問題はいっそうこじれていく。
 だが、その頃には誰も彼女の味方になってくれないし、本人も相談相手がいないまま一人でその現実を背負い続ける。

 NPOや社会福祉協議会、市の福祉課など既存の福祉現場のスタッフには、そこにいたる文化の切実さが見えてない。

 問題に苦しむ当事者は、それらの役所や福祉サービスの存在を知らないし、たとえ知っても「そんな偉い人たちに会えば叱られる」という恐怖から、安心できる相談相手とみなさないからだ。

 妊娠だけじゃない。
 親にひどい虐待され続けていても、それにうすうす気づいた周囲の大人から児童相談所や警察へ通告されることはまれだ。

 よのなかには、行政・民間も含めて福祉が行き届かない切実な現実がある。
 それは、「高学歴インテリ文化」を生きてきた人たちの無関心によって生まれた死角にたくさんある。

 切実さのより高い問題になるだけ光を当てるというアプローチを、大学で福祉を学ぶ学生に提供できないものなのだろうか?

 親から虐待を受けて育った人や、低学歴のまま家出した人、重度障がいで18歳から自分で仕事を作った人など、福祉を学ぶ人に「生身の先生」として話してくれる人たちを、僕はたくさん知っている。

 彼らが彼ら自身の苦しみを乗り越えてきた貴重な話をして、いくばくかの謝礼を受け取れるチャンスを増やしたい。

 志ある大学関係者や、CSR部署のある企業で働く社員の方は、お気軽に僕まで メール(クリック) を。


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■からかう芸風のブロガーがたどる「想定内の末路」 ~塩村議員に対するヤジ問題から


 こんなブログ記事を書くと、僕が怖い人のように誤解されるかもしれない。
 けど、ネット利用の注意点を若い人に知ってほしいと思うので、書いておこう。

 世間は、自分が思っているよりはるかに広い。
 理屈や議論には相手をせず、「表へ出ろよ、コラ」と導く人もいる。

 世の中は、必ずしも「話し合えば正解」というわけにはいかない。
 ケンカを正当化するつもりは無いが、人は理屈だけで生きてるわけではなく、情念としても生きているからだ。

 それが現実だとわからん奴には、誰かをからかったツケを払う日がいつかやって来る。

  先日、東京都議会で塩村あやか議員へ自民党都議たちによる「ヤジ問題」があった。

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(※東京新聞の記事より)

 そこで、塩村議員の過去を引き合いにしたブログ記事を書いて、炎上演出でPVを稼ごうっていうバカがいた。
 こういうノイズを賢さと誤解するようなバカになってはいけない。
 むしろ、そのバカな行為が何を導きかねないかを想像することが大事だ。

 塩村議員にどんな過去があろうと、現在は代議士として立派に仕事をしている。

 この事実の重みをふまえず、過去をほじくり返してからかうブログ記事を書けば、社会復帰したくても受け入れてくれる会社を見つけるのが難しく、生き苦しさを持て余してる前科者たちを刺激するかもしれない。

 あるいは、とにかくムシャクシャして攻撃性をどこかにぶつけたい人が読めば、勝手に「塩村議員の敵をとるという名目をでっち上げて、ブロガーを狙った犯行に目覚めるかもしれない。

 社会的弱者に関心が無いブロガーは、そのように自分の知らないところで恨みを買い集めるのだ。
 その危険を想像すらできず、ネット上で人をからかうのを趣味にしてる連中には、ろくなヤツがいない。

 からかうってことは、相手が自分より弱いと認知してるってこと。
 自分が誰を敵に回しているか、からかいを芸風にしている書き手は気づかない。

 彼らは想定外の恨みを買ってるから、いつかチンピラに刺されたり、絵を描かれて仕事ができなくなるんだろう。
 だが、それは自業自得だ。
 誰もそのブロガーを助けられない。

 あなたの家族や友人、知人にそういうバカをやらかしかねない人がいたら、あるいはバカなブロガーのファンがいたら、教えてあげよう。

 ネット上でものを書くとは、自分の求める歓迎的なリアクションだけが得られるのではなく、むしろ想定外のリアクションを現実に引き起こす可能性があることを。
 そして、自分の周囲にはいないタイプの人たちは、常に自分の想定を超える行動をとるということを。

 ホントは、こういうことを高校の「情報」の授業でやった方がいいんだよなぁ。

 ネット上には、誰かをからかって貶めるような記事が増えるよりも、弱者を救える有益な情報が増えていったほうが誰にとっても安全利用できるんだから。

 そして、自由とは、自分が取れる責任の範囲にしか拡張できないことも、大人はきっちり若い世代に伝えていこう!


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■社会の仕組みにいじめられる側が、より弱い人を… ~本当に必要ないじめ対策とは?


 NPO法人ストップいじめ!ナビ、という団体が法人認証されて本格的に立ち上がるらしい。

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 団体名は勇ましいけど、活動目的の正当性や活動内容がよくわからない。

 「自殺対策コンテスト」「児童虐待STOP!アクション」のような”当事者無視”の匂いも漂ってくる。

 この団体に関わっている明智カイトさんによると、「ストップいじめ!ナビ(のスタッフ)は私のようなLGBTや、不登校児などのどちらかというといじめらる側」とか。

 この団体には、低偏差値の高校に通った元ヤンキーや、傷害事件での少年院帰りの青年、過去のイジメを悔いている元いじめっ子などを、団体立ち上げの当初からスタッフとして歓迎して公募する動きは無さそうだ。

 そこで、いろんな疑問がわく。

 いじめは、いじめられる側の「いじめて!」という望みからはなかなか始まらない。たいていは、いじめたい側が始める。
 だとしたら、いじめる側の気持ちや境遇、動機形成の要因がわかるのは、いじめたことのある当事者ではないか?

 それに、いじめをとめるのと、いじめをなくすことは、同義だろうか?

 いじめられても仲間の末端にいる子にとって、いじめ顕在化で仲間を失っても、本当に幸せだろうか?

 いじめる/いじめられる関係が今よりもっと水面下のものになったら、どう問題解決できるのか?

 いじめの経験がゼロになって喜ぶのは、本当にいじめる当事者/いじめられる当事者だろうか?

 たとえば、いじめる側にはいじめるだけの理由があるわけだけど、それが当事者の周囲にいる親からの虐待や貧困、先輩からの命令、担任教師による偏見だったら、そうした「周囲の大人」に対してどんな解決アクションが具体的に行われるのか?

 たとえば、いじめる側には、学力が低いと勉強が面白くないなどの「よのなかの仕組み」によって孤独や嫉妬、うらやみなどを持つ思春期の子がいると思うけど、そうした場合、当事者を苦しめる「よのなかの仕組み」をより生きやすいものへ変更できるだけの具体的な方法やスタッフは調達できるんだろうか?

 「いじめる側/いじめられる側」で分断したり、両者の間に対立構造を持ち込んでどちらかの立場に立つこと自体が、いじめという行為に追いやる「社会の仕組み」のまずさを見えなくさせる。

 だから、いじめられる側に同情しただけの一方的ないじめ防止活動は、これまでほとんど「いじめ撲滅」にとって効果が無かった。

 これは児童虐待でもさんざん指摘されてきたことだが、虐待されたあとで子どもを保護するだけでは、児童虐待はなくならない。

 わが子なのに虐待を辞められずにエスカレートさせてしまう親を、虐待という行為に追い詰めているさまざまな要因(=よのなかの仕組みを含む)を取り除き、親自身をいやさなければ、虐待はいつまでも繰り返され、子どもの虐待死までエスカレートしかねないのだ。

 最近ネットで拡散されている「母親による幼児虐待」の動画についても、毒親として社会からの憎悪を向けるだけでは何も解決しないことを指摘する人も出てきた。

 いじめる側は、「社会(よのなかの仕組み)にいじめられている人」だ。
 いじめる側も、見方を変えれば、「いじめられる側」として痛みを分かち合える仲間なのだ。

 修復的司法について少々かじったことがある人なら、いじめが「いじめられた側」に偏った立場からしか語られない場合のデメリットも知っているのかもしれない。
 だが、このNPOのスタッフたちは、きっと知らないのだろう。

 そのまま「いじめられた側」の当事者に偏った活動を始めれば、今まさにいじめられている子のリアルな痛みと向き合うのも難しいと気づかないだろうし、明日も明後日も続くいじめを止めることなど夢のまた夢だ。

 つまり、「いじめられた側」のスタッフだけで活動を始めようとすれば、今まさにいじめられている子にとっての利益にはならないのだ。
 なんて残酷で自己満足な「ストップいじめ!」だろう。

 「いじめる側」の生きてきた文化に対する無関心ゆえに文化的差異を乗り越えず、「いじめられた側」からの憎悪を正当化するという構えだけでは、いじめ問題はいつまでもモグラ叩きゲームだ。

 虐待された子が自分を虐待した親を呪うことで自尊心を保とうとするのは大事だが、そうした呪詛のコミュニティの中で安心していられる自助グループのままでは、生きずらさは変わらないし、児童虐待も終わらない。

 だから僕は1997年に『日本一醜い親への手紙』という被虐待当事者の本を作った後、1999年に『完全家出マニュアル』を作って虐待する家からの避難を正当化した。

 かつてのいじめ不登校問題を、フリースクールを作ることで「学校に通わなくていい」という仕組みを作ったのと同じ発想だ。
 いじめや学校からの避難は、既に社会的に容認された。
 次は、家出も容認されるべきだろう。
 学校や家庭にある「よのなかの仕組み」を変えない限り、家出や学校中退はいつまでも勇気を伴うものになる。

 つまり、社会の仕組みのまずさを解消しないまま、目の前のいじめだけを終わらせようとする対処療法的なアプローチだけでは、らちがあかないのだ。

 なのに、NPO法人ストップいじめ!ナビは「さまざまな分野の専門家」を集積させるという。
 そうした「偉い人」がいじめる側にとってどう映るか、わかっているんだろうか?

 実は、自殺や児童虐待、いじめなどのように、その現場が泥臭くて情念が生々しいために深刻な問題ほど、なぜか抽象的で安っぽい活動を始める人が出てきやすい。
 既にそういう団体はたくさんあって、団体の規模は大きくなり、歴史も積み重ねられている。

 なのに、それらへ相談した人たちの中には「らちがあかない」と失望し、「はじめまして」のメールを僕に送ってくるケースが後を絶たない。
 そうでなくても、「NPOが何をやってるかわからないから相談しにくい」という理由で、僕のブログ記事を読んだ方から相談を受けるケースもある。

 要するに、団体に相談するには、その団体が相談者から思わず相談したいと思ってもらえるだけの信頼に足る仕事や言動をふだんから見せる必要があるってことなんだ。
 少なくとも、「この人に相談しても怖くない」という構えを見せる必要がある。

 そうやって、相談に来られた方と一緒に問題解決に汗を流し、付き合いを深めていけば、「よのなかの仕組み」のまずさに気づき、新しい「よのなかの仕組み」を作り出さないと、モグラ叩きのような仕事をいつまでも続けることになると気づく。

 そのように、困ってる人との個人的な付き合いを積み重ねていくことが、団体を作ると意外に試みられないことは、自殺や児童虐待、いじめなどのように深刻な社会問題の活動団体では珍しくない。
 
 こうした過去の失敗における間違いに気づかない団体には、問題解決モデルにイノベーションを興す発想も動機も無い。

 それは、「ノド元過ぎれば熱さ忘れる」という具合に、今まさに苦しんでいる当事者に対するコンパッションをふまえてないからだろう。

 「いじめられていた頃の自分なら満足できる活動だろうか?」という自問が乏しければ、目に見える活動の成果など期待できないのだ。

 こういうNPOが、自殺対策を標榜しても自殺者数を減らせないライフリンクのように政府の委託事業で僕らの血税から支出される公金で活動を運営することがないことを祈りたい。

 分断と対立を前提にし、自分が差別をしていることにまったく無自覚な活動団体が国家によって認められてしまえば、「社会からいじめられている人」はさらに立場をなくし、近くにいる誰かをさらにいじめなければならなくなる。

 そこで、いじめの現場はさらに団体に期待し、団体が動けば、さらにいじめは深く広く強くなる傾向を強めていくだろう。

 それはまさに「いじめ」を拡大させるマッチポンプそのものだし、いじめる側が「社会によっていじめられている側」であることを見えなくするのと同じだ。

 「先生、●●君がいじめてます。なんとかしてー!」といきなり専門家に頼る構えは、とても特権的で、パワーゲーマーのように感じる。

 自己満足による安易な正義は、社会問題を彼らの関心外のところでこじらせ、弱者を深刻な被害へ導きかねない。
 正義を気取る人たちが集まって団体を作ることほど、怖いものはないんだよ。


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