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■世界を変えたいエンジニアよ! ~文句でテレビを変えるアプリを作らないか?


 社会の仕組みを変えて、今よりもっと生きやすくなる方法はいくらでもある。
 そして、ダメな仕組みを変えたいと本気で思うなら、その方法はいくらでも見えてくる。

 たとえば、マイノリティ(少数派)を平気で差別したり、多数派より不当に低く見る構えを、テレビのような公共放送でくり返されたら、社会に出ていない未成年にまで差別意識を残してしまうことになる。

 テレビは社会の空気を作り出す公共放送として、マイノリティ差別を避けるのはもちろん、取材もしてない常識をそのまま鵜呑みにして情報拡散するうような愚かな真似を反省する必要がある。

 ところが、テレビ局はどれだけ視聴者が直接、局に文句を言おうと、番組制作の方針自体を根本的に見直す構えをとらない。

 そのため、同じように事件が起これば、同じ切り口での報道を何十年も続けてしまう。

 「誰でも良かった」という無差別殺傷事件など、90年代から相次いでいるのに、容疑者の個人的な資質にばかり固執し、容疑者を犯罪にまで追い詰めた人間関係に言及することもなければ、同様の事件を未然に防ぐために有効な活動をしている「解決事例」を豊かに紹介することもない。

 つまり、テレビ局には自浄作用が無いのだ。
 そういう場合、テレビ局がメシの種にしているスポンサー企業に文句を言うしかなくなる。

 スポンサー企業が金を出さなければ、テレビ局は飯の食い上げになる。
 だから、スポンサーの意向に対しては神をあがめるがごとく絶対服従である。

 ちなみに、本来マスメディアというものは、新聞にしろ、雑誌にしろ、直接その内容に金を出して買う読者によって支えられているため、収入全体における広告収入の依存度が増すことは、報道の自律性が損なわれることを意味する。

 スポンサー企業が悪いことをしても、「自分たちを食わしてくれる会社だから」と叩けないのでは、メディアは公共のインフラとしての社会的責任を果たせないのだ。

 そう考えると、現在の日本のテレビには「報道の自律性」などありえないし、中立や客観なんてのも幻想であり、カメラアングルや編集によっていかようにもメッセージを変えられてしまった映像が「事実」として放送されているという実像もうなづけるだろう。

 これは、NHKも民放もさほど変わらない。

 では、テレビによる番組をより良いものへ変えていくには、どうすればいいのか?
 その局の番組に莫大な金を出しているスポンサー企業に、直接文句を言って、改善を迫るのだ。

 これは消費者による不買運動だが、かなり有効だ。
 かつて毎日新聞社は読者による不買運動で一度倒産の憂き目に遭ったが、昨年も番組スポンサーが異例の説明コメントを出す事件があった。

 スポンサー企業にとって、莫大な金をつぎ込んでいるテレビ番組の内容が悪いと視聴者たちに嫌われれば、(視聴者=消費者なのだから)自社製品が買われなくなる恐れが出てくる。

 広告を出して自社商品が売れなくなるなんて、二重の損失だ。
 いや、広告してる商品以外にも、企業名が嫌われれば、損失可能性は計り知れない。

 だからこそ、自社に視聴者=消費者から番組へのクレームが入れば、当然、テレビ局に番組内容の改善を要求する。
 つまり、社会悪を垂れ流す番組を放送するテレビ局に対して、視聴者がより良い番組に変えたいと思うなら、スポンサー企業に文句を言うのが、一番有効な方法なのだ。

 もっとも、どうやってスポンサー企業に文句を言えばいいかわからない人は少なくない。
 だから、ものすごく手軽に文句を言える仕組みを作ればいい。

 そこで、アプリ開発者の出番だ。

 あなたが、吐いて捨てるほどいるエンジニアから抜きん出て、誰でもやれそうな退屈な仕事から卒業したいなら、「あなたの文句がテレビを変える」というアプリをリリースするといい。

 たとえば、たった今、とんでもなく不快なテレビ番組を観た。
 「あんな番組は二度と観たくない」と怒りさえ覚えた。

 そんな時にアプリを起動させると、自分の住んでるエリアでまさに今視聴可能なテレビ局(※全国放送を行うキー局)と番組リストが一覧表示される。

 その中から特定の番組タイトルをクリックすると、スポンサーの企業名がずらりと並んでいて、その企業に一斉にメールが送れる入力欄が表示されている。

 あるいは、入力欄の代わりに、以下の4択から選ぶだけでスポンサー企業に自動的にメールされる。

「御社の製品はもう買いません」
「広告タイムに紹介された商品はもう買いません」
「この番組のスポンサーを降りてください」
「この番組の内容を社内で検証してください」

 クリック後には、「このアクションを拡散しますか?」と尋ねられ、Facebookやtwitterなどにスポンサー企業に送信されたメール内容が自動的にアップされる。

 これぐらい手軽にスポンサー企業に文句が送られるようになると、日々増えていく番組へのクレームに対して、スポンサーも重い腰を上げざるを得なくなる。

 そして、スポンサー企業がテレビ局に対して番組内容の改善を申し入れたことを公式サイトなどで明らかにしたら、ユーザからの投票によってアプリ内の「ベスト・スポンサー」にエントリーされ、公式サイトへのリンクが示される。

 「ベスト」の常連になれば、新卒の就職希望の人気ランキングも上がって優秀な人材を集めやすくなるだろうし、社員もそこで働ける誇りをもって労働意欲も増すだろう。

 逆に、視聴者=消費者からのクレームを受け付ける窓口になるメールアドレスすら公開していない企業に対しては、「ワースト・スポンサー」へのエントリーも受け付けることにする。

 自社に来た番組へのクレームを無視したり、テレビ局に働きかけなかったなどの前科を溜める企業は「ワースト」の常連としてブラック企業扱いされ、就職ランキングの人気も落ちるだろうし、社員も勤務先を友人・家族に誇れなくなるので、労働意欲と業績も落ちていくだろう。

 こうした「ベスト」と「ワースト」は、年度末に年間ランキングとして発表し、「ベスト」企業はアプリやネット上で表彰するといいだろう。
 
 こうしたアプリを、誰が真っ先に作って社会を変えるか?
 最初に作った人間にだけ注目が集まるのは、世の常である。

 テレビ広告を打たない企業から広告出稿を集められるかもしれないが、テレビ報道に不満を持って「マスゴミ」と不信感をあらわにする若い世代は多いから、クラウドファンディングで開発費を賄えるかもしれない。

 なお、このアプリは民放だけでなく、NHKも対象にできる。

 スポンサー企業の一覧表示の代わりに、番組宛のメールアドレスやtwitterの番組ハッシュタグに自動配信される仕組みを作ればいいのだ。
 受信料を払っているのは国民なのだから、国民向けのメディアと連動すれば十分。

 ちなみに、この「あなたの文句がテレビを変える」(※略称「モンテレ」)というアプリは、市場調査にも使える。

 どういうジャンルの、どういう時間帯の番組に、どんなスポンサーの広告が嫌われやすいのかを、ユーザ・アクションから調査することが可能だからだ。

 いずれにせよ、最初に開発・リリースしたエンジニアにだけ、光が当たる。
 明日も明後日も似たようなアプリを作りたければ、それでもいい。

 でも、スティーブ・ジョブズなら、こう言うね。

「このまま一生、砂糖水を売りつづけたいか?
 それとも世界を変えたいか?」


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■社会問題を作り出してるのは、あなたかも… ~自分の仕事ぶりや生活基盤を疑おう


 人は、その人にとって必要十分以上の過剰な資産・時間・体力を持て余すと、精神的におかしくなりがちだ。

 現代日本のような成熟社会では、生きるのに必要なインフラが整って余りあるモノがあふれているために、自分が何によって生かされているかを考える動機付けを与えない。

 だから、目先の楽しみを享受することが当たり前になり、その当たり前が奪われることが最優先に考えるべき危機であるかのように錯覚する人も出てくる。

 もちろん、QOL(人生の質)の向上は大事だが、それを持続可能にさせる仕組みが、自分以外の誰かの温情(支配欲求?)によってかろうじて支えられているとしたら、その「豊かな暮らし」の内実は砂上の楼閣だ。

 しかし、既にそうした危うい生活を支えているものへの関心を失っていたり、観たくない構えをとることに正当性を感じてしまっている人にとって、自分の生活がペットと大して変わらないことを認めることなど難しい。

 彼らにとって、現実と向き合うことは、苦痛でしかないのかもしれない。

 だから、その人の問題は知らず知らずのうちに年月の経過と共に悪化していき、取り返しのつかない事態になる頃には、手の施しようがないほどに問題が多様に複雑化し、こじれてしまっている。

 その先にあるのが、自殺であり、犯罪であり、病死なのだろう。

 こうした社会や時代のありようと自分の関係を考えることは、生きずらい社会環境を変える上で必要なことだ。

 しかし、問題をこじらせた当事者たちと向き合うはずの自称「支援者」たちが、自分自身の問題と当事者の問題を切り離し、同時代性を分かち合う発想にならないのは、なぜなのか?

 たぶん、困ってる当事者としての「痛さ」を分かち合いたくないから、なのかもしれない。
 世間体を守れるだけの余裕や自意識、生活環境が、自分の「痛さ」を表出してはいけないと思わせているのかもしれない。
 その「良識的」な構え自体が、社会に閉塞感を与える「縛り合い」を市民の間に作っているとしたら、社会問題を作り出しているのと同じだろう。

 そんな社会に向き合えば、いろいろストレスフルなことが重なって、本当にこの国を出たくもなる。
 だが、「あの友人の死以上に不幸なことはめったに起こらない」と思い直して粛々と仕事をする。

 良識を鵜呑みにして自分の仕事を省みない人たちによって、僕の友人は「良い子」のまま亡くなった。

 友人は、精神医療のお世話にもなっていたし、福祉職の配慮で生活保護も受給していたし、義務教育だってまともに受けていた。

 良識どおりに医療・福祉・教育の「プロの仕事」の恩恵を受けていても、処方薬のオーバードーズを繰り返し、ある朝、冷たくなって発見された。

 担当医やソーシャルワーカー、恩師は、今も「自分は十分な仕事をした」と思っていることだろう。

 患者や相談者、生徒と付き合う時間も関係の内実も限定的でいい「教科書どおりの仕事ぶり」でも、彼らは自分の生活が困ることが無い。
 だから、今後も仕事に対する根本的な内省を自発的にすることもないはずだ。

 僕は、友人として何もできなかった自分の仕事ぶりや付き合い方を省みるのに、長い年月がかかった。
 そして、良識派を気取る連中のやたらでかい声に負けず、図太く生きてやろうと思った。



 人は、社会の良識を鵜呑みにしているだけは生きられない。

 良識にひそむ不具合を疑わないまま、良識をゆるがないものとして鵜呑みにすれば、良識派が勝手に決める善悪の基準を自分の頭で考えて検証する習慣も身につかないだろう。

 そのようにして、人は既得権益になっていく。
 既得権益は、自分の立場をゆるぎないものとしたいがために、善悪の基準を固定化しようとする。

 既得権益を持つ人たちから一方的に「悪」だとブランディングされることには、いろいろある。
 家出・犯罪・ニート・難民・低学歴・学校中退などなど。
 風俗もその一つだ。

 もし、あなたが売春する人や買う人だったとして、とても高そうなお召し物の中高年の女性たちがずらりと客席を埋めた会場で、自分の体験を語れるだろうか?

 僕のような汚れライターなら、いくらでも「レンタル彼氏」として売った経験や風俗客としての経験を平気で語れるけれど、そんなことはサラリーマンや公務員、学生にとっては「厚顔無恥」らしいので、ムリだよね。

 すると、なぜか当事者ではない文化人たちが「代弁者」として、発言の権利を奪い、当事者が座りたかった席を占めてしまう。

 そのこと自体が、セックスワークの実態から大きくかけ離れた視座であることを、文化人たちはいっこうに認めないし、座を奪って利益を得ている罪悪感を覚えることも無い。

 それどころか、「何が問題なのか」を当事者不在のまま社会にはびこらせてしまう。

 つまり、当事者ニーズとは遠い問題提起が都市伝説のように「常識」化し、延々と当事者の口が封じられ、当事者自身が切実に解決したい問題への関心を高めるチャンスが相対的に小さくなってしまうのだ。

 こうした「代弁」による当事者固有の価値の矮小化を反省したりはしないのが、世間受けだけは上手な文化人のやり口なので、僕は本当に辟易している。

 一部のインテリさんの語る「当事者」は、「私とは関係ない他者」として認知されてるフシがある。

 実際、日常生活で友人として付き合ってる間柄に「当事者」がいないインテリさんは珍しくなくて、彼らは「当事者」を自分が信じる文化から見て「枠外の人」として扱い、不思議な距離をとっている。

 インテリと当事者が互いに尊重して文化の差異を乗り越えられるのは、両者の間に力関係が働かない場合に限る。
 だから、圧倒的に大きい力を持つ文化の側に立つインテリさんは、対等な関係を求めない。
 求めなくてもゼンゼン困らない立場にあるからだ。

 先日、東京ウィメンズプラザで行われたイベントも、予想通り、そうした「上から目線」の話を延々と3時間も聞かされるばかりで、とても隷属的な気分を味わった。

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 居場所のない10代や人身売買、売春に関する女性たちについての報告イベントだったが、観客の過半数を占めていた「裕福なインテリ層と女性たち」にとって日常的には無縁な彼岸の話は、安全に楽しめる教養だ。

 たぶん、このイベントは、風俗や人身売買に近寄りたくない女性のために「安全と健康」を教える講座であり、結局は「解決を切実に求める当事者の女性たちとは付き合わないようにしましょう」というメッセージだったんだろう。

 実際、社会貢献の関連イベントには、観客に社会問題に切実に困っている当事者がたくさんいたら、怒り出して途中退席が相次いで紛糾しそうなものが少なくない。

 そういうことが起こらないのは、社会貢献系のイベントが毒にも薬にもならない内容で、当事者満足度が低いために、社会問題に切実に苦しんでいる当事者が足を運ばないからだ。

 このように、社会的包摂をテーマにしながら難しい専門用語や支援団体のがんばりを一方的に聞かせるイベントを平気で開催できてしまう人たちを、僕は「インテリ村の公開オナニー」と呼んでいる。

 インテリにしか通用しない偏狭な作法をふだん採用している現実が、誰でも参加できるイベントでは丸出しになってしまうが、そのことに気づかず、自分たちが(インテリ以外を含む多様な)社会の全体に役立つ何かを提供しているかのように勘違いしている無様な作法を平気で見せているからだ。

 東京大学や東京ウィメンズプラザなど、東京には、盗んだバイクで走り出した中卒のブルーワーカーにとっては肩身の狭い空気を強いる公開イベントが山ほどある。

 一度足を運んで見るといい。
 閉塞感で窒息死しそうになるよ。

 こんなイベントに血税や企業からの助成金が使われ、セックスワーカーなど当事者による事業活動が軽んじられている日本の「豊かさ」って何なのだろうね?

 社会問題を作り出しているのは、悪人ではない。
 右も左もわからない赤ちゃんを悪人に育ててしまう社会の仕組みを疑わず、自分の仕事ぶりを省みない人たちだ。
 省みなくても何も困らない人たちだ。

 「自分こそが既得権益そのものだ」と自覚できないままでいる人は、自分自身が社会問題を作り出している主体であることにも気づかないし、社会問題を作っている当事者としての責任も感じない。

 そして、不当な社会の仕組みも「ガマン」で乗り越えようとし、後続の世代にもガマンを強いる。
 社会にはびこる閉塞感の正体は、社会の仕組みに対するガマンと隷属をよしとする既得権益の作法なんだよ。

 僕は、そうした社会の仕組みを変えるソーシャルデザインに強い関心を持っているけれど、日本ではソーシャルデザインによる問題解決はタイムレースだ。

 政府の無策による急速な人口減で社会を変えられるチャンスが乏しくなれば、この国を捨てて外国で暮らしたいと思う。
 それほどまでに、この国には見えない危機が迫っているように感じられてならない。

 僕は、平和ボケの地球市民を命がけで守ろうとする「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」の悲哀を思う。
 社会を変える当事者として振る舞わず、自分個人の豊かさで満足していられるところに、「絆」なんてあるのだろうか?


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■風俗の客を増やすなら… ~ユニバーサルデザインのピクトグラムはどうだろう?


 人類最古のビジネスといわれる風俗のあり方を考えることは、売る側・買う側だけの問題ではない。

 性的刺激サービスが「人間の普遍的な行為」なら、基本的人権(性における自由と尊厳)の一つとして受け入れ可能なインフラの可能性を探る必要がある社会の問題だ。

 性のありようや性に関するビジネス、セックスワークは、いつまでも国家に一元的に監理される時代状況が本当に健全なのか?
 あるいは現状の風俗やセックスワークが市場原理的に顧客である市民に歓迎されるものに変えられるのか?

 そして、セックスワーカーがさまざまな意味で安心と安全を担保された職場環境にあるかどうか?
 …など、風俗には多くの課題がある。

 それを考えることは、次世代の性的刺激サービスをどう社会の中に位置づけるかを考えることでもあり、風俗の社会的価値に気づくチャンスにもなりうるだろう。

 現代日本の風俗は、往時に比べれば、かなり経営的に疲弊している。
 そこで、このブログでもいろいろ次世代の風俗のあり方について書いてきた。

 経営不振にはさまざまな要因があるが、それはとりあえずさておき、風俗を利用したくてもできない潜在顧客を新規に開拓するような機運は、なかなか風俗店には見られない。

 たとえば、目の見えない方向けに音声での情報提供をやっている店は見たことがないし、耳の聞こえない方向けに手話で説明を受けられることも無い。
 インターネットを使えない中高年以上の高齢者は、店の情報も知らないし、メールで予約することもできない。

 車イスの利用者が入れるバリアフリー・デザインになっている店なのかどうかも、店の公式サイトを見ただけではわからないし、まったくの初心者にとってはどんなサービスをどんな段取りで施されるのかもわからず、「性病検査をしています」の一方的な自己申告だけでは不安がる向きもある。

 そのような機会損失の中で一番、損をしていると思われるのが、外国人向けの情報がないことだ。

 ワールドカップで沸くブラジルでは、売春婦たちを対象とした無料の英語講座が開かれている。
 大挙して訪れると予想される観光客をもてなすための試みだ。
 これは、とても先進的な取り組みだし、「本当の豊かさ」を考える上でも重要な政策に見える。



 日本の風俗店では、売春防止法のある国家や、利益最優先の目的で事業を行う経営者がそこまでの投資をすることは無いだろう。

 でも、自分の店に価格交渉やサービスの説明などをちゃんとできる人材がいれば、「English OK」の情報と共に公式サイトの英語版を作る程度のことはした方がいい。

 店側がそれすらもしないなら、セックスワーカーやそのサポーターたちの間で、せめてピクトグラム(絵文字)を開発してワーカーの間でシェアしてみてはどうだろう?

 なぜなら、東京五輪の決定ですでに世界中から日本を敢行や留学で訪れる外国人が急増しており、さまざまな宗教によって食べられない食材があることから、安心して日本の飲食店に入れるよう、食品のピクトグラムを普及させる動きが既に始まっている。

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 日本の風俗には、本番(=インサート/挿入)まで行うソープランド以外に、さまざまな性的刺激サービスがあり、プレイ内容やファッション、体型や年齢などバリエーションが豊かにある。

 しかし、他の多くの国は「風俗=売春=インサート」という常識があるため、サービス内容や禁止事項、ワーカーの属性などに関するピクトグラムを開発して外国人にもわかりやすい表示をすれば、集客増に役立つだろう。

 おそらく風俗店の経営者はそこまでやらないだろうから、ワーカー自身が風俗に理解のあるユニバーサル・デザイナーに呼びかけてピクトグラムを開発し、それをインターネット上から誰でもダウンロードできるようにすれば、それらをプリントアウトして店に貼ったり、設置や配布できたり、スマホで顧客に見せることもできるようになる。
(※風俗のバリアフリーを初めて実現するデザイナーがいれば、一躍メディアに注目されて仕事が増えるだろう)

 中には、「乳首が痛いからソフトタッチもNG」「口内発射はNG」「大きすぎるペニスの場合、挿入NG」というワーカーもいるだろうから、各自のNGを伝えられるピクトグラムもニーズに合わせて開発すれば、言語によるコミュニケーションがどうしてもムリでも、サービス前に納得してもらえるチャンスになる。

 店側が努力せず、ワーカー自身がピクトグラムの導入によって外国人客を増やせた場合は、店に営業マージンとして通常のギャラに上乗せしてもらうよう、交渉してもいいかもしれない。

 そのためには、ピクトグラムを導入する以前の昨年度の外国人の客の数や割合を事前に尋ねておき、昨年なら「月に1人しか外国人がいなかった」なら、たとえば「月に2人以上の外国人の新規来店が増えたら、ワーカーみんなのギャラを1.2倍にしてほしい」と事前に書面で確約しておくといいだろう。

 ピクトグラムは、外国人だけでなく、耳が聞こえない人や、風俗の未経験者、ワーカーの家族や友人で理解に努めたい人など、これまで風俗に関心が薄かった人たちに対しても、風俗の現状を考えてもらえるツールになりうるし、それは従来、店側が無視してきた潜在的な顧客層なので、当然、集客増の追い風になる。

 売春が合法化されていない日本では、働きやすい職場環境や買いやすい条件が改善されるには、市場原理に負うところが大きい。

 潜在的な顧客層が続々と風俗に関心を持ち始める時、風俗店も経営の建て直しのためにはユニバーサルデザインの発想が必要不可欠だと思い知るはずだ。
 それは、「顧客がビジネスの中身を変える」という市場原理による変革そのものである。

 僕は売春の合法化を国家が一律に行うよりも、自動車免許や英語検定のように、売る側・買う側の知識とスキルに合わせたライセンス制があるとベターだと考えるが、その構想の詳細については、いつかまた書いてみたい。

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■社会問題の解決アプローチ ~支援から伴走へ、当事者固有の価値に気づこう!


 社会問題の解決のアプローチは、多様にある。
 けど、対処療法的な方法と、本質的な方法の2つぐらいのアプローチは抑えておきたいところ。

 たとえば、路上のゴミの問題の場合、みんなでゴミを拾ってきれいにするのは対処療法的。
 拾う人がいる限り、人は気軽にゴミを捨てることができる。

 みんなでやるゴミ拾いが励行されれば、誰かが必ず拾ってくれるのだから、安心して捨てられるわけだ。
 だから、ゴミの山→掃除→ゴミの山…というループが永遠に続く。

 そうした徒労感を味わった人の間から、「本質的な問題を解決しよう」という発想が生まれる。
 そもそもゴミを放置することで誰がどんなことにどれほど困るか?

 それが切実だとして、ゴミを出さずに済む仕組みをどう作るか?
 ゴミを捨てたくない気持ちは、どう多くの人に動機づけられるか?
 …などなど。

 ところが、実際の社会問題の解決アプローチでは、対処療法的な方法に終始して思考停止のままでいる活動団体が多すぎる。
 だからこそ、問題の本質を考え抜いて、問題自体が新たな価値を生むような「脱・常識」的な発想になりにくい。

 ゴミを集めて新しい楽器を生み出して活用したり、商品化するなどは一部で既に試みられているが、問題と思われていたゴミの中に価値を発見しようという気づきは、社会の常識をより生きやすいものへ変えていくことを意味する。

 それこそがソーシャルイノベーション(=生きずらさを作り出してしまう古い価値基準を塗り変え、新しい常識を作り上げること)。

 その担い手である社会起業家は、ソーシャルビジネスを通じて、問題と思われていた存在に価値を発見している。

 支援される一方だった障がい者にしか持ちえない属性(=当事者固有の価値)を活用することで革新的な製品を生み出す事ができたシーンも生まれている。
(詳細は、拙著『ソーシャルデザイン50の方法』を参照)

 その点では、これまで社会から勝手に問題のように語られてきた存在にこそ、新しい時代に革新的な価値を提供できる潜在可能性が高いのだ。

 その存在とは、たとえば、ニート、ひきこもり、メンヘラ、ヲタク、セックスワーカー、ホームレス、要介護者、難病者、難民などだ。

 彼らには、当事者固有の価値がある。
 その価値は、閉塞感に満ちたこの社会を刷新できる力を秘めている。

 だが、その価値の大きさは、彼らと一緒に汗をかいて対等な伴走をすることを避けるばかりで、彼らを一方的に支援したがる人には、絶対に見えてこない。

 だから、若者たちよ、当事者固有の価値に気づき、そこから事業を興して社会を変えよう!
 それこそが、君自身をもっと生きやすくする仕事になるから。

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■5・17大阪オフ会と「One for One 大阪城マラソン」 ~全国に飛んで行きたいなぁ!


 僕(今一生)は5月17日(土)、久しぶりに大阪に行った。
 「今一生と話す会」というユルいオフ会を開催したのだ。

 このオフ会は、twitterで「大阪、行きたいなぁ~」とつぶやいていたのを、大阪在住のフォロワーの方が見つけてくれて、土地勘の無い僕に「会場を予約しましょうか」と進言してくれたことから急遽決まったものだ。

 僕が大阪に行きたかった理由の一つは、既に7回も開催されている「One for One 皇居マラソン」を大阪でやろうという青年が現れたので、当日のようすを見たかったからだ。

 その青年は、永田さんという青年だ。
 彼は日本一ゆるいマラソン大会である「One for One 皇居マラソン」の主催者・遠藤一さんに連絡し、「One for One 大阪城マラソン」を開催したいと伝えた。

 永田さんがマラソン大会を開催したいと思った理由は、「なぜ人が怖い元引きこもりがマラソン大会を開こうと思ったのか」という彼自身の文章を参照されたい。

 もちろん、彼にはそれまでマラソン大会を企画・運営したことなど無い。
 そこで遠藤さんに相談した。

 遠藤さんは永田さんと一緒にこのマラソン大会を実現するスタッフ志願者をネット上から募り、当日から3週間前からSkypeによるグループミーティングを行った。

 僕はこのグループミーティングに参加していたのだが、たぶん永田さん以外の誰もが「永田さん、大丈夫か?」と心配していたように思う。

 なにしろ彼は音声のみのSkypeでさえなかなか言葉が出ない人見知りだったし、開催のためにしなければならない準備も〆切までにこなせないほど、物事の優先順位をサクッとは考えられない属性だったのだから。

 しかし、グループミーティングを重ねるうちに、どんどん自発的にみんなの話の交通整理ができるようになり、地元・大阪でもスタッフを申し出る方を3人以上調達できた。

 それどころか、当日までに朝日新聞読売新聞に顔出してインタビューを受け、それがオンライン記事になったため、過去のへたれぶりを全国の人に知られることになったのだ。
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 メディアから取材を呼び込むなんて、僕や遠藤さんのようなライターには朝飯前なので、記者にプレスリリースを送ったり、テレビ局にも「取材して」と電話するよう永田さんに入れ知恵した。

 取材を受けることで、「不登校とか通信制なんていうとバカにされるかも」なんていう永田さんのつまらん自意識は一気にぶっ飛んだことだろう。

 しかし、ニート界隈では歓迎された。
 ニート系情報サイト「キテキテニート」でインタビューされたのだ。

 それどころか、ABC朝日放送「キャスト」で当日のようすを撮影取材された映像が流れる事になったのだ。
(ちなみに、この放送は僕がしっかり事前にディレクターに情報を流しておいたもの)

 さて、当日。
 僕は夕方5時に、走り終わった参加者たちに永田さんが自己紹介するあたりからようすを観に行った。

 すると、そこにははつらつとした永田さんの笑顔があった。
 しかも、みんなの前できっちり話せているじゃないか!
 彼の過去を知らない人から見れば、「このリア充がーっ」と驚くに違いない。
 それぐらい、永田さん、そして参加したみんなが自分のへたれ具合を自然体でしゃべってた。

 僕が驚いたのは、それだけではない。
 このマラソンを取材し朝日放送のディレクターやカメラマンなども一緒に走ったことだ。

 つまり、このマラソン大会は全員が「走った当事者」であり、みんなが「同じ汗をかいた仲間」としての和気あいあいな気分が漂っていたのだ。
 ふだん何をしていようといまいと、この集まりに参加した人たちが全員「同じ汗をかいた当事者」だった。

 NPOでは「支援される人」、精神科病院では「患者」、学校では「生徒」という具合に一方的に一段下に見られる受け身の立場しか与えられていない人たちが、同じ汗を流すことで誰もが対等な関係として向き合えた。
 だから、参加した人々は続々と、帰宅後のツィッターで「参加してよかった」と声を上げた。

 あなたのまちでも「One for One マラソン」を実現させたいなら、カンタンだ。
 遠藤一さんに「自分もやってみたい」と伝えればいい。
 そこからあなたの人生が一変するかもしれない。

 前後するが、このマラソン大会が始まる前の午前中、マラソン大会に参加する人が集まるビルの1室で「今一生と話す会」が開催され、10数人が駆けつけた。

 そこでまったりと話をしつつ、その後、森ノ宮駅前のカフェに流れ、参加者各自の深い話に耳を傾けた。
 それぞれの持つ悩みを聞きながら、ワクワクできる未来を一緒に考えた。

 それは、なるだけ具体的な解決策を一緒に話し合い、「できること」を持ち帰ってもらうことだった。
 帰り際にみんな笑顔だったし、ツィッターでも以下のような書き込みがあったので、喜んでくれたはず。


 僕がオフ会をやるのは、そこではどんな素性を話しても、ドン引かれることがないという現実があることを分かち合いたいから。

 「こんな自分のことを話したら嫌われるかな」という不安を持つ必要が無い社会に生きてることを実感してほしいから。
 過去から現在までに何があろうと、違う明日は作れるから。

 東京では、月1回のペースで新宿あたりのカフェで、ゆるいオフ会をやってる。
 必ずtwitterFacebookで事前に告知している。

 僕の本やtwitterを読んで興味を持ってくれる人がいたなら、全国どこへでも飛んでいく。
 もちろん、交通費がかかるので、僕の最寄り駅である内房線の五井駅からの往復交通費をYahoo!路線検索で見積もってほしい。

 大阪の場合、往復で3万円もあれば十分だった。
 会場費は1万円以上したので、宿泊しなければ経費の総額は4万円。
 そこで1人あたり1500円の参加費とし、30人弱でトントンになる計算だ。

 高速バスならもっと安くできるし、オフ会の場所で本を売ってよいなら持参して売るので、その分だけ経費を浮かすこともできる。
 オフ会で儲けようとは思わないし、儲かりはしないので、せめて赤字を出さないよう、僕を呼びたい方と相談しながら経費節減の知恵をひねり出したい。

 ちなみに昨年は函館の講演が決まったのを機に、札幌でオフ会を行った。
 講演主催者が交通費を負担してくれたので、僕は函館~札幌の交通費を自己負担するだけでオフ会に行けた。

 僕にあなたの地元での講演を依頼してくれると、それに便乗して安上がりでオフ会も開催できる。
 それはオフ会の参加者の参加費を極限まで安くできるということ。

 なので、ぜひ「今一生への講演依頼」を参考に、下記のようなあなたの身近な人に声をかけてみてほしい。

★まちづくりやソーシャルデザインに関心のある大学教授
★ソーシャルビジネスや広報戦略に関心のある地元の有力なNPOや青年会議所
★青少年センターや男女共同参画センターなどに勤めている役人
★トークイベントをやっているお店のスタッフ


 「今一生と話す会 in 大阪」については、参加された方も、これから参加したい人も、このブログ記事を参照されたい。
 僕のオフ会を通じて大阪エリアの方どうしがつながり、自分の明日を切り開く人脈や知恵がシェアされていくといい。

 なお、上記の記事の感想は、僕のtwitterアカウントをフォローした上でお気軽にお寄せください。



■5月17日に大阪でオフ会、やります(参加予約を受付中)

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