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■この夏は非電化グッズで楽しく節電しよう!


 全国各地に「節電」が呼びかけられています。

 そもそも電力をなるだけ使わずに暮らせたら、原発もいらないわけです。
 そのように「非電化」あるいは「省電力」の商品が、既にたくさん開発されています。

 そこで、みなさんに「へー、こんなの、あるんだ」と知ってもらいたくて、エコグッズを紹介します。

●小型圧力洗濯機





●ソーラーパネル付LEDランタン





●電気不要の加湿器




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■campfireの無責任ぶりを見て他社は改善する ~phaさんのことは嫌いじゃないよ


 まずは、下記の2本のビジネス・ニュース記事を読んでいただこう。

★「クラウドファンディング」運営者に求められる、明確な審査基準とは?
 自称ニートがネットで"生活費集め"はOKか!? (前編)
http://biz-journal.jp/2012/06/post_313.html

★クラウドファンディングの「社会的責任」と「本当の支援」とは?
 自称ニートがネットで"生活費集め"はOKか!?(後編)
http://biz-journal.jp/2012/07/post_388.html


 いずれも、タイトルからして、クラウドファンディングを運営する会社に対して社会的責任を問うことに主眼が置かれていることは明白だ。

 「pha」(ファ)さんというニートを自称する人が、「本の制作費」を集めたいというプロジェクトをクラウドファンディング「CAMPFIRE」で発表した。
 なぜ、phaさんはお金を必要としていたのか?
 それは、彼自身がこう書いている。

「半年ぐらい前から原稿を書いているんですが、書いているうちにお金がなくなってきて困るようになってきました。文章を書いていると資料として本を買ったりもする。家で作業していると家賃や光熱費や通信費もかかるし、家にずっといると気が滅入るのでファミレスやカフェにも行く。たまには酒を飲んだり焼き鳥を食べたりして気力も補充したい

 これを読んで、「本の制作費に生活費を混ぜるのはちょっと…」と思い当たる人は少なくないだろう。

 phaさんがそもそも「働きたくない」と明言してるとわかってる人なら、「お金がなくなってきて困るように」なってきた彼が求めていた10万円が、生活費に真っ先に使われるだろうと察してもいるだろう。

 上記リンクの記事では、phaさんのこの案件について、「バイトのような自助努力を後回しにし、他人が働いて得た金を当てにする。それは彼の自由だ」と書いている。

 記事が問題として提起しているのは、あくまでも「CAMPFIRE」を運営する会社がどんな審査で新規プロジェクトを承認しているのか、その基準のことである。

 後編の記事では、「CAMPFIRE」を運営する会社が取材から逃げ、クラウドファンディングというサービス自体に内在している社会的責任についても一切説明しないことを明かしている。

 ちなみに、「CAMPFIRE」以外のクラウドファンディングでは、プロジェクトの内容にグレーな点があれば、プロジェクト起案者に説明を追加させたり、却下したり、時にはプロジェクト起案者に直接会って案件が共感できるだけのものかを確認している運営会社もある。

 プロジェクトに対してお金を出すユーザに安心してもらうには、自社の軒先に置いたプロジェクトによってマフィアや非合法組織などにお金が流れない仕組みを作っておく必要があるからだ。

 そのように、サービスの健全化を図る程度の社会的責任を背負う覚悟がないと、闇社会にお金が流れることにユーザを導いてしまったり、国からサービスに関する規正法を作られてしまったり、最悪の場合、クラウドファンディング業界全体が儲けられなくなる恐れが高まる。

 不景気が続く日本では、資金さえあれば面白く楽しく有益な活動が活性化できる仕組みとして、クラウドファンディングは大きな期待を集めている。

 だからこそ、社会的責任に向き合うことが真剣に論じられなければ、みんなが困ってしまうのだ。
 その大義さえ伝われば、冒頭の記事は十分である。

 phaさん個人に関してdisる動機などそもそもない。
 むしろ、「後編」の発表を出来るだけ延長し、phaさんの執筆した本『ニートの歩き方』の予約の案内とほぼ同じタイミングで発表し、phaさんや出版社にとって良い前パブ(事前宣伝)になるようにした。

 もちろん、人は自分が読みたいように記事を読むし、ネット上には基礎的な読解力を欠いている人もいるので、僕がphaさんのことを嫌っているかのように勘違いしてる人すらいるけど、嫌う理由なんてどこにもないし、そうした見方はその人の妄想なので、スルーしておく。

 phaさんへの質問に、僕はこう書いている。

「僕自身もやりたくないことはしたくないし、一生遊んで暮らすために、自分がしたいことしかしませんし、したいことをまったりやることがそのまま収入になることしかしていません」

 それに対してphaさんは、「それはいいですね。うらやましいです」と応えている。
 「したいことをまったりやることがそのまま収入になる」ことの面白さに、彼は気づいている。

 なのに、「趣味でプログラミングをするのとプログラマとして働くのって、家で自分で料理を作るのと料理屋で働くのとぐらい違う、だるいことですよ」とトンチンカンなことも書いている。

 僕は「自分がしたいこと(プログラム?)と希望ギャラ額をつけて収入にするという方法(=好きな仕事をやって稼ぐ)を採用しなかったのですか?」と問いかけたのに、phaさんは誤解しているのだ。

 彼がこれまでしてきたようにまったり自分の趣味を続けていて、それがそのまま欲しいだけの収入として増えていけばいいことを僕は最初から肯定している。

 なのに、彼は「仕事」と聞いただけで悪いイメージを反射的に感じてしまうのだろう。
 彼は、自分をもっと楽にする(=だるくならないようにする)方法が豊富にあることをまだ知らないのだ。

 だから、「少ない労働量でウェブサービスをうまくマネタイズできるものなんでしょうか。好きなものを作りながらヒットするウェブサービスを作るのってかなり大変」「世の中にはお金には全くならないけど面白いものはたくさんあるし、それを金銭化するとその良さがなくなってしまったりする」という発想のままなのだろう。

 そのままだと、彼は彼自身で自分の人生を損なところへ導いてしまうだろう。

 世の中、「自分には無理」なことでも、それをたやすくやってのける人はいるし、そういう人材と出会うだけでも、今までのスタイルのままで、もっと自由に、もっとだるくならない方法を知ることが出来る。

 世の中は、「できる人」と「できない人」が、お互いに「出来ること」を持ち寄ってお互いがだるくならない仕組みを作って回っているシーンが随所にあるのだ。

 そうした世の中の広さを十分に知らないからこそ、phaさんは「書いているうちにお金がなくなってきて困る」状況に陥ったのだろうし、その状況自体が彼の書いた本の説得力を奪ってしまう。

 phaさんの本は、「お金がなくても無理なく楽しく暮らすための生き方と考え方」とAmazonで紹介されていたけれど、そんな理想を鵜呑みにするとバカを見る人も出てくるだろう。

 ギークハウスの仲間も、いつかは結婚や転職、田舎の実家への出戻りなどで1人、また1人といなくなり、10年も経てば、phaさんは10歳以上も年下の若い人たちからオジサン扱いされること必至。
 ネットで金を調達しようにも、今後は「またphaさんか」と思ってくれる人も大人になって減っていくだろう。

 また、自分で「どうでもいいものを作るのが好き」とセルフブランディングしているいい大人を面白がってくれる人も減っていくだろうし、親の介護費や増税など今後の出費はどんどん増えていくわけで、それでもずっと生活を現状維持できるというには無理がある。

 phaさんのいう「お金がなくても無理なく楽しく暮らすための生き方」が一時的にでも実現可能だとしたら、それは主に次の3つのいずれかの条件が必要になる。

【条件1】 「明日が今日よりもっと楽しくなる方法さえ考えたくない、知りたくない、だるい」という思考停止の構えに居直り続ける(→そのままジリ貧?)

【条件2】 親や親類が資産家で、自分がどう転ぼうと莫大な遺産がやがて入ってくる。あるいは既に相応の貯金や株などの資産をひそかに溜め込んでいて、いつでも換金できる余裕があるので、死ぬまでまったく困らない(→そういう人にも恵んであげたい奇特な人によって生き長らえる?)

【条件3】 自分が切実に困らないうちに、自分を救う「知恵」を学ぶ(→ネットでは知識を拾えるけど、知恵を拾うことはホントにカンタン?)

 他にも、「いざとなれば生保」とか、「会社を興して働きたい社員に働かせる」とか、いろいろだるいままでシノぐ方法はあるだろうけど、phaさんの人生はphaさん自身が選べるに決まってるし、phaさんの器にマッチした人生が待っているだけだ。

 冒頭の記事で提起した問題は、最初からphaさん個人に対して感じているものではない。
 あくまでも、クラウドファンディングというサービスを守るために、CAMPFIREの無責任の二の轍を他社には踏んで欲しくないというだけだ。

 僕は、phaさんのブログにある内容のほとんどすべてを肯定してるけど、「惜しい」と思うところもある。
 しかし、それと冒頭の「前編」「後編」の趣旨とはまるで違う次元のお話だってこと。

 それをふまえて、あえてphaさん、そして家入さんについて書くならば、こんなことかもしれない。

 精神的余裕、体力的余裕、時間的余裕、経済的余裕。
 これらのいずれか一つを失うと、人は社会的責任を負うことが苦しいと感じ、責任から逃げたがる。

 そのため雪だるま式に義務が膨らみ、生きずらさがさらに増大する。
 責任から逃げることは、むしろ自由を手放すことなのだ。

 蜘蛛の糸を最初に見つけた人が先を急ぐと、その人よりもっと切実に助かりたい事情を持つ人が大量に下から上ってくる。
 そして、糸はいつか切れ、誰も救われなくなる。

 自助努力のできる人は、自分より自助努力の出来ない人の思いや切実なつらさに関心を持たないと、自分を助ける仕組みまで自分で壊してしまうのだ。

 以上、長くなったけど、僕の仕事に関心があれば、この下の検定でもどうぞ。







(※「今一生」検定1は、このブログ記事にあります)