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■民主主義って何だ? ~政治家より、きみ自身が社会を作る主権者としての責任を果たすこと


 戦争法案に対する意志表明のデモを見てると、反対派も賛成派も、どちらも民主主義がわかってない印象を持つ。
 そこで、「民主主義って何だ?」というところを、中学生にもわかるように、ちゃんと説明してみよう。

 そもそも近代民主主義って、それ以前の王族のような特権階級による一方的な支配・隷属から逃れたいイギリスやフランスなどの市民たちが、特権階級の人たちをぶっ殺し、「俺たちの社会の仕組みは、俺たち自身が決めるぞ!」という革命によって生まれたものだよね?

 社会のありようを決める責任者が、国民全員になったってこと。

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■選挙は、国民の権利行使の一つにすぎない

 社会のありようを決める責任者=国民全員ってことだから、国民全員が自分の求める社会の姿について自分たち自身で考え、自分たちで理想の社会を作り出す責任を負うことになったんだ。
 それが国民主権の由来だから、その権利行使の一つの手段として、国民のみんなが選んで決めた人を「みんなの代表」として国会に送り込むことになった。

 もちろん、投票する・しないは権利だけど、選挙の結果を真摯に引き受けるのが主権者の責任。
 ただし、選んだ相手が、選挙前に有権者に約束していたことと違うことをやり出したら、怒るのも人情だ。

 といっても、怒る人が増えたところで、国民の信託を受けた「みんなの代表」は選挙によってしか入れ替えられないのが原則なのよね。
(※とんでもないスキャンダルが報道されて辞職にまで追い込まれない限り、議員が自発的に辞めることは無い)

 選挙は、数年に一度しかない非日常的なものだ。
 だから、選挙と選挙の間にある日常生活の中で、ウソをつかない人間や、誠実に税金を使える知恵を持ってる人間を吟味するのは、主権者である国民の義務になる。

 そうした義務を果たさず、立候補者が掲げる政策にたいした思い入れもなく候補者を選んだり、なんとなく投票しなかったりすれば、喜べない結果や期待外れを招いてしまうよね。

 そして、政治に期待できないと感じる人が増えれば、投票率はどんどん低下していく。
 実際、日本では、戦後最低の投票率を記録した。

 政治に期待しない人や無関心な人が増えてるのは、「自分の代理人である政治家が自分の望む生活や自分の期待する社会を満足に作ってくれない」という失望感が大きいからだろう。
 自分1人が投票しなくても、政治家の仕事によって自分の生活や住む国は大して変わることがないと思う人もいるだろう。

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 しかし、政治への関心が薄まっていったからといって、それは主権者としての権利を全部捨ててしまったわけではない。
 そもそも、国民が投票行動を通じて「自分の代理人」を国政の場に送り出すことは、主権の一部を行使しただけ。

 あくまでも国民全員が主権者であり、自分の理想の社会を作る主人公なんだから、自分が毎日やってる仕事を通じて自分自身が求める社会の姿を作り出すのが本筋だろう。

 その本筋を理解できず、「政治家のおまえが真っ先になんとかしろ」という構えでは、「あくまでも自分ではできないことの代理人として政治家に仕事を与えてやってるんだ」という意識すら忘れてしまったことになる。

 というか、戦前・戦後で民主主義の意味が変わったことを、敗戦して憲法を変えた70年前から、教壇に立つ教師も十分に理解していたか、疑わしい。

 戦前は、軍部独裁を許してしまうほどの前近代的なニセモノ民主主義だったけど、戦後は国民主権・平和主義・基本的人権を取り入れた本格的な民主主義になり、先進国とやっと肩を並べられるようになったわけだ。

 でも、それはあくまでも表面的なタテマエだけの話。
 つまり、制度・手続きとしての民主主義が明文化されただけで、その意味するところを多くの国民は理解してなかった。
 というか、民主主義のマインドがピンとこなかったのだ。

 独裁政権があっても、彼らの首を命がけで奪い取って国民主権を勝ち得た歴史など、日本には無かったからだよね。

 経験したことがない民主主義をもらっても、それが自分にとってどんなメリットがあるのか、そして民主主義を維持するためにはどんなコストや義務を負うことになるのかも、多くの国民はわかっていなかった。

 それゆえに教育現場でも十分に教えるチャンスが無かった。
 だから、戦後70年という長い年月を経た今日でも、中学・高校で学級委員を決める時、「安倍くんが良いと思います」「みんなどう思う?」「いいんじゃないスか。パチパチパチ…(拍手)」で決まってしまう。

 生徒会選挙でも、一応、選挙はやるけど、公約で3年間自分がいる学校がどう変わるのかなんて、ほとんどの生徒には関心が無いし、そうした感覚のまま大人になっていくことに、多くの教職者自身が危機感すら抱いてない。

 どこで、戦後民主主義の肝である「国民主権」を実感できるチャンスがあったろうか?
 残念ながら、「ほとんど無かった」と言わざるを得ないんだ。

 だから、選挙になれば、一部のずるい企業や金持ちが自分たちの都合の良い政策を実現すると公約した立候補者に金を渡して支援するし、既得権益を守りたい大企業は保守政党に多額の献金をし、自分たちのビジネスを守ってもらおうとする。

 そこで正論をいくら吠えたところで、潤沢な資金を集めた候補者が選挙対策のプロを雇って当選する傾向は変わらない。

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■非日常の選挙より、日常の仕事で、主権者としての責任を果たそう

 もちろん、選挙で勝つには地盤(支持母体)・看板(知名度あるいは広報力)・金庫番(資金力)の3つが必要なので、支持母体や金が無くても、圧倒的な知名度をもつ有名人が勝つこともある。

 だから、当選しやすい有名人を誘って自分の支持政党から立候補させたいと考える人もいるけれど、政治は税金を使って政策を実現させるわけだから、政治家に何かを期待すればするほど、「税金をじゃんじゃん使え」と言ってるのと同じだ。

 そこで国民主権の本来の意義に立ち返るなら、国民自身が社会を作るのに誰にとっても効率的なのは、非日常な選挙やデモ、ボランティアよりも、毎日やってる日常な仕事であることに気づきたいところだ。

 自分の毎日の仕事の内容を、戦争や武装を必要としない平和維持の仕組みを作り出すものにすればいい。
 政治家がどんなに「戦争したい」と考えても、それができない仕組みを民間が作ってしまえば、国家権力の暴走を抑止することができる。

 ありえないことだけど、万が一、中国が日本への侵略攻撃を考えているとしても、中国政府がすぐにそれができない事情は、経済的な成長や覇権獲得のためには「人民元」を国際通貨として世界に信頼されるのが最大・最優先の課題だからだ。

 どこかの国に侵略戦争なんて仕掛けようものなら、「元」の価値は一気に暴落し、中国は孤立し、人民は干上がり、ものすごい数の暴徒たちが国内で反乱を起こす恐れが高まる。

 それだけ、多民族・多言語・多文化の人民をまとめ上げるのが大変な国内問題を常に抱えている中国は、日本も含め、本格的な戦争を仕掛けるなんて、できやしない。
 「外に敵がいるぞ!」と、国民の視線を外に向けて政府への批判をかわすための「治安維持の芝居」が、領海侵犯なのよ。

 つまり、グローバル経済が中国の軍事的な侵略を無力化させているという大きな仕組みが既にあるわけ。
 それを補完するように、民間人どうしがさまざまな形で中国人民の心をつかんでしまえば、争いのタネや動機を奪える。

 戦争できない事情=平和維持の仕組みを、どんどん作ってしまうことが、民間人=国民の主権の発揮どころってこと。
 どんなに軍事力があろうとも、それをどうしても使えない仕組みを民間で作ってしまえば、自国や相手国の政府(国家権力)の暴走を食い止められるチャンスはあるってことなんだよ。

 現時点では、文化・外交・経済の3面で、政府が仮想敵国として考えている国に対して「相手国を攻撃すれば自国も成り立たない」という仕組みを互いに作ることが有効だと指摘する向きが多い。

 文化面では、外国人に強く愛される作品を作って輸出・輸入したり、両国のアーチストがネットで発表し合うなどが考えられる。
 映画・音楽・演劇・アート・ゲーム・アニメなど、愛される日本製は山ほどあるし、若者の憧れなんだから、もっと売る仕組みを作る必要もあるだろう。

 経済面では、相手の国が切実に苦しんでるさまざまな社会的課題を解決する仕組みを提供すること。
 公害問題・農村部の貧困・障害者の就労などの課題に対して、日本にはすでに解決実績のある技術やプロがたくさん。
 都市部には子育てを助け合う仕組みも必要だろうし、介護・観光などは日本の繊細なサービスで地域活性にもつながる。

 外交面では、修学旅行やスポーツの親善試合などを両国間で何倍にも増やしてしまえばいい。
 お互いに相手のことを知ら無すぎることは、それ自体が偏見や憎悪を育ててしまうからね。
 そういう意味では、互いに国を往復して一緒に遊ぶチャンスを増やすだけでも、憎めない間柄を築けるだろう。

 社会は、政治という代理人たちと、民間人という主人公の両者が作るのだから、民間人の僕ら市民が主権者として他国との平和を維持できる仕組みを自分の仕事で作り出さないでどうするよ?

 僕らができる平和維持の仕組みの作り方は、他にもたくさんある。
 いろんな事例は、このブログにも書いた。

 そして、すでにソーシャルデザインや社会起業を知った人は、そのように仕事を通じて社会的課題の解決を進めてる。
 民間で市民が社会を変えられるすごさに気づいた若い世代は、もう学校や本でそれらの事例を学んでる。

 すでに多くの成功事例が、日本を含めて世界中にあふれ、世界的なムーブメントになってるからだ。
 実際、費用対効果の良い課題解決の仕組みを作るのは、政治家や官僚より、民間の市民の方がはるかに上手いしね。

 それでも、自分の頭で自分の暮らしたい社会を想像すらしない人は、周囲の熱い空気に流される。
 デモにたくさん人が集まってるのをテレビや新聞、ネットなどで見て、「自分もデモに参加すれば何かが変わるかも…」と、根拠のない期待に簡単に心を奪われてしまう。

 「政治的関心が無かった自分が悪いのだから、政治に関心を向ければいい」という単純な図式に飲み込まれる前に、このブログ記事を最初から読み直してみてほしい。
 関心をもつべきは、社会を作る責任者が自分であり、自分の仕事の成果だってこと。

 それがちゃんと理解できたなら、「そっか、自分が仕事を通じてどうしてもできないことだけを、自分の代理人である政治家に求めれば、彼らの仕事や存在意義を減らし、その分だけ税金を使うことや権力に居直ることを減らせるんだな」とピンとくるはずだ。

 そこでようやく、「どうせ代理人を国会に送るなら、きちんと選ばなきゃ」という確かな気持ちが生まれ、投票を動機づけるんだよ。
 投票率を上げたいのなら、毎日の仕事によって良い社会を作ることが必要不可欠なんだ。
 でないと、社会に対する関心も、政治的関心も、持続なんか、しないでしょ。

 自分が生きてるこの社会をリアルに実感したいなら、政治によって代理人に勝手なことをさせる前に、きみ自身が自分の毎日の仕事を通じて平和維持にとって貢献できることを具体的に考えよう。

 そこで、思考停止さえしなければ、そこからきみの人生は今よりもっと意味のあるものになっていくし、そのことによって本物の国民主権が日本に根付いていくのだから。




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■平和とは「関係」のこと ~「自分だけ良ければ」を主張するほど日本は小国じゃない


 平和とは、関係のこと。
 一方が戦争に勝利して平和になっても、相手に遺恨を残し、平和じゃないと思っていれば、争いの火種を温存する。

 遺恨を残せば、「いつかあいつを…」と軍備増強に走らせ、いつまでも平和は実現できないことになる。
 そこで、自分も相手も平和にするという発想があれば、無駄な戦いを避ける知恵を新たに生み出し、分かち合える。

 それには、自分自身と相手の恐怖や不安を取り除くことが必要になる。

 「力があればなんとかできる」って思うのは、マッチョな男の発想だ。
 そんな発想は、「力が無い者は死ねよ」という考えにつながりかねない。

 力を欲しがるのは、若くて世間知らずなマッチョな男だけ。
 彼らもやがておじいさんになる。
 足腰が立たなくなり、射精もできなくなり、認知症にもなるだろう。

 その頃に「軍備増強」なんて主張して戦争になったら、他国から空爆された時に体の弱い自分は真っ先に死んでしまうと、そこで初めてピンと来るんだろうな。
 戦争になれば、兵士だけでなく、高齢者、障害者、病人、子どもなど、弱い人から死んでゆく。

 力より大事なのは、愛に決まってる。
 弱い人が強くなれなくても生きていける社会にしなければ、若くて健康で力のある強者しか生き残れない寒い社会のままだ。

 弱い存在が弱いままでも平穏に生きられる「よのなかの仕組み」を民間では作り始めているし、それは世界的なムーブメントになってるのに、頭の中が20世紀で止まってる人、多いよね。

 パワーに依存する人は、相手を弱い存在に貶めたい支配欲求の塊だ。

 そうしたパワーに対する依存的な構えは、その人自身の恐怖や不安から生まれるものなので、「世界には自分より強い奴がいるから力をつけて守るんだ」という妄想に転化しやすい。

 自分の側だけが平和になれば、相手も自動的に平和になると思う勘違いが、そこで生まれる。
 相手を負かせば、相手が自分を憎んで、また戦争になるかもしれないという悪循環に気づけないんだね。

 それじゃ、いつまで経っても「戦争の世紀」が終わらないじゃん。
 それより、自分自身の不安や恐怖を取り払える「よのなかの仕組み」を作る方がよっぽど公益に資することだよ。

 コミュニケーションスキルに自信がない人ほど、「誰かよりも強くなくちゃ」という不安にかられるんだろう。
 そして、異文化を必要以上に恐れる。

 相手をちゃんと知ろうとする構えも経験もないことに無自覚だから、「敵だ。怖い。武装しなくちゃ」と短絡する。
 こんな愚かな発想こそ、平和ボケなのよ。

 自分と相手が互いに相手に対する不安や恐怖を取り除くコミュニケーションのチャンスを増やすことから平和を作ろうとしないと、一方的に「自分だけの平和」を求めるようになる。

 そうしたひとりよがりは、最初から争う構えを見せるのと同じ。

 争う構えを見せられたら、誰だって身構えるよね。
 それも、相手が大国なら、なおのこと、そうなる。

 そこで、昨年、毎日新聞で発表された日本の軍事費を観てみよう。

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 アメリカや中国に比べれば、日本の軍事費は圧倒的に少ない。
 人口や経済の規模でも、日本は彼らに100%負けてる。

 しかも、日本の人口は減り続けると予測され、経済成長も低成長で精いっぱいだ。
 これで彼らに戦争で勝てると思う人がいたら、勝算のない太平洋戦争を始めた昔の日本人と同じ。

 莫大な増税をして軍事費を増やしたところで、70年間も実戦経験のない日本の勝算は限りなくゼロ。
 というか、今以上の増税、しかも莫大な増税を、誰が望むだろうか?

 逆に、韓国など日本より人口も軍事費も少ない国にとって、日本の軍備は現時点ですら脅威に映ってしまう。

 こういう日本の現況に照らせば、軍備=武装よりもっと賢い平和維持の方法を提案するのが、世界の中でも大国に入る日本の選択肢になる。

 大国には、大国ならではの大きな社会的責任が生じる。

 アメリカや中国が20世紀の遺物のような発想でその責任を軍備とするなら、日本は70年間も戦争をせずに経済的な繁栄をしてきたこと自体を誇ればいい。

 非戦を誓う憲法9条こそ守り抜き、それを世界に輸出すればいい。

 「円」が国際的な信用通貨として維持できた実績も、持続的な経済成長も、非戦=平和を守ってきたからだという論理は、世界中に通用する説得力だ。

 アメリカがいつまでも傘になりたいなら、なってもらえばいい。
 そして、軍備を続ける限り、戦争が続き、武器商人しか幸せにしないことをハッキリ世界に伝えればいい。

 日本はアメリカとは違う。

 戦争で勝つのを英雄視したりもしないし、相手を負かしてしまうことで相手が必要以上に傷つくことを避けたいと配慮できる「武道の教え」も古来からある。

 70年代に日本のアニメブームに火をつけた歴史的な作品『宇宙戦艦ヤマト』を、僕は小学校の頃に見た。

 地球に攻めてきたガミラス星の人と「自衛の戦争」をしなければならず、ガミラス星を殲滅(皆殺し)してしまった地球代表の日本人は、勝った喜び100%でその勝利を受け止めたか?



 日本は、第2次世界大戦でアメリカに負けた。
 戦勝国のアメリカは、いまだに原爆投下が早期の戦争終結を実現させる良いものだったと教えてる。

 しかし、ベトナム戦争で従軍し、生き残った人たちの中には、PTSDに悩まされる人も多いと聞く。
 その中には、ホームレスになり、日本で憲法9条の大切さを伝える講演をし続けた人もいる。

 アレン・ネルソンさんだ。



 異文化の相手とちゃんと付き合ったこともないのに敵視するのは、不安や恐怖が先立ってるから。
 自分自身の不安や恐怖を取り除こうとせずに、相手にばかり多くを求めるのは、コミュニケーションスキルが低い証拠。

 島国・日本では、国内の需要だけで飯が食えていた時代が長かったから、外国人とつきあうチャンスが乏しかった。

 だから、メディアからの情報だけで外国人のイメージをもってしまい、外国人を怖がったり、さげすんだり、関心がない人もいて、外国人とのコミュニケーション・スキルを高められない人たちが今なおいる。

 外国人という異文化に対する彼らの恐怖や不安を取り除くのは難しい。
 そう思いがちの人も一部にいる。

 そのために臨床心理士というプロがいるんだよ。
 カウンセラーはまさに毎日、人々から恐怖や不安を取り除く仕事をしているし、学校でも教師たちが年月をかけ、労力を払い、子どもたちから子どもにとっては異文化である大人社会に対する不安を取り除いてる。

 大学では比較文化論を教えたり、NPOは多文化共生の社会インフラを多様に作り出している。
 地域活性化でも、外国人観光客を誘致しようと、さまざまな宗教や文化に配慮したビジネスを急速に展開中だ。

 異文化に対する日本人自身の不安や恐怖を取り除く技術を、いろんな現場で日々洗練させている。
 それが、先進国・日本の最先端の仕事ぶりなんだ。

 やがて、日本人が一方的に怖がってる属性の人に講演してもらうチャンスを企業や学校に作れるだろう。

 外国人、前科者、路上生活者などにギャラを払えるビジネスとして持続可能な活動にし、根付かせていく必要がある。
 多様な人との出会いで「誰もが自分と同じ弱者なんだ」とわかれば、根拠なき恐怖や不安は減り、敵対心も消える。

 つきあいの経験値を高めれば、「べつに怖い相手じゃなかった」と思い直すチャンスは多い。
 異文化と出会わせ、コミュニケーションのチャンスを作り出すことは、そのこと自体が平和運動なのだ。

 なのに、自分の国が世界でも有数の大国だと知らずに、他国を怖がるばかりなんて、あまりにも自国と異文化を知らなすぎる。

 先の戦争で負けたのも、「米英は鬼畜だ」で思考停止したからだった。
 アメリカは日本人のエトス(行動作法)を研究し、戦闘と統治に活かしたのに、そうした社会学的な分析すら戦争当時の支配者層は放棄した。

 その歴史的事実を知っているなら、平和な関係を作るのに真っ先にやっておかなくちゃいけないのは、異文化に対する深い理解だ。

 こちらが相手の文化、自国とは異なる文化を先に理解しようと努めず、ただ怖がってばかりなら、それはどんなに軍備増強したところで、どこの国にも勝てはしないだろう。

 愛されたいなら、真っ先に自分から相手を愛して受け入れる。
 こんなシンプルなことが理解できない人は、いろんな意味で余裕を失っているのかもしれない。

 実際、現代日本には、自分の対人恐怖の程度を自覚できず、コントロールパワー(支配欲求)を正当化したがる男が珍しくない。

 彼らは臨床心理士の信田さよ子さんの本など読んだこともないのだろうし、保守であっても愛国者・小室直樹さんの『新・戦争論』だって読んだこともないのだろう。

 日本を小国と思い込み、弱い自分を助けてくれる相手がいないと思い込んでしまった人は、「何がなんでも強くなければ生きていけない」と盲信し、自分が強くなることで誰かを相対的に弱い存在にならしめ、支配的に振る舞うことを平和だと誤解してしまうのかもしれないね。

 でも、 未来が過去の「本流」の延長線上に必ずあるとは限らない。
 むしろ、本流にとって「想定外」のところからイノベーションは興るし、社会や「よのなかの仕組み」は変わってゆく。

 従来の発想ではないところから「よのなかの仕組み」は変えられる。
 アメリカでダメな「よのなかの仕組み」を民間で変えている社会起業家がクレイジーと言われるように。

 弱い人が弱いままでも不自由なく生きられる社会を作ろうと、民間で新しい「よのなかの仕組み」を作り出してる人たちが世界中に増えてるんだ。
 それなのに、「弱いままだと生きていけない。強くならなければ…」という発想1本槍で、それを他人に強いる人たちがいる。

 誰も万能ではないのだから助け合えばいいだけなのに、自分にはそれが難しいから他の人にも絶対に無理だと思ってしまうのだろう。

 でも、ダメな現実は変えられる。
 現実に、世界中で民間人の市民たちが日々の仕事を通じて、より良い社会を作ろうと働いてる。

 どこの国もバカな政治家はいるけど、政府が使う税金より民間市場で動いてる金の方が圧倒的に多いのだから、民間人がより良い社会を作ろうとすれば、アホな政治家による支配を避けられるんだよ。

 歴史というのは、1つの線がずっと続くものではなく、いくつもの線が同時に絡まり合いながら、それまでとは異なるベクトルへ想定外に進んでいくもの。

 政治だけがよのなかの行く末を決めるわけじゃないんだよ。
 経済(民間市場)や文化交流、さまざまなメディアやイノベーションなどが重なり合って、あっと驚くような未来が来るの。

 コンピュータはIBMが巨大なものを作って政府や大企業に納品してるものだから、個人ががんばっても仕方がないよ。

 …なんて常識を鵜呑みにしてうなだれている人ばかりだったら、今日のように誰もがパソコンを使える世界は誕生しなかった。

 「世界をもっと良いものに変えてやるぜ!」というクレイジーな変人が、歴史を突然塗り替えるの。
 なのに、自説に都合の良い過去の断片だけが未来までつながると盲信し、「1つの線」しか見えてない人は少なくない。

 もし、そうであっても、不安や恐怖が見せる暗い未来ではなく、希望を作り出せる未来の線を信じられる「よのなかの仕組み」を作り出すことはできるはずだ。

 昨日までのダメな現実を、より良い現実に変える努力をしないのなら、人の命の価値ってなんだろう?

 社会に対して絶望してる人は、絶望すべき社会しか見ることができなくなってしまう恐れがある。
 それは自分の知らないところで新たに生まれている希望の芽を、自分で摘んでしまう結果になりかねない。

 でもね、100人のうち99人が「ムリ」と判断するような難題でも、「じゃあ残り1人になってやる」という気概を持って、「明日世界が死滅しても花の種を植えよう」と孤独な戦いを始めてる人たちもいるんだよ。

 それがソーシャルデザインを手がける社会起業家たちさ。
 彼らは既に世界中で「弱い人が弱いままでも不都合なく生きられる社会」を民間で作り出している。



 日本のマスメディアはあまり彼らのことを取り上げないが、メディアに毒される前に自分の目で確かめてほしい。
 きみが、日本と世界の平和を望むなら。
 ジョン・レノンの『imagine』を「絵空事」ではなく実現しようとしてる社会起業家たちは世界中で急増しているんだから。

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■社会問題を作り出してるのは、あなたかも… ~自分の仕事ぶりや生活基盤を疑おう


 人は、その人にとって必要十分以上の過剰な資産・時間・体力を持て余すと、精神的におかしくなりがちだ。

 現代日本のような成熟社会では、生きるのに必要なインフラが整って余りあるモノがあふれているために、自分が何によって生かされているかを考える動機付けを与えない。

 だから、目先の楽しみを享受することが当たり前になり、その当たり前が奪われることが最優先に考えるべき危機であるかのように錯覚する人も出てくる。

 もちろん、QOL(人生の質)の向上は大事だが、それを持続可能にさせる仕組みが、自分以外の誰かの温情(支配欲求?)によってかろうじて支えられているとしたら、その「豊かな暮らし」の内実は砂上の楼閣だ。

 しかし、既にそうした危うい生活を支えているものへの関心を失っていたり、観たくない構えをとることに正当性を感じてしまっている人にとって、自分の生活がペットと大して変わらないことを認めることなど難しい。

 彼らにとって、現実と向き合うことは、苦痛でしかないのかもしれない。

 だから、その人の問題は知らず知らずのうちに年月の経過と共に悪化していき、取り返しのつかない事態になる頃には、手の施しようがないほどに問題が多様に複雑化し、こじれてしまっている。

 その先にあるのが、自殺であり、犯罪であり、病死なのだろう。

 こうした社会や時代のありようと自分の関係を考えることは、生きずらい社会環境を変える上で必要なことだ。

 しかし、問題をこじらせた当事者たちと向き合うはずの自称「支援者」たちが、自分自身の問題と当事者の問題を切り離し、同時代性を分かち合う発想にならないのは、なぜなのか?

 たぶん、困ってる当事者としての「痛さ」を分かち合いたくないから、なのかもしれない。
 世間体を守れるだけの余裕や自意識、生活環境が、自分の「痛さ」を表出してはいけないと思わせているのかもしれない。
 その「良識的」な構え自体が、社会に閉塞感を与える「縛り合い」を市民の間に作っているとしたら、社会問題を作り出しているのと同じだろう。

 そんな社会に向き合えば、いろいろストレスフルなことが重なって、本当にこの国を出たくもなる。
 だが、「あの友人の死以上に不幸なことはめったに起こらない」と思い直して粛々と仕事をする。

 良識を鵜呑みにして自分の仕事を省みない人たちによって、僕の友人は「良い子」のまま亡くなった。

 友人は、精神医療のお世話にもなっていたし、福祉職の配慮で生活保護も受給していたし、義務教育だってまともに受けていた。

 良識どおりに医療・福祉・教育の「プロの仕事」の恩恵を受けていても、処方薬のオーバードーズを繰り返し、ある朝、冷たくなって発見された。

 担当医やソーシャルワーカー、恩師は、今も「自分は十分な仕事をした」と思っていることだろう。

 患者や相談者、生徒と付き合う時間も関係の内実も限定的でいい「教科書どおりの仕事ぶり」でも、彼らは自分の生活が困ることが無い。
 だから、今後も仕事に対する根本的な内省を自発的にすることもないはずだ。

 僕は、友人として何もできなかった自分の仕事ぶりや付き合い方を省みるのに、長い年月がかかった。
 そして、良識派を気取る連中のやたらでかい声に負けず、図太く生きてやろうと思った。



 人は、社会の良識を鵜呑みにしているだけは生きられない。

 良識にひそむ不具合を疑わないまま、良識をゆるがないものとして鵜呑みにすれば、良識派が勝手に決める善悪の基準を自分の頭で考えて検証する習慣も身につかないだろう。

 そのようにして、人は既得権益になっていく。
 既得権益は、自分の立場をゆるぎないものとしたいがために、善悪の基準を固定化しようとする。

 既得権益を持つ人たちから一方的に「悪」だとブランディングされることには、いろいろある。
 家出・犯罪・ニート・難民・低学歴・学校中退などなど。
 風俗もその一つだ。

 もし、あなたが売春する人や買う人だったとして、とても高そうなお召し物の中高年の女性たちがずらりと客席を埋めた会場で、自分の体験を語れるだろうか?

 僕のような汚れライターなら、いくらでも「レンタル彼氏」として売った経験や風俗客としての経験を平気で語れるけれど、そんなことはサラリーマンや公務員、学生にとっては「厚顔無恥」らしいので、ムリだよね。

 すると、なぜか当事者ではない文化人たちが「代弁者」として、発言の権利を奪い、当事者が座りたかった席を占めてしまう。

 そのこと自体が、セックスワークの実態から大きくかけ離れた視座であることを、文化人たちはいっこうに認めないし、座を奪って利益を得ている罪悪感を覚えることも無い。

 それどころか、「何が問題なのか」を当事者不在のまま社会にはびこらせてしまう。

 つまり、当事者ニーズとは遠い問題提起が都市伝説のように「常識」化し、延々と当事者の口が封じられ、当事者自身が切実に解決したい問題への関心を高めるチャンスが相対的に小さくなってしまうのだ。

 こうした「代弁」による当事者固有の価値の矮小化を反省したりはしないのが、世間受けだけは上手な文化人のやり口なので、僕は本当に辟易している。

 一部のインテリさんの語る「当事者」は、「私とは関係ない他者」として認知されてるフシがある。

 実際、日常生活で友人として付き合ってる間柄に「当事者」がいないインテリさんは珍しくなくて、彼らは「当事者」を自分が信じる文化から見て「枠外の人」として扱い、不思議な距離をとっている。

 インテリと当事者が互いに尊重して文化の差異を乗り越えられるのは、両者の間に力関係が働かない場合に限る。
 だから、圧倒的に大きい力を持つ文化の側に立つインテリさんは、対等な関係を求めない。
 求めなくてもゼンゼン困らない立場にあるからだ。

 先日、東京ウィメンズプラザで行われたイベントも、予想通り、そうした「上から目線」の話を延々と3時間も聞かされるばかりで、とても隷属的な気分を味わった。

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 居場所のない10代や人身売買、売春に関する女性たちについての報告イベントだったが、観客の過半数を占めていた「裕福なインテリ層と女性たち」にとって日常的には無縁な彼岸の話は、安全に楽しめる教養だ。

 たぶん、このイベントは、風俗や人身売買に近寄りたくない女性のために「安全と健康」を教える講座であり、結局は「解決を切実に求める当事者の女性たちとは付き合わないようにしましょう」というメッセージだったんだろう。

 実際、社会貢献の関連イベントには、観客に社会問題に切実に困っている当事者がたくさんいたら、怒り出して途中退席が相次いで紛糾しそうなものが少なくない。

 そういうことが起こらないのは、社会貢献系のイベントが毒にも薬にもならない内容で、当事者満足度が低いために、社会問題に切実に苦しんでいる当事者が足を運ばないからだ。

 このように、社会的包摂をテーマにしながら難しい専門用語や支援団体のがんばりを一方的に聞かせるイベントを平気で開催できてしまう人たちを、僕は「インテリ村の公開オナニー」と呼んでいる。

 インテリにしか通用しない偏狭な作法をふだん採用している現実が、誰でも参加できるイベントでは丸出しになってしまうが、そのことに気づかず、自分たちが(インテリ以外を含む多様な)社会の全体に役立つ何かを提供しているかのように勘違いしている無様な作法を平気で見せているからだ。

 東京大学や東京ウィメンズプラザなど、東京には、盗んだバイクで走り出した中卒のブルーワーカーにとっては肩身の狭い空気を強いる公開イベントが山ほどある。

 一度足を運んで見るといい。
 閉塞感で窒息死しそうになるよ。

 こんなイベントに血税や企業からの助成金が使われ、セックスワーカーなど当事者による事業活動が軽んじられている日本の「豊かさ」って何なのだろうね?

 社会問題を作り出しているのは、悪人ではない。
 右も左もわからない赤ちゃんを悪人に育ててしまう社会の仕組みを疑わず、自分の仕事ぶりを省みない人たちだ。
 省みなくても何も困らない人たちだ。

 「自分こそが既得権益そのものだ」と自覚できないままでいる人は、自分自身が社会問題を作り出している主体であることにも気づかないし、社会問題を作っている当事者としての責任も感じない。

 そして、不当な社会の仕組みも「ガマン」で乗り越えようとし、後続の世代にもガマンを強いる。
 社会にはびこる閉塞感の正体は、社会の仕組みに対するガマンと隷属をよしとする既得権益の作法なんだよ。

 僕は、そうした社会の仕組みを変えるソーシャルデザインに強い関心を持っているけれど、日本ではソーシャルデザインによる問題解決はタイムレースだ。

 政府の無策による急速な人口減で社会を変えられるチャンスが乏しくなれば、この国を捨てて外国で暮らしたいと思う。
 それほどまでに、この国には見えない危機が迫っているように感じられてならない。

 僕は、平和ボケの地球市民を命がけで守ろうとする「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」の悲哀を思う。
 社会を変える当事者として振る舞わず、自分個人の豊かさで満足していられるところに、「絆」なんてあるのだろうか?


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■5・17大阪オフ会と「One for One 大阪城マラソン」 ~全国に飛んで行きたいなぁ!


 僕(今一生)は5月17日(土)、久しぶりに大阪に行った。
 「今一生と話す会」というユルいオフ会を開催したのだ。

 このオフ会は、twitterで「大阪、行きたいなぁ~」とつぶやいていたのを、大阪在住のフォロワーの方が見つけてくれて、土地勘の無い僕に「会場を予約しましょうか」と進言してくれたことから急遽決まったものだ。

 僕が大阪に行きたかった理由の一つは、既に7回も開催されている「One for One 皇居マラソン」を大阪でやろうという青年が現れたので、当日のようすを見たかったからだ。

 その青年は、永田さんという青年だ。
 彼は日本一ゆるいマラソン大会である「One for One 皇居マラソン」の主催者・遠藤一さんに連絡し、「One for One 大阪城マラソン」を開催したいと伝えた。

 永田さんがマラソン大会を開催したいと思った理由は、「なぜ人が怖い元引きこもりがマラソン大会を開こうと思ったのか」という彼自身の文章を参照されたい。

 もちろん、彼にはそれまでマラソン大会を企画・運営したことなど無い。
 そこで遠藤さんに相談した。

 遠藤さんは永田さんと一緒にこのマラソン大会を実現するスタッフ志願者をネット上から募り、当日から3週間前からSkypeによるグループミーティングを行った。

 僕はこのグループミーティングに参加していたのだが、たぶん永田さん以外の誰もが「永田さん、大丈夫か?」と心配していたように思う。

 なにしろ彼は音声のみのSkypeでさえなかなか言葉が出ない人見知りだったし、開催のためにしなければならない準備も〆切までにこなせないほど、物事の優先順位をサクッとは考えられない属性だったのだから。

 しかし、グループミーティングを重ねるうちに、どんどん自発的にみんなの話の交通整理ができるようになり、地元・大阪でもスタッフを申し出る方を3人以上調達できた。

 それどころか、当日までに朝日新聞読売新聞に顔出してインタビューを受け、それがオンライン記事になったため、過去のへたれぶりを全国の人に知られることになったのだ。
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 メディアから取材を呼び込むなんて、僕や遠藤さんのようなライターには朝飯前なので、記者にプレスリリースを送ったり、テレビ局にも「取材して」と電話するよう永田さんに入れ知恵した。

 取材を受けることで、「不登校とか通信制なんていうとバカにされるかも」なんていう永田さんのつまらん自意識は一気にぶっ飛んだことだろう。

 しかし、ニート界隈では歓迎された。
 ニート系情報サイト「キテキテニート」でインタビューされたのだ。

 それどころか、ABC朝日放送「キャスト」で当日のようすを撮影取材された映像が流れる事になったのだ。
(ちなみに、この放送は僕がしっかり事前にディレクターに情報を流しておいたもの)

 さて、当日。
 僕は夕方5時に、走り終わった参加者たちに永田さんが自己紹介するあたりからようすを観に行った。

 すると、そこにははつらつとした永田さんの笑顔があった。
 しかも、みんなの前できっちり話せているじゃないか!
 彼の過去を知らない人から見れば、「このリア充がーっ」と驚くに違いない。
 それぐらい、永田さん、そして参加したみんなが自分のへたれ具合を自然体でしゃべってた。

 僕が驚いたのは、それだけではない。
 このマラソンを取材し朝日放送のディレクターやカメラマンなども一緒に走ったことだ。

 つまり、このマラソン大会は全員が「走った当事者」であり、みんなが「同じ汗をかいた仲間」としての和気あいあいな気分が漂っていたのだ。
 ふだん何をしていようといまいと、この集まりに参加した人たちが全員「同じ汗をかいた当事者」だった。

 NPOでは「支援される人」、精神科病院では「患者」、学校では「生徒」という具合に一方的に一段下に見られる受け身の立場しか与えられていない人たちが、同じ汗を流すことで誰もが対等な関係として向き合えた。
 だから、参加した人々は続々と、帰宅後のツィッターで「参加してよかった」と声を上げた。

 あなたのまちでも「One for One マラソン」を実現させたいなら、カンタンだ。
 遠藤一さんに「自分もやってみたい」と伝えればいい。
 そこからあなたの人生が一変するかもしれない。

 前後するが、このマラソン大会が始まる前の午前中、マラソン大会に参加する人が集まるビルの1室で「今一生と話す会」が開催され、10数人が駆けつけた。

 そこでまったりと話をしつつ、その後、森ノ宮駅前のカフェに流れ、参加者各自の深い話に耳を傾けた。
 それぞれの持つ悩みを聞きながら、ワクワクできる未来を一緒に考えた。

 それは、なるだけ具体的な解決策を一緒に話し合い、「できること」を持ち帰ってもらうことだった。
 帰り際にみんな笑顔だったし、ツィッターでも以下のような書き込みがあったので、喜んでくれたはず。


 僕がオフ会をやるのは、そこではどんな素性を話しても、ドン引かれることがないという現実があることを分かち合いたいから。

 「こんな自分のことを話したら嫌われるかな」という不安を持つ必要が無い社会に生きてることを実感してほしいから。
 過去から現在までに何があろうと、違う明日は作れるから。

 東京では、月1回のペースで新宿あたりのカフェで、ゆるいオフ会をやってる。
 必ずtwitterFacebookで事前に告知している。

 僕の本やtwitterを読んで興味を持ってくれる人がいたなら、全国どこへでも飛んでいく。
 もちろん、交通費がかかるので、僕の最寄り駅である内房線の五井駅からの往復交通費をYahoo!路線検索で見積もってほしい。

 大阪の場合、往復で3万円もあれば十分だった。
 会場費は1万円以上したので、宿泊しなければ経費の総額は4万円。
 そこで1人あたり1500円の参加費とし、30人弱でトントンになる計算だ。

 高速バスならもっと安くできるし、オフ会の場所で本を売ってよいなら持参して売るので、その分だけ経費を浮かすこともできる。
 オフ会で儲けようとは思わないし、儲かりはしないので、せめて赤字を出さないよう、僕を呼びたい方と相談しながら経費節減の知恵をひねり出したい。

 ちなみに昨年は函館の講演が決まったのを機に、札幌でオフ会を行った。
 講演主催者が交通費を負担してくれたので、僕は函館~札幌の交通費を自己負担するだけでオフ会に行けた。

 僕にあなたの地元での講演を依頼してくれると、それに便乗して安上がりでオフ会も開催できる。
 それはオフ会の参加者の参加費を極限まで安くできるということ。

 なので、ぜひ「今一生への講演依頼」を参考に、下記のようなあなたの身近な人に声をかけてみてほしい。

★まちづくりやソーシャルデザインに関心のある大学教授
★ソーシャルビジネスや広報戦略に関心のある地元の有力なNPOや青年会議所
★青少年センターや男女共同参画センターなどに勤めている役人
★トークイベントをやっているお店のスタッフ


 「今一生と話す会 in 大阪」については、参加された方も、これから参加したい人も、このブログ記事を参照されたい。
 僕のオフ会を通じて大阪エリアの方どうしがつながり、自分の明日を切り開く人脈や知恵がシェアされていくといい。

 なお、上記の記事の感想は、僕のtwitterアカウントをフォローした上でお気軽にお寄せください。



■5月17日に大阪でオフ会、やります(参加予約を受付中)

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